本屋へ行くと古い本が売ってますよね。
『源氏物語』や『平家物語』や『徒然草』など。
皆さんも小学校や中学校で習ったことがあると思います。
考えてみると、数百年以上前に書かれた本はどうやって、私たちの時代に残ったのでしょうか?
今回は中世ヨーロッパを例に如何に古典が伝えられたか、そして、どのような論争があったかをみていきたいと思います。
この記事を読むと次のことがわかります。
ただの文書が「古典」になる
杜撰に扱われていた写本
物語『デカメロン』で有名なジョヴァンニ・ボッカチオという人物がいます。
ペストが流行る中、教会で多くの人が集まり、自分がもっている面白い逸話を語る作品です。
彼は写本調査(写本とは人が書いた文字を写して一つの本にしたもの。印刷技術が発達していなかったために、手書きで写していた)のためにイタリア南部のモンテカッシーノ修道院へいきました。
そこの図書室には写本があったのですが、どれもこれも切り取られていたり、破れていたりと、最悪な保存状態であったと彼は述べています。
この時代、修道院では古典を価値のあるものだとかんがえておらず、そのまま放置されていたのです。
文献学とは何か
その後、ルネッサンスが起こり、
となります。
人文主義者といわれる、謂わば古典オタクたち*1があらわれ、写本が古代を知るために欠かせない資料として扱われるようになります。
そこで古典文献学という学問が誕生します。
この本の著者である佐藤氏は辞書『大辞林』から「文献学」の項目を引いています。引用します。
①「文献資料によって過去の言語を歴史的に研究する学問」
②「文献の性質や利用上の問題を研究する学問。作品の成立・作者の考証や誤写・誤伝過程の推測・復元などを中心とするが、訓詁・註釈や伝本の書誌的調査も含めることがある」
要するに、同じ作品の写本というのが何冊もあり、それぞれ書いている内容や言葉使いが異なるわけです。
時代による言葉使いの違いや、写している人たちが誤ってしまう場合などがあるのですね。
むろん、自分たちにとって有利になるようにわざと捏造することもあります。
そういう色んなことがあって、譌伝(かでん)になってしまうのですね。
ちなみに、今月『アナホリッシュ國文學 第8号』という雑誌に『応仁の乱』(中公新書)の呉座勇一氏と岩波文庫『太平記』の兵藤裕己氏との対談が載っております。
この対談では日本の古典文学かつ歴史を語る際にも使われてしまう『太平記』の写本にまつわる話が載っており、文献学の複雑さ、そして資料として扱うことの困難さなどが伝わってくるような内容になっておりますので、この記事で興味をもった方は一読ください。
ロレンツォ・ヴァッラ 公定新訳聖書批判をする
さて、初期ルネサンス文献学者たちは、ローマ時代とカロリング王朝時代の写本が同内容であるにもかかわらず、文法や語彙や語順が異なることに気づきます。
そして彼らは、一番最初に書かれた直筆の姿を求めて、復元作業にとりかかります。
この中で有名なのはロレンツォ・ヴァッラ(一四〇七~一四五七)です。
彼は新約聖書が本来の姿からかけ離れているのではないかと疑い、『新訳聖書付註』を書きます。
ヴァッラは元々、五世紀初めに聖ヒエロニュムスがギリシア語から翻訳し、その後、カトリック教会の公定本、ウルガタ本とされる新約聖書の翻刻が正しいかどうか疑問をもっていたのです。
その後、宗教改革運動が起こり、カトリック対プロテスタントの対立が生じた際も、お互いの正しさを主張するために文献学の作業が行われることになります。
つまり、自分たちのほうが正しく神の言葉を理解している、と表明できるためには証拠が必要であり、文献学は論争の役にたったわけですね。
デカルト対ライプニッツが歴史学に与えた影響ー啓蒙史学派へ
佐藤氏によれば社会経済史の面で一九五〇年代に「一七世紀危機論争」ということがいわれていたそうです。
ポール・アザール『ヨーロッパ精神の危機』によれば「一七世紀人はキリスト教徒だったが、一八世紀人は反キリスト教徒だった。一七世紀は人は神法を信じていたが、一八世紀人は自然法を信じた」とかかれています。
要するに自然科学が発達して、神から科学を信じる時代になったのです。
さて、この時代、「歴史」という学問に大きな影響を与えた二人の偉大なる人物がいます。
哲学者かつ数学者のルネ・デカルトと哲学者、数学者、歴史家のゴトフリート・ライプニッツです。
デカルトの歴史は歴史を学問としてみなかった
・考証学者たちは知識の一部を切り取り、部分的な事実を羅列しているだけ
・考証的な知識を個人の経験に寄せることなく、単なる断片的な知識にすぎない。価値がない。
といって、デカルトは歴史と科学と切り分けて考えて、考証学的歴史は無用の長物であると考えていました。
ライプニッツはモナド論的に歴史や科学をとらえていた
それに対して、ドイツのライプニッツは次のように考えていました。
・たとえば、法学の諸規範は推論の科学であり、基本的準則から法の論理学をつくれる。
というように人文学と自然学とを同様なものとして看做していました。
ところが、フランスにおいてはデカルトの影響力が非常に大きく、歴史学は細かい事実を考証することよりも、大きな世界観を訴えるための学問に変わってしまいます。
デカルト的な啓蒙史学派の誕生と学問観
このデカルトとライプニッツの相違は具体例がないと難しいですね。
デカルトの考えを受け継いだ人たちが著した本をみることで明確にしていきましょう。
彼らのことを啓蒙史学派とよびます。
では、どういった人々がどんな主張をしていったのか。
代表例をみていきましょう。
ブーランヴィリエ、ヴォルテール、モンテスキュー、マブリィ、デュボス神父などが啓蒙史学派で有名な人たちです。
その中でもとりわけ名が知られているのは『百科全書』を編んだことでも馴染みのあるヴォルテールです。
『寛容論』(中公文庫)や『カンディード』(岩波文庫)などが今でも書店で売られています。
彼は考証学を評価しませんでした。
考証学によって明らかになった歴史の細部をいくら叙述しても、それが本当であるかはわからないと判断します。
彼にとって歴史とは「社会の進歩」をあらわすものでした。
つまり、こまごまとした知識の積み重ねよりも、ざっくばらんな国民や文明について「自分の信念や思い込み」で語ってゆく叙述法をとったのです。
現代日本で考えると啓蒙史学家ってどういった人や本なのか?
今の日本で言うと西尾幹二氏の『国民の歴史』や百田尚樹氏の『日本国紀』のような本を想像していただければ、わかりやすいかと思います。
こういった本は作者の個性を前面に押し出した大きな視点によって、その当時の文明や思想などを捉え、それに沿うかたちで歴史の叙述がなされていきます。
例えば、「現代の男性は草食系男子である」という主観的な見立てがあったとします。
すると、ここ十年の歴史が草食系男子によって引き起こされた数々の出来事として叙述されます。
しかし、
・そもそも本当に「草食系男子」などいたのか?
・仮にいたとしても、その割合は?・その人達が世の中の事件や出来事と関係があるといえるのか?
という疑問が湧いてくるはずです。本当ならば、その一つ一つを検証していかなければいけません。
しかし、ヴォルテールのような啓蒙史学派はそんな疑問をはねのけてしまいます。
彼らにとって大事なことは、仔細な考証などではなく、ざっくばらんに歴史を大づかみして、捌くことにあるからです。
そこに実証などは求められていません。
ちなみに、この啓蒙史学に類するものとしてフランソワ・ギゾー『欧羅巴文明史』、トーマス・バックル『英国文明史』、福沢諭吉『文明論之概略』、田口卯吉『日本開化小史』、ルソー『社会契約論』、モンテスキュー『法の精神』などがあげられています。
とはいっても、福沢諭吉の『文明論之概略』は非常に面白いし、日本の読者にとってはもっとも読みやすいと思いますので、おすすめです。
読みやすくした現代語訳になった本もあります。
日本の戦後歴史学はマルクス主義だった
ここまで述べてきたように「啓蒙史学派」は大胆に歴史をさばいて、自分たちの思想や見解を押し出していきました。
その延長線上にマルクスの「階級闘争史観」と呼ばれるものあります。
貴族に対して、奴隷達が反乱を起こして進んできたのが歴史である、という考え方です。
今ではこの考え方は否定されています。
この著者の佐藤章一氏も博士号取得論文『修道院ー会計文書から見た中世形成期ロワール地方』を一九九七年に出版し、農民=奴隷という捉え方を否定する文章を書いていらっしゃいます。
この階級闘争史観で物事を考えると、あらゆる出来事が貴族VS奴隷の対立にみることができてしまいます。
こうしたマルクス主義は戦後に隆盛を迎えたというのが通説ですが、佐藤氏はこのはじまりを明治期の「啓蒙史学」が輸入された時代としています。
一万円札で知らない人などいない福沢諭吉は『文明論之概略』を書いています。
この本はまさに啓蒙史学派と同じく目的論的な思考(とある目的を果たすための思考。例えば、「Aは学校の給食費を盗んだに違いない」と考える。Aを犯人にするためにあらゆる材料をAが盗んだ証拠にしてしまうのが目的論。)によって書かれた本だといえます。
すなわち、戦後マルクス主義が流行る前から、日本人はヨーロッパの「啓蒙史学」を参考にしていたといえるのです。
終りに
今回は歴史系の本を紹介しました。
私は新書や大判の歴史書を読むのは好きなのですが、ブログで書くとなると、書いている内容をただまとめるだけになってしまうので、非常にかきづらい。
しかし、今回は西洋における考証学の歴史であったために、ややまとめやすかっったとおもいます。
著者である佐藤彰一氏は論文や専門書のような内容を、どうにか新書でも表現してみたかったといっておられます。
実際、この本は中身が濃く、知的な内容がつまっており、たいへん勉強になります。
私がここで紹介した要約や感想などは大海の一滴にしかすぎず、また疎漏もあることでしょうから、興味をもった方はお読みになるといいかと。
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