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岩波新書『江戸漢詩の情景』にある《頼山陽(らいさんよう)との造語「山紫水明(さんしすいめい」と謎の四字熟語「水紫山明(すいしさんめい」とについて調べてみた!》

岩波新書 書影

 

 

「山紫水明」という四字熟語を知ってますか?

 

 

揖斐高(いびたかし)という近世日本の文学者を研究している方がいらっしゃる。
その方の著作に『江戸漢詩の情景』岩波新書)がある。

 

 

私はこの本を最近、読過した。

第一章一節目に「山紫水明」(さんすいめい)という項目があり、
そこでは頼山陽が「山紫水明」(さんすいすいめい)と京都の鴨川について詩をつくったことがかかれている。

 

この言葉は現代において自然の風景が美しさを形容する際に使われている。

 

もともとは「夕方限定」であったというが、明治大正昭和の有名作家等の文をみても、時間は忘れられ、自然描写の常套句になってしまっていると揖斐は指摘する。

 

青空文庫」の文学作品群から引用する。


谷崎を除くと誰も夕方に限定していないことがわかるだろう。

 

石川三四郎 吾等の使命

 

山紫水明の勝地は傷ましくも悉く都会のブルジヨア

 

北大路魯山人 味覚の美と芸術の美

 

山紫水明、あまつさえ四囲に青海をめぐらして、気候の調節的温和なること、地味の肥沃なること、いずれの点より見るも、これが生物によっては優れた自然天恵の日本であることが分る。

 

谷崎潤一郎 陰翳礼讃

 

夏のゆうがた、折角山紫水明に対して爽快の気分に浸ろうと思い、

 

九鬼周造 外来語所感

外来語は山紫水明の古都までも無遠慮に侵入している。

 

 

 

 


更に、揖斐は「山紫水明」は京都の水西荘からみえる鴨川やについてだけに使うものではなく、竹原の床の浦や瀬戸内海の景色をあらわすときにも使っていると指摘している。

 

文化四年(1807)、広島に在住していた際に友達等と船遊びをしそのときに書かれた
「竹原船遊記」に
「山は紫に水は白く、継いで蒼然の色を以てす。」とあり、

 

また文化十一年(1814)「対仙酔楼記」の中に
「対仙酔楼記上の処に撰し並に書す」とあるからだ。

 

「水紫山明」ということばとは?

 

これが山紫水明の使われ方、そして由来だが、この一節の末尾で揖斐は

読売新聞の「編集手帳」(2020年6月11日)の興味深い記事を挙げている。

 

編集手帳」の執筆者が四字熟語辞典を読んでいたら
「水紫山明」というへんてこな四字熟語をみつけたというのである。

 

彼は「水はやはり、何色にも染まらない景色が美しい。澄んだままでいてほしいと切に願う時節に入った。」と違和感を露わにしており、
「水紫山明」はヘンではないかと思っているのだ。

 

実際、私ズンダがしらべたところ

『辞典オンライン 四字熟語辞典』にも「水紫山明」なる項目があり、

「山紫水明」の類義語扱いされているし「goo辞書」には項目こそないが類義語として載っている。

 

揖斐は、永岡書店や三省堂の『四字熟語辞典』に類義語として載っているが、しかし問題は「出典」が挙げられていないという記している。

 

要するに、誰が使い始めたのかわからないのだ。

 

文藝春秋がつくった四字熟語ではないか?


揖斐はその背景を理解しようとするために、自身が丱角だった頃を想到する。

 

私が生まれた北九州の小倉には紫川という川が流れているが、その川の水は紫色すなわち「水紫」だったわけではない。私の少年の頃には、紫川は工場と家々からの排水でひどく濁っており、川底に溜まったヘドロからはブクブクとガスが湧いているような泥の川だった。今はすっかり浄化されて濁りの少ない水が流れており、時によっては川の水が紫色に見えるという瞬間もなくはないのかもしれない。しかし、「山紫水明」という言葉についてのこれまでの詮索からすれば、やはり「水紫山明」という表現には無理があるように思われる。

 

 

さて、この言葉の出典はどこにあるのだろう?
気になった私はNDLを利用してみたが、全く当たらなかった。
NDLは戦前の本、雑誌からとりあげられているので「水紫山明」は戦後の造語だと考えられる。

 

しかし、グーグルブックスで「水紫山明」で調べるといとも簡単にみつかったのである。


文藝春秋第四十四巻(1966年刊行) 306頁に次のような文がある。

 

京都清流鴨川から、名物の鮎が姿を消して、既に久しい。
上流の友禅染物工場から流出する廃液が"水紫山明"とまで陰口を
叩かれる有様。そこで流域の地元住民間に起きたのが、鴨川を美しする会。

 

 

 文藝春秋の執筆者は当然、山紫水明を知っている。

 

 そしてこの京都の地元住民らもそれをわかっているからこそ、工場からの廃液を揶揄して「水紫山明」と批判しているのだ。


 1966年といえば、その翌年に公害対策基本法が可決されるほどに工場用水による自然環境破壊が話題になっていたころである。

 

1956年「水俣病
1959年「四日市ぜんそく
1962年レイチェル・カーソンの「沈黙の春
1965年「新潟水俣病
1967年に「公害対策基本法 制定」

 

www.j-ems.jp

 


 ここからこの「水紫山明」がどう広まっていたかはわからない。


 だが、この文藝春秋の使用法を察するに、そして奇しくも揖斐本人が紫川が排水で濁っていたと回想していたように、

 

 当時の人々の間でまだ常識的な言葉であった

 

「山紫水明」は、

【公害問題】というものが生じた際、

「水紫山明」と捩られていたのではないだろうか?

 

 そしてどういう経路か、四字熟語辞典に堂々と、

 その刺譏かつ諧謔の精神が忘却され、「山紫水明」の類義語として辞書に載せられてしまった、初出・出典なき不幸な四字熟語と化したのであろう。

 
揖斐氏による中公新書の羅山一家についての本。
当時の朱子学者は江戸時代において一種の権威であったが、思いのほか、その学識は採用されず、政治と学問との梧枝に失望する林家の悩みがうかがえる作品。

 

この岩波新書とセットにして、岩波文庫の『江戸漢詩選』をよんでほしい。

きっと楽しく読めるようになるはず。私ズンダもそうでした。

 

※追記

ちなみに、「水紫山明」についてはもう三つほど例がある。

玄洋社社史(1917)に

 

時機は彼等を騙って、一夜釜山の水紫山明閣に、一紫の大會を催さしめ、座に主なる逡巡して其平生の所期に乖くが如きは、彼等断じて之を爲すべきにあらざるなり。

 

とある。

 

また、東學農民戰爭史料叢書: 기타 - 404 ページ

 

水紫山明閣て、鈴木ろろ山異かななるな一人な又衆が曰く山道既に急なり、吾徒く速かに東の形をこと四方より別にせん如何が吾徒者

 

最後に
文庫 - 第 1 巻 - 227 ページ

 

水紫山明の我故郷を後にして、秋風はやく韓山の天に向へり。

 

とある。

 

韓国の舒川郡に韓山という山があるらしく、そこでモシという苧麻を原料とした素材作りとして有名な場所らしい。

 

s.plus-han.com

 

 

これらの三つに共通することは朝鮮に関する文章だということだ。
この場合、文藝春秋での用法とは全く違う。何らかの誤謬に基づいていると考えられる。

 

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