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【感想】植物さんって、意外につよいのね。 稲垣栄洋『植物はなぜ動かないのか』(ちくまプリマ-新書)

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 稲垣栄洋『植物はなぜ動かないのか』(ちくまプリマ-新書)

 

 本書のテーマは著者である稲垣栄洋が述べておられるように「強さとは何か」です。それも植物の。

 中高生向けに書かれたこの本ですので、文体も読みやすくスッと頭に入ってくるものですので、どうぞ一読ください。

 

 では今回の目次です。

 

 

 植物はどうやって誕生したのか

 

 

 葉緑体がミソ

 

 地球に生物が生まれたのは38億年前です。この頃はまだ、植物と動物との違いはありません。

 植物には葉緑体と呼ばれる光合成をするための器官があり、この器官のおかげで植物は植物と定義されます。

 ところで、この葉緑体、小学生の生物の授業で習うと思うのですが、なんと昔は独立した生物だったのです!

 

 これは生物学者のマーギュリスが提唱した「細胞内共生説」といわれます。

 引用します。

 

葉緑体は、細胞の中で独立したDNAを持ち、自ら増殖していく。そのため、光合成を行う単細胞生物が、他の大きな単細胞生物に取り込まれて、共生していくうちに、細胞内器官となったと考えられているのである。

 

 おそらく、大きな単細胞生物が、葉緑体となるバクテリアを取り込んだと考えられているそうなのです。この葉緑体が消化されずに、ひとつの器官としてはたらくようになった、と。

 

 結果として植物は動く必要がなくなったのです。

 動いていた葉緑体が取り込まれ、わざわざ餌探しをせずに済むようになった結果、動く必要のない植物という生き物が誕生したのです。

 葉緑体がどうして動いて捕食していたかというと光合成では生み出すことができない無機塩を求めていたからだとかかれています。

 

 漫画やゲームでも何者かに取り込まれて、その体の中で生き続ける精神体のようなものを描写していることがよくありますが、まさに葉緑体はそういった存在なのですね。

 

 植物細胞である葉緑体も昔は活発に動き回り他の生物を捕らえていて捕食行為をしていたというのには驚かされます。想像できない。

 

 しかし、私ズンダの貧困な想像力を覆す例がかいてあります。

 それはミドリムシユーグレナで数年前有名だった。)という単細胞生物です。

 こいつは葉緑体をもって、緑色をしていて、明らかに植物なのですが、なんと鞭毛を使い水中を泳ぎ回ることができるのです。

つまり、動物と植物との特性を兼ね備えたハイブリッド!

 

 進化中の生物「ハテナ」

 

 

 当方はてなブログで記事をかいているわけですが、この「ハテナ」と呼ばれる動物から植物へと変化を遂げる生き物をご存じでしょうか。

 

 ハテナは体に緑藻類を共生していて、こいつが光合成をする器官なのです。

 ハテナは細胞分裂をします。

 すると、分裂した方は緑藻類をもたないために栄養をつくれません。

 これでは分裂しても意味がない、と思うでしょう。

 

 が、なんと分裂した側は捕食のための口をもって緑藻類を食べて、光合成を可能にするのです。

 生物の適応力には驚かされますね。緑藻類も一緒に分裂してくれれば簡便だとはおもうのですが、さすがにそこまでの能力はないようです。

 もはや植物なのか動物なのかわからない生き物ですね。

 

 リンネの分類

 

 

 さて、自然界には200万種の生物がいるといわれています。

 この無数の生物を「分類学の父」と呼ばれる18世紀の植物学者リンネは「植物界」、「動物界」、「原生生物」の三種にわけました。

 さらに似通った種のグループである属名と種名を列記することで、種の学名とすることを提案したのですね。

 

 たとえば、ひまわりは学名がHelianthnus annuus(ヘリアンサス・アニュス)といいます。

 これはヘリアンサス属の仲間のアニュスということです。

 学名は必ずラテン語で記されることになっています。

 理由は以下の通りです。

  1. ラテン語は死後であり形が不変
  2. 口語として使わないので世界中の人が

 使うのにフェア

 

という理由らしいです。

 

 言葉の変化

 

 

 確かにコトバというのは使われれば使われるほど変化しますね。

 これはどの言語にもある特徴なのですが英語で言うbe動詞は多言語においても非常に激しく変化します。

 そもそもラテン語自体、活用変化が激しいのですが、例えばラテン語のbe動詞も下のように変化します。

Sum es est sumus estis sunt

これはあくまで現在形だけですね。この他に過去形や未来形の形も存在していて、私も昔ラテン語を勉強したのですが、ひたすら口にだして覚えたり、白水社から出している問題集を説いたり、アメリカの大学で出している読解参考書を読んだりして、必死こいてやった記憶があります。

 実際やってみると、案外、規則がしっかりしているし、語順の自在さ(これも標準は気まっている。)もパズルを解くようで面白い。

 

 閑話休題。分類は正しいのか

 

 

 しかし、種の分け方というのは難しい。

 当たり前ですが、人間基準で動物や植物をみて、分類したものなわけで、自然界からしてみればそんなことはお構いなく好き勝手に進化しわかれていくわけですよね。

たとえば、オオカミと犬は種としては同じですが、我々はオオカミを飼うことはしないし、赤ん坊と一緒にしておくこともないでしょう。

 現代では生物種は、「他の個体群と交配しない生殖的隔離機構があること」で区別されているのです。

 それゆえ、オオカミと犬とは交雑はできるので同じ種になっているのですね。

 

植物の凄いところ。地球環境をかえた

 

 

 植物は再生機能をもっている

 

 植物の体はどこからでも再生可能です。

葉っぱがなくなっても、枝がおれても、実がとられても、あらゆるところからあらゆるものが再生されていきます。

 

 挿し木や挿し芽をイメージするとわかりやすいですね。

 この植物特有の細胞の特徴は「全能性」とよばれています。

 また植物のように動かない性質を「固着性」といいます。

 それゆえ、植物は自分自身の姿形を変えることで生き延びてきました。

 この変化できる能力を「可塑性」といいます。

 自由自在いかなる形にも変化できてしまうということですね。

 

 酸素は廃棄物だった?

 

 

 さて我々は単細胞生物である植物プランクトンのおかげで進化をみてきたわけですが、このプランクトンは光合成をします。

 ところがプランクトンは光合成をすると何をうみだすのでしょうか。

 酸素、ですね。

 この酸素、我々人間にとってはなくてはならないものである一方、有害な成分でもあるわけです。 

 

 前の記事にも書きましたが、人の体はAGEが溜まることによって老化していきます。酸化作用ですね。

 つまり、酸素は光合成から誕生した有害廃棄物だったといえるわけです。鉄や銅が錆びるのも酸素のせいですね。

 

 ところがこれを利用して成長していった勢力がいます。

 動物性プランクトンです。彼らは酸素に順応し、毒であったはずの酸素を活用してかけまわり、活路を広げていきます。

 また酸素によってオゾン層ができあがったことで、水中でしかいきることができなかった生命が陸にあがっていきます。

 

 植物は自分の出した廃棄物である酸素によって地球環境そのものに劇的な変化をもたらすことに成功したわけです。

 

 人間のしていることは破壊か、それとも新たな生命の誕生につながるか

 

 

 しかしながら人間の行動は古代への回帰しようとしています。

 地球環境の悪化ですね。

 二酸化炭素が増えすぎ、オゾン層が破壊され、人間にとって住みにくい地球になったとき我々は生存できるのでしょうか。

 (そもそも地球環境悪化が人類のせいではないという意見もある。オゾン層は本当に破壊されているのか。)

 

 終わりに

 

 

簡単に書かれた本といっても、大人にとって勉強になる部分が沢山あります。

紹介しませんでしたが、第二章のコケとシダの話。第三章の恐竜が滅んだ話など、面白い学説が一杯つまった本です。

 ぜひとも皆さんに挑戦していただいて、雑学として利用するでもいい。あるいは、生物学のとば口にたつための知識を得るために活用して貰いたいですね。

 

読者登録&ブックマークおねがいします。

youtubeもやっているので、プロフィール欄からどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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稲垣栄洋『植物はなぜ動かないのか』(ちくまプリマ-新書)

 

本書のテーマは著者である稲垣栄洋が述べておられるように「強さとは何か」です。それも植物の。

中高生向けに書かれたこの本ですので、文体も読みやすくスッと頭に入ってくるものですので、どうぞ一読ください。

 

では今回の目次です。

 

植物はどうやって誕生したのか

 

 

葉緑体がミソ

 

地球に生物が生まれたのは38億年前です。この頃はまだ、植物と動物との違いはありません。

植物には葉緑体と呼ばれる光合成をするための器官があり、この器官のおかげで植物は植物と定義されます。

 ところで、この葉緑体、小学生の生物の授業で習うと思うのですが、なんと昔は独立した生物だったのです!

 

 これは生物学者のマーギュリスが提唱した「細胞内共生説」といわれます。

 引用します。

 

葉緑体は、細胞の中で独立したDNAを持ち、自ら増殖していく。そのため、光合成を行う単細胞生物が、他の大きな単細胞生物に取り込まれて、共生していくうちに、細胞内器官となったと考えられているのである。

 

 おそらく、大きな単細胞生物が、葉緑体となるバクテリアを取り込んだと考えられているそうなのです。この葉緑体が消化されずに、ひとつの器官としてはたらくようになった、と。

 

 結果として植物は動く必要がなくなったのです。

 動いていた葉緑体が取り込まれ、わざわざ餌探しをせずに済むようになった結果、動く必要のない植物という生き物が誕生したのです。

 葉緑体がどうして動いて捕食していたかというと光合成では生み出すことができない無機塩を求めていたからだとかかれています。

 

 漫画やゲームでも何者かに取り込まれて、その体の中で生き続ける精神体のようなものを描写していることがよくありますが、まさに葉緑体はそういった存在なのですね。

 

 植物細胞である葉緑体も昔は活発に動き回り他の生物を捕らえていて捕食行為をしていたというのには驚かされます。想像できない。

 

 しかし、私ズンダの貧困な想像力を覆す例がかいてあります。

 それはミドリムシユーグレナで数年前有名だった。)という単細胞生物です。

 こいつは葉緑体をもって、緑色をしていて、明らかに植物なのですが、なんと鞭毛を使い水中を泳ぎ回ることができるのです。

つまり、動物と植物との特性を兼ね備えたハイブリッド!

 

 進化中の生物「ハテナ」

 

 

 当方はてなブログで記事をかいているわけですが、この「ハテナ」と呼ばれる動物から植物へと変化を遂げる生き物をご存じでしょうか。

 

 ハテナは体に緑藻類を共生していて、こいつが光合成をする器官なのです。

 ハテナは細胞分裂をします。

 すると、分裂した方は緑藻類をもたないために栄養をつくれません。

 これでは分裂しても意味がない、と思うでしょう。

 

 が、なんと分裂した側は捕食のための口をもって緑藻類を食べて、光合成を可能にするのです。

 生物の適応力には驚かされますね。緑藻類も一緒に分裂してくれれば簡便だとはおもうのですが、さすがにそこまでの能力はないようです。

 もはや植物なのか動物なのかわからない生き物ですね。

 

 リンネの分類

 

 

 さて、自然界には200万種の生物がいるといわれています。

 この無数の生物を「分類学の父」と呼ばれる18世紀の植物学者リンネは「植物界」、「動物界」、「原生生物」の三種にわけました。

 さらに似通った種のグループである属名と種名を列記することで、種の学名とすることを提案したのですね。

 

 たとえば、ひまわりは学名がHelianthnus annuus(ヘリアンサス・アニュス)といいます。

 これはヘリアンサス属の仲間のアニュスということです。

 学名は必ずラテン語で記されることになっています。

 理由は以下の通りです。

  1. ラテン語は死後であり形が不変
  2. 口語として使わないので世界中の人が

 使うのにフェア

 

という理由らしいです。

 

 言葉の変化

 

 

 確かにコトバというのは使われれば使われるほど変化しますね。

 これはどの言語にもある特徴なのですが英語で言うbe動詞は多言語においても非常に激しく変化します。

 そもそもラテン語自体、活用変化が激しいのですが、例えばラテン語のbe動詞も下のように変化します。

Sum es est sumus estis sunt

これはあくまで現在形だけですね。この他に過去形や未来形の形も存在していて、私も昔ラテン語を勉強したのですが、ひたすら口にだして覚えたり、白水社から出している問題集を説いたり、アメリカの大学で出している読解参考書を読んだりして、必死こいてやった記憶があります。

 実際やってみると、案外、規則がしっかりしているし、語順の自在さ(これも標準は気まっている。)もパズルを解くようで面白い。

 

 閑話休題。分類は正しいのか

 

 

 しかし、種の分け方というのは難しい。

 当たり前ですが、人間基準で動物や植物をみて、分類したものなわけで、自然界からしてみればそんなことはお構いなく好き勝手に進化しわかれていくわけですよね。

たとえば、オオカミと犬は種としては同じですが、我々はオオカミを飼うことはしないし、赤ん坊と一緒にしておくこともないでしょう。

 現代では生物種は、「他の個体群と交配しない生殖的隔離機構があること」で区別されているのです。

 それゆえ、オオカミと犬とは交雑はできるので同じ種になっているのですね。

 

植物の凄いところ。地球環境をかえた

 

 

 植物は再生機能をもっている

 

 植物の体はどこからでも再生可能です。

葉っぱがなくなっても、枝がおれても、実がとられても、あらゆるところからあらゆるものが再生されていきます。

 

 挿し木や挿し芽をイメージするとわかりやすいですね。

 この植物特有の細胞の特徴は「全能性」とよばれています。

 また植物のように動かない性質を「固着性」といいます。

 それゆえ、植物は自分自身の姿形を変えることで生き延びてきました。

 この変化できる能力を「可塑性」といいます。

 自由自在いかなる形にも変化できてしまうということですね。

 

 酸素は廃棄物だった?

 

 

 さて我々は単細胞生物である植物プランクトンのおかげで進化をみてきたわけですが、このプランクトンは光合成をします。

 ところがプランクトンは光合成をすると何をうみだすのでしょうか。

 酸素、ですね。

 この酸素、我々人間にとってはなくてはならないものである一方、有害な成分でもあるわけです。 

 

 前の記事にも書きましたが、人の体はAGEが溜まることによって老化していきます。酸化作用ですね。

 つまり、酸素は光合成から誕生した有害廃棄物だったといえるわけです。鉄や銅が錆びるのも酸素のせいですね。

 

 ところがこれを利用して成長していった勢力がいます。

 動物性プランクトンです。彼らは酸素に順応し、毒であったはずの酸素を活用してかけまわり、活路を広げていきます。

 また酸素によってオゾン層ができあがったことで、水中でしかいきることができなかった生命が陸にあがっていきます。

 

 植物は自分の出した廃棄物である酸素によって地球環境そのものに劇的な変化をもたらすことに成功したわけです。

 

 人間のしていることは破壊か、それとも新たな生命の誕生につながるか

 

 

 しかしながら人間の行動は古代への回帰しようとしています。

 地球環境の悪化ですね。

 二酸化炭素が増えすぎ、オゾン層が破壊され、人間にとって住みにくい地球になったとき我々は生存できるのでしょうか。

 (そもそも地球環境悪化が人類のせいではないという意見もある。オゾン層は本当に破壊されているのか。)

 

 終わりに

 

 

簡単に書かれた本といっても、大人にとって勉強になる部分が沢山あります。

紹介しませんでしたが、第二章のコケとシダの話。第三章の恐竜が滅んだ話など、面白い学説が一杯つまった本です。

 ぜひとも皆さんに挑戦していただいて、雑学として利用するでもいい。あるいは、生物学のとば口にたつための知識を得るために活用して貰いたいですね。

 

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