ウンコについて私たちは何を知っているのだろうか
ウンコ、この言葉を聞いただけで嫌な思いをなさる方もいらっしゃるかもしれません。
臭い、汚い、下品
ウンコは私たちにとっては汚物なのです。
しかし、同時にこの言葉を聞くと否応なく惹きつけられてしまう面もないでしょうか。
近年、児童用の教材として『うんこドリル』なるものが売れに売れています。
子供達はウンコが大好きなのです。
いや、本記事を読めば分かるようにウンコは子供だけではなく農耕民族である日本人にとっては欠かせない肥料でした。
いつから私たちはウンコを単なる汚物としてしかみなくなってしまったのでしょうか。
今回紹介する本は『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま新書)です。
では、見ていきましょう。
聖俗と循環ー古事記や近世にみるウンコー
スサノオノミコト、オホゲツヒメを汚いから刺殺する
著者は日本古典文学の研究者である林望氏の『古今黄金譚』から次のような話を紹介しています。
また
食物 を大気都比売 の神に乞ひき。爾に大気都比売、鼻口及尻より、種種の味物 を取り出でて、種種作り具へて進 る時に、速須佐男命、その態 を立ち伺ひて、穢汚 して奉ると為ひて、その大宜津比売 の神を殺しき。故殺さえし神の身に生 れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種 生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆 生り、陰 に麦生り、尻に大豆 生りき。故ここに神産巣日 命、茲れを取らしめて、種と成しき。
オホゲツヒメは食べ物を掌る女神です。
彼女は鼻や口、尻から美味しい食べ物を出したとかかれています。
著者がみるには「食べものとウンコとはひとつながりの『環』の中にあるというイメージが伝わってくる」とのこと。
しかし、スサノオノミコトはオオゲツヒメノカミを「穢れている」ので殺してしまいます。
しかし、その体からは「種」が落ち、次の「いのち」を作っていくことが描かれています。
ここには汚いものと生命の誕生とが循環するという価値観があります。
これこそ戦前までギリギリ残っていた価値観でして、ウンコを下肥として利用していた日本人にとって、不浄であるはずのウンコは作物を育てるための肥料でもあったということです。
近世のウンコー人糞尿を耕地に使用ー
日本では一七世紀後半から一八世紀初頭にかけて農業技術が発達しました。
増加する人口を扶養するために生産性が重要視されます。
そのため、作物を効率よく育てるための肥料として糞尿をもちいた「下肥」が普及します。
※下肥自体は二毛作が普及した鎌倉時代ごろとされているそうです。草木灰や刈敷が中心で、下肥はまだ一般的ではありませんでした。
近世のウンコ研究は次のようになっています。
①都市と農村の相互関係
②屎尿が経済的価値を持つようになる過程
③屎尿の取引規模や取引実態などであり、経済や社会に深く関わる議論が展開され、いずれの研究でも、根拠となる古文書の詳細な分析がなされている。
とのこと。
実際この時代は肥料需要が拡大した時代でした。
・新田開発の活発化
・城下町の発達
↓
・城下町に集まる人々の食糧や商売として作物の生産性上昇が肝心
↓
・商品作物生産の興隆による魚肥や油粕などの「金肥」を扱う肥料商の誕生、そして市場が形成される※金肥はお金を出して買う肥料のこと。それゆえ「金の肥」
・堆肥・厩肥(動物の糞尿)と下肥(人の糞尿)は百姓にとって安価な肥料。↓かなり昔の受験参考書で階級闘争史観と評されることもあるが、この辺りを図解で詳しく説明しているのでイメージを得るには便利。
という一連の事情と進展により、肥料関連の産業が発達し、経済的な役割を持ち始めた時代だったのです。
江戸における莫大な金銭や物々交換と屎尿
糞尿も盛んに使われるようになると需要が供給量を上まわるので、値段が高くなってしまいました。
その結果、百姓達は組合をつくり値下げ交渉をします。
そのときに残された記録から江戸における糞尿の量と経済規模が換算できます。
・江戸の人口約一〇〇万人
・年間八億~一二億円の市場規模
・量は二億七千万リットル。二五メートルプール約五六〇個分。
とんでもない量の下肥が農耕肥料として売買されていました。
糞尿のくみ取りは「下掃除(しもそうじ)」とよばれ、江戸周辺に暮らす百姓達が「下掃除人」になり、糞尿を運搬していました。
彼らは武家屋敷や寺社、町人達と契約を結び、金銭や現物(野菜、漬物)を支払いその権利を得ました。
ここに物々交換による経済をみることができますね。
農学者はウンコを万物育成の肥料とみた
農書(農業の具体的なやり方を書いた本)を多く記した大蔵永常という人物がいます。
彼の『農稼肥培論』で次のようにかいています。
凡、農業の内にて最も大切にすべきものハ、糞壌を撰ぶなり。是則ち天地の化育を助くべき内の一ツにして、百殻を世に充たしめて、以て万民の生養を厚くするの第一義なり。夫、人間に存りてハ上 天子より下庶民に至り、亦、鳥獣虫魚に及ふまでも、生とし生るもの皆食せずして生命を保つもの無事ハ、皆人知る所なり。
と、糞壌から万物の生命は育まれ、生命が維持されると、のべています。
「糞壌」とは「肥えた土」のことですが、この言葉に「糞」という字が当てられていることに近世の人がウンコを良いものと捉えていたことがわかるでしょう。
また、『農業全書』で有名な宮崎安貞もその書の中で「糞」を「こえ=肥」と読ませています。
又糞も薬剤と同じ心得にて、一色バかりハきかぬ物なり色々取合せよく熟して用る事、是肝要なり。糞にかぎりて新しきハよくきかず。ねさせくさらかし熟する加減をよく覚えて、熟したる時用れバ、其しるし多し。
なんと、糞と薬剤の調合を同じようなものだと記しています。
驚くべきことです。
しかし、農業にとって下肥は彼らの生殺与奪の権をにぎっているといっても過言でないほど大事な肥料だったわけです。
その肥料にも苦心惨憺な作り方があります。
藁や塵芥、糠や籾がら、枯草などおよそ肥料となりそうなあらゆるものを取り集め、毎日家畜小屋に敷いて、牛や馬に踏ませ、ほどよくたまったら肥料小屋に移しておくようにしなければならない。
肥料小屋がなければ、肥料をたくさんたくわえることができないものであるから、百姓たるものその分限に応じて、肥料小屋を建てておくべきである、という。(中略)蓄えられたあらゆるものが「腐熟」することで、肥料になるのである。
寒い時期など腐熟に時間がかかる時や、腐りにくいものを入れたときには、韮を一握り揉んで入れると良いとか、戸外に置く肥桶は南向きの場所において、桶の内側まで日が差し込むようにする
と肥料作りに腐心すべきということが書いてあります。
これだけの苦労をしながら昔の農家は作業していたわけです。
そんな彼らにとって、「糞」における見方が現代人と異なるのは当然だったといえましょう。
そして農学者の見解は多くの百姓の者の考え方にも影響を与えたのかもしれませんね。
↓下の記事は江戸時代の性がどのようなものであったかを紹介した。
この当時の出版物の影響はことのほか大きいように思われる。
変貌するウンコの見方ー都市化がもたらした意識の変化ー
農業と関係のない消費者の増加
こうした現代人の価値観は明治以降に誕生しました。
都市部、東京市、大阪市、名古屋市などでは屎尿処理が始まり、ウンコは「廃棄物」へと変化していきます。
また、都市への人口流入が増え始めました。
都市部の人たちは農家ではありません。
彼らは「土」から離れ、作物を消費する人々であり、作り手の「糞」に対しての思いはわからない人たちでした。
こうした産業構造や人口構造の変化によってウンコは徐々に侮蔑の対象になっていたのです。
愛知県で見るウンコへの視線の変化ー人口増加により糞尿の処理力を越える
ここでは愛知県の例が紹介されています。
愛知県は鉱業の勃興が著しく、人口も数十年間で倍々になります。
一九一二年から一九二八年までに工業の割合は六二・二%から八一・二%と増加し、工業中心の都市になりました。
この人口増加や工業の発展は鉄道網が敷かれていくことも関係しています。
一九〇〇年から一九三五年までに次の図のように鉄道が敷かれ、それに乗じて都市域が拡大していくのがわかりますね。
↓歴史においてインフラが果たした役割を詳細に記した本。
人がある場所に住み出すのはインフラがあってこそであり、道路も水道も整備されていないところに好き好んで住む人はいない。
結果としてインフラがなければ満足な発展はない、ということがよくわかる。
さて、人が増えてくれば屎尿の量も莫大になります。
公害・環境問題が出始め、愛知県では衛生組合の設置が発途し、これが内務省衛生局に採用されて、全国に普及します。
愛知県では一九〇〇年に全国的に「汚物掃除法」が制定されたときですら、屎尿を「汚物」扱いしませんでした。
まだ農家が重要な産業だったからです。
しかし、急激な人口増加により、農家が肥料として使うことができる以上の人糞尿が排出されるようになったために一九三〇年(昭和五年)の汚物掃除法で愛知県において「屎尿」は「汚物」扱いされるようになります。
大量の屎尿は下水処分が施されることになります。
一九三〇年(昭和五)年には堀留、熱田に処理場が設置され、一九三三年(昭和八)年には露橋、一九三五年(昭和一〇)年には熱田下水処理場が完成した。以降、屎尿処理は徐々に下水道行政には組み込まれていくことになる。
とはいっても、この頃までは屎尿処理技術が低かったために下肥利用との共存がなされていました。
戦後、アメリカの占領下で下肥などは化学肥料にとってかわられます。
下肥で作られた野菜は寄生虫や疫病の原因として排撃され、下肥を使っていない野菜を「清浄野菜」と呼ぶようになりました。
これにバクテリアによる分解技術が発達し、下水処理されます。
分解されたあと「汚泥」となり、セメントの混和剤、軽量コンクリート建材、セメント・アスファルト原料として、私たちに臭気を感じさせない状態で再利用され、ひっそりと循環しているのです。
終わりに
ウンコの話、どうだったでしょうか。
第三章から第五章までを駆け足でみてきましたが、かなり具体的で細かい事例を省き、流れだけを追った記事にしています。
よって、ウンコの歴史を古文書や史料を駆使して解き明かしていく醍醐味が私ズンダの文では失われております。
一読する価値のある本ですので、ぜひとも以下のリンクからお買い求めになりますよう、よろしくおねがいします。