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保育園や幼稚園に通っていない子供たち、〈無園児〉の存在を知っていますか?

 
 

 皆さんは保育園や幼稚園に通えない子供達がいることをご存じですか?
 
 国の二〇一八年度の推計によると9.5万人ほどいるそうです。

 幼児期の教育は人にとって大きな資産になるといわれいますが、その大事なときに教育格差がついてしまうのは子供がかわいそうですよね。

 

 今回紹介する本は可知悠子『保育園に通えない子どもたち』(ちくま新書)です。

 

 

 では、見ていきましょう。

 この記事を読むと次のことが分かります。

☆保育園にも幼稚園にも通っていない無園児の存在

☆貧困な家庭で育つことは子供の人生に悪影響を与える

 

 

 保育園や幼稚園に通えない人々の実態

 無園児の数

「無園児(推計未就園児)」の割合は、三歳児で5.2%(5.1万人)
四歳児で2.7%(2.7万人)
五歳児で1.7%(1.7万人)

 

 

 これらを足した数が9.5万人というわけです。
 ※該当年齢で推計される人口から、無園児に関する調査は行われていないので、幼稚園、保育園、認定こども園に在籍して生きる子供の数を差し引いて計算されたものである。

 

 どんな家庭が子供を幼稚園や保育園にいかせないのか?

 

 では、どういった家庭で無園児が多いのでしょうか。引用します。

 

 

(A)最も高所得の世帯(平均年1007万円)と比較した場合、最も低所得の世帯(平均年二四一万円)では、無園児になる可能性が一・五四倍高い。
 
(B)きょうだいがいない一人っ子と比べて、本人以外に三人以上いる場合では、無園児になる可能性が一・九二倍高い。

(C)親が日本国籍と比べて、両親のどちらかが外国籍の場合では、無園児になる可能性が一・四八倍高い。

 

 

 

 低所得者、子供の数が多い、親が外国籍という三つが子供を無園児にしがちな家庭の特徴だということですね。

 

 どのような健康・発達状態の子供が無園児になるのか?

 引用します。

 

D)二〇〇一年生まれの四歳では、出生週数が三七週以降の正期産と比較して、三七週未満の早産では、無園児になる可能性が一・九七倍高い。

(E)二〇〇一年と二〇一〇年生まれの三歳では、先天性疾患がない場合と比べ、ある場合では無園児になる可能性がそれぞれ一・五五倍、一・四〇倍高い。

(F)二〇一〇年産まれの三歳では、二歳六ヶ月時点で発達の遅れがない場合と比べ、ある場合では無園児になる可能性が十・三七倍高い。

 

 

 要するに子供に何らかの障碍があると、保育園に受け入れてもらえなかったり、親の心労などが積もって、子供を教育する気がなくなったりしているわけです。

 

 子供を保育園などに通わせない理由はなんなのか

 

 

 氏による調査をみてみましょう。
 

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本書より

 これをみると、そもそも保育園や幼稚園に通わせる「必要がない」が主な理由を占めていることがわかりますね。

 この調査では理由については大まかに調べることしかできなかったと可知氏はいっておられます。

 

 しかし、氏は自治体や支援団体、当事者へのインタビューなどから得た情報を基に考察しておられます。

 ここでは彼女が挙げた理由をまとめてみましょう。

 

 ①母親が就労しておらず、近くに公立幼稚園がない。
 ②保育料以外の費用が負担になっている。 

 ③親がメンタルヘルスの問題を抱え、入園手続きや通園ができないケースも考えられる。
 ④子供の多い世帯は兄弟が下の子をみるので、両親が就園の必要性を感じない。
 ⑤早産や先天性疾患をもった子供は看護師がいる保育園や障碍児向け保育園が近くにないと就園できない。ASDADHDやLD(学習障碍)など。
 ⑥親が外国籍だと言葉の壁があるので入園手続きができない。親の雇用が不安定なので入園で不利になる。

 

 

 これらの理由が複合的に重なることで、彼らは子供を入園させることができなくなってしまっているのです。
 
 詰まるところ、社会的弱者に多いといえそうですね。

 

 海外ではどうなのか

 

 海外は保育園と幼稚園とを区別していません。保育機能と教育機能をあわせもっているからです。

 図をみるとわかるように四、五歳では殆どの国も在籍率が九割をこえています。

 

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本書より

 無論、無園児もいるわけですが、その理由は日本とほぼ同じです。

 世帯所得が低い、親の教育水準が低い、両親または片親が働いていない、移民である、といった理由です。

 

 なぜ貧困であることはダメなのか?

 貧困だと人生で苦闘せざるを得なくなる

 

 ところで、このブログを読んでおられる方の中には「貧困でもいいじゃないか!倹ましくいきていこう!」というかたもいらっしゃるでしょう。

 確かにそれは自由ですし、そもそも貧乏から這い上がることは非常に難しいので仕方がないと諦めるのも理解できます。

 

 ただ、やはり人生において貧乏であるよりは裕福であるほうが何かと都合が効くようになるのはいうでもありませんね。

 

 この本では子育てがそれに該当します。

 

 お金のない家にうまれてしまうと子供はどうなるのかー家族ストレスモデルと家族投資モデル
 

 本文からまとめてみましょう。

 

四年制大学への進学率が低い
・最終学歴が低いと正社員として雇われにくくなる。
・自分の子供も貧しい人生を送る傾向がある。

 

 

 という事実があるのです。

 更に、経済学、社会学発達心理学の研究によれば、貧困が子供の発達をどう阻碍するのかモデルがあります。

 「家族ストレスモデル」と「家族投資モデル」の二つです。
 引用します。

 

 

「家族ストレスモデル」は、“経済状況が悪い→家族の経済的困窮→親の情緒・公道上の問題の増加→親の不適切な養育→子どもの発達へのネガティヴな影響"という、親の情緒・公道上の問題を経由したプロセスを想定しています

 

「家族投資モデル」は“経済状況が悪い→親の教育投資の低下や居住環境の劣化→子どもの発達へのネガティブな影響"といった、主に親の教育投資を経由したプロセスを想定しています。

 

 

 

 これは日本でも、菅原ますみ「子ども期のQOLと貧困・格差問題に関する発達研究の動向」において、実証済みだそうです。

 
 このモデルは非常に納得しやすいですよね。
 貧乏だと精神的に病みやすくなるし、子供に投資するお金もないので子育てへの不安や焦燥が募るばかりになってしまい、それが育児放棄や虐待などに繋がったりする。
 庶民感覚として受け入れやすいモデルです。

 

 経済状況が悪化しつづけてる日本国に於いては、親と子供を救うべく何らかの対策をしなければならないということがわかりますよね。

 この本によれば就学前の子供がいる家庭の経済状況は次のようになっているそうです。

 

 

 一九九七年と二〇一二年での比較

 

 父親の年収四〇〇万を切る家庭の割合
 二七%→三七%へ増加
 
 母親の就業率は三二%から四七%に増加しているが、三分の二を父親の年収が四〇〇万を切る家庭が占めていた。

 

 

 では、貧乏な家庭は子供を作るべきではないのでしょうか。
 すでにうまれてしまった子供達は不幸な人生を送るしかないのでしょうか。

 

 保育園が貧困家庭を救う!

 
 可知氏は山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学』を引用し、「家族ストレスモデル」は幼児教育によって改善することができると述べておられます。
 引用します。

 

 社会的に不利な家庭では、保育園に通うことで、母親の子育てストレスやしつけの仕方が大きく改善し、子どもの多動性・攻撃性も大きく現象するという知見が得られたためです。

 

 

 つまり、幼児教育を政府が拡充していく方向に舵を切れば、多くの貧困家庭が抱えるお金の悩みや育児のストレスから両親や子供を救うことができるわけです。

 

 可知氏はセーフティネットとして親や子供の両方を助けることができる幼児教育施設の価値を唱えています。

 保育園に通えるか通えないかは、子供だけでなく親にとっても、延いては日本の国家全体にとってもいいことだらけなのです。

 

 

 終わりに
 
 

 この新書は結婚や子育てについて考えておられる方にとっては必読書だといえましょう。

 

 幼児期に於ける教育は三歳時以前から価値があるらしく、母親が三歳までは子供に付き合い続ける「三歳児神話」は崩れたとの記述もあります。

 

 私たちが子供を授かったとき、どのような教育をしていけばいいのかはそれぞれの親が決めるべきことではありますが、科学的にどのような教育を与えれば、その子が健やかに育ち、満足のいく人生を歩めるのかはある程度、決まっていると言えそうです。

 

 誰も進んで貧乏にはなりたくないし、不健康になどなりたくないでしょう。

 

 人生でつらい思いなどをわざわざ味わう必要などありません。

 

 どうすれば幸せになれるのか。

 そういった「傾向」を知っておくことは誰にとっても重要なはずです。

 それを無視する意味などありません。
 
 そういう意味で、子育てを考えておられる方には是非、読んでいただきたいですね。


 では、また。ズンダでした。

 

 よかったら、読者登録&ブックマークをおねがいします!(最近、この一文を入れ忘れていたw)

 

 ↓下の記事は虐待が脳味噌に与える悪影響について書いた本。

 実は虐めや性的虐待などを子供時代に受けると脳の成長が止まってしまうという

研究結果がある。

 これはトラウマを克服するために心理面を改善しようとしても必ずしも改善するわけではないということを示唆している。

 

 今回の可知氏の本と合わせて読むと、まさに子供への適切な教育や保護などが重要であることが誰の目にも明らかになるだろう。

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 


  
  

 

 
 

黒人によるデモが起こるアメリカで 流行している白人ナショナリズムとは何か?

 アメリカで流行る白人ナショナリズムとは何か?

 
 黒人と白人との対立は混迷を極めています。

www.cnn.co.jp

 暴動に発展しています。

 今、アメリカにおいて〈白人ナショナリズム〉と呼ばれる現象があります。
 

 彼らは黒人やヒスパニック系移民などによって「権利を剥奪されている」と主張しています。

 いったい彼らは何者なのか。その発言はどこから来たのか。

 今回は、渡辺靖『白人ナショナリズム』(中公新書)をみていくことにしましょう。

 

 

この記事を読むと次のことが分かります。

・白人ナショナリズムの起源
・米国の代表的白人至上主義ジャレド・テイラーとその主張

 

 

 

 白人至上主義ジャレド・テイラーの主張

  高学歴で国際的な人間

 

 ジャレド・テイラーは白人至上主義の代表的存在と目される人物です。

 彼の経歴をざっとみてみましょう。
 引用します。

 

 日本で宣教師の両親の間に生まれ、一六歳まで香川県兵庫県で過ごした知日家。イェール大学を卒業し、パリ政治学院修士号を取得。日米間の翻訳・通訳業で成功を収め、現在は首都和親等D.C郊外に立派な邸宅を構える。

 

 テイラーの主張

 

 では、テイラーはどのようなことを主張しているのでしょうか。

 テイラーは自分たちは正当なことをいっており、かつ「白人至上主義者ではない」といっています。
 彼自身は「人種現実主義者(race realist)」「白人擁護者(white advoacate)という呼称を使っているそうです。
 
 そして、次のように我々日本人に問うています。

 

 

・もし外国人が日本に数百万単位で入ってきたら違和感を覚えないか?それに対して、異議を唱えたときに「日本人至上主義」「人種差別主義者」とレッテルを貼られたらどうおもうのか?

・黒人の命も大切だが、白人の命も大切なはずである。

 

 

 

 つまり、テイラー本人は白人を批判したり、虐げることが許されている世界はおかしい、といっているわけですね。
 自分たちは何も言う権利がないのか?というわけです。
 引用します。
 
 

 ポリティカル・コレクトネス(PC、政治的タテマエ)が跋扈する米国に「言論の自由はもはやありません。共産主義国家と同じです。」

 

 

 テイラーは自分たちが移民受け入れやPCを重視するリベラルな社会秩序によって迫害されていると考えているのです。

 

 白人至上主義とトランプの主張は似ているーペイリオコンー

 

 しかし、ここまでみてみると、トランプ大統領との親和性も見出されますね。

 トランプ氏は「米国第一主義」を掲げて、グローバリズム自由貿易などがアメリカを弱体化させてしまったということを述べ、保護貿易の価値を顕揚しているのは周知の事実。

 各所における演説でも次のようなことを述べていました。
 引用します。

 

 

 

「私たちの計画は米国第一です。グローバリズムではなく、アメリカニズムが私たちの信条になるでしょう」
 (共和党全国大会における指名受諾演説、二〇一六年七月)

 

「米国は米国人によって統治されます。私たちは、グローバリズムイデオロギーを否定し、愛国心(patrriotism)の理念を受け入れたいと思っています」(国連総会演説、二〇一八年九月)

 

 実際、アメリカに於けるこういった考え方を「ペイリオコン」(paleoconservative、原保守主義者)といいます。
 
 

 

 政治哲学者ポール・ゴットフリード(元エリザベスタウンカレッジ教授)によって名付けられました。
 ちなみに彼は、リチャード・スペンサーとともに「オルトライト」という呼称も生み出しています。

 アメリカの政党では「米国自由党(AFP)」がペイリオコンの立場に近いといわれています。

 では、ペイリオコンとは、どういった思想なのでしょうか。 
 引用します。

 

 ペイリオコンの特徴は「黄金の五〇年代」と称される第二次世界大戦後の社会を、将来回帰すべき理想と捉える点だ。その根底には、米国が戦後の反映を謳歌し、公民権運動以前の白人のミドルクラス(そしてキリスト教)中心の社会秩序を維持していた時代への郷愁がある。そして、その米国を破壊した要因としてグローバル化自由貿易、移民の流入、多国間枠組みなど)が槍玉に挙げられる。

 

 

 実際、トランプ大統領の顧問であったスティーブン・バノンやスティーブン・ミラーなどはペイリオコンの系譜に連なるとされています。

 

 ただし、テイラーは「国境壁建設も不法移民対策も実質的には何も進んでいない」と不満をもっているそうです。

 更に渡辺氏が白人ナショナリストの面々と話した際にもトランプをあまり評価してない人々も多いようです。

 しかし、彼らはどうして白人ナショナリストになったのでしょうか。
 テイラーを代表例としてみてみましょう。

 

 リベラルからナショナリズム


 実は彼は三十代まではリベラルでした。
 アフリカのコートジボワールリベリアを訪れた際、二国の経済成長に差があることに驚愕します。
 そして、コートジボワールはフランスの植民地であったからこそ発展したという地元の大学生の発言に、白人としての誇りを抱いたことがナショナリズムへの目覚めだったと回顧しています。
 
 その後、歴史や経済を学んでいくとリベラルのいっていることは「幻想」にしか過ぎないと確信するようになりペイリオコン的な本『アメリカン・ルネサンス』を発刊するに至ったのでした。

 テイラーはリベラルの「幻想」をこう説明しています。
 彼の発言をまとてみましょう。

 

 

・人種が異なれば社会の作り方や考え方が異なるので、どうしても摩擦が生じる。
リベラルのいう「多様性は力」は歴史的にいって嘘である。

・人種毎に遺伝子が異なり、知能指数の差がある現実も直視しなければならない。米国に住む北東アジア系の収入、試験の点数、教育水準が白人よりも高いのは彼らが賢いから。
 
・同様に、白人はヒスパニック系より賢く、ヒスパニックは黒人より賢い。これを見逃すとヒスパニックや黒人の失敗を「社会」、すなわち「白人」が背負わされる。

 

 

 テイラーはリベラルのいっていることは現実的にも科学的にも嘘であると主張しています。

 

 

 こういった「人種思考」(racial thinking)は白人ナショナリストの特徴の一つです。

 テイラーのように人種によって能力が異なるという考え方を「人種現実主義」(race realism)といいます。

 

 これに反して、社会学や人類学、歴史学や遺伝学では人種を「所与」ではなく「構築」されたものとして捉える社会構築主義(social constructionism)が主流となっています。
 
 これはいつ、どこで、誰が、何を以て、誰に対して、何のために、どのように人種を分類してきたかが問題という考えのことです。

 テイラーは社会構築主義に反対しているわけです。

 

 トライバリズムの時代とは

 

 分断社会

 

 「米国の分裂」、あるいは「分断」とは少し新聞や雑誌を読んでいる人たちであれば、聞いたことがあるでしょう。
 
 黒人対白人、格差社会などの溝が深まれば深まるほど、内乱が起こりやすくなってきます。

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 トライバリズムが民主主義を壊す

 

 現在のアメリカはトライバリズム(政治的部族主義、tribalism)の様相を呈しいるといわれています。

 トライバリズムとは何かをまとめてみましょう。

 

 

 

 ・人種や民族、宗教、ジェンダー、教育、所得、世代、地域などの差異に沿って各自が自らの集団の中に閉じこもることを指す。
 ・自らの部族を「被害者」「犠牲者」とみなし、他の部区を制圧しようとする。

 ・政治的指導者は国民融和を目指さずに、特定部族(=支持基盤)の利益を重んじ、他部族を敵視する。

 

 


 つまり、「自分は被害者であり、相手が全て悪い。」という考えを以て、政治権力を巻き込むことによって、更に他部族との対立を激しくし、国内の分断が進んでいくという構造ができあがってしまっているのです。

 

 その背景について渡辺氏は次のようにいっておられます。

 

 グローバル化ー移民の流入など人口構成の変化、中間層の縮小、経済格差の拡大などーに伴う、人びとの居場所の喪失感や不安、そして怒りである。多くの民主主義国家で世論の分断状況が進み、欧米では反グローバリズムを掲げるナショナリズム勢力が擡頭し、人権、平等、民主主義、多文化主義などに基づくリベラルな国際秩序が揺らいでいる。そこに過激主義や陰謀論の付け入る余地がある。

 
 いったいこれに対して我々に何ができるのか。

 もともとアメリカのような多民族国家は非常に脆い。

 以前、当ブログで書きましたように、民族ごとの経済格差や権利の大小などが火種となりやすいので、内乱が起こりやすいのです。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 このトライバリズムが起こす民主主義国家の魚爛土崩をどうやって食い止めればよいのか。

 

 その答えは『白人ナショナリズム』にはかかれていません。

 しかし、グローバル化によって差別意識ナショナリズムが高まっていったことを踏まえれば、是正しなければならない時代になったといえるのではないでしょうか。

 

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本書101頁

 

 そう考えると、トランプ大統領や白人ナショナリスト達のいっていることにも一理あるのかもしれません。

 このままグローバル化を放置した先にあるのは、更なる差別や貧困しかないのであれば……。
 
 

 終わりに

 

 

 渡辺靖氏はあとがきにおいて、次のように書いておられます。

 

 米社会の全てを人種問題に結びつけて考えないよう、過度に白人ナショナリズムを意識しないよう、自らをどう律し、制御するか。今回のテーマに関してはいつも以上に研究者としての立ち位置やバランス感覚が試されていた気がする。(中略)価値判断よりも分析を、評論よりも記述を重視した。

 

 

 「評論よりも記述を重視」とあるように、この本では白人ナショナリズムの是非についてはあまりかかれていません。

 

 納得する面もあるし、納得できない面もあるとだけかいたり、あるいは、価値判断をせずに、記述だけに止めている頁もあります。

 

 読んでいてもどかしくもあるのですが、白人ナショナリズムへの是非は受け取った情報を基に、読者が考えていくしかないのです。

 

 私がこの本を読み終え、記事を書いているうちに、アメリカでは白人警官の黒人への取り抑えが発端となり、大規模な示威運動が始まり、暴徒化した群衆が警察署を焼き払い、ユニクロLouis Vuittonの服飾を強奪する事態にまで発展しています。

 

 当然、コロナウィルスによる悪影響で、失業者が爆発的に増大し、社会不安や治安が悪化することは誰にでも予想はできていました。

 

japan-indepth.jp


 
 あとは何らかのきっかけがあれば爆発するだけだったのでしょう。

 まるで、去年流行った映画『ジョーカー』が現実になったかのようです。

 

 

 

 

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 こういった事態になってみますと、人々を治めるにはどうすればよいのか。
 政治はいったい何ができるのかを考えざるを得ません。

 

 今は対岸の火事ですが、将来、日本がこうならないと誰が断言できるでしょうか。

 

www.sankeibiz.jp

 

 上記の記事を見ましょう。

5月29日に発表された4月の雇用統計によると、パートやアルバイトなど非正規労働者は2019万人となり、前年同月比で97万人減った。比較可能な2014年1月以降で下落幅は過去最大だ。新型コロナウイルス感染拡大による悪化が鮮明となった。一時的に仕事を休む休業者は約600万人に膨らみ、働く人の1割近い危機的な水準。

  

 

 

上級国民/下級国民 (小学館新書)

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 私ズンダは「日本だから大丈夫」というあやふやな意味不明な思考はもっておりません。
 
 そういう自国への自惚れは、単なる思考停止にすぎず、今ある問題から目を背けているだけだからです。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 ということで、また次の本でお会いしましょう。
 
 ズンダでした。

 
 
 

 

 


 

【山田昌弘】収入が低いと草食化!? 日本の少子化対策はなぜ失敗したのか? 答え→【男にお金がないから】

 お久しぶりです。
 ズンダです。

 さて、コロナウイルスも一段落して、緊急事態宣言は解除されて、皆さんも外へ出て遊びたいと思っておられるのではないでしょうか。

 

 夏に向けて彼氏彼女を作りたいと考えている方もおられるかもしれません。
 しかし、ここ数十年間、日本では未婚者が増え、子供の数も減り続けています。
 
 国が少子化対策を続けているにもかかわらず、どうして日本の出生率は相も変わらずなのでしょうか。

 

 ぶっちゃけいうと、「お金」のせいです。

news.yahoo.co.jp

 

 今回紹介しますは山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社新書)です。

 

 

 

 この記事を読むと次の事が分かります

 ☆少子化の現状
 ☆なぜ少子化対策は失敗したのか?
 ☆なぜ日本人は結婚しなくなったのか?

 

 

 

日本の少子化とは?

 
 
 日本の低出生率

 

 日本の合計特殊出生率は1.6以下が30年間も続いています。

 人口を維持(=静止人口)するためには2.07人が必要とされています。
 
 2018年は出生91万8千人、死亡136万2千人と、差し引き約44万4千人が減少しています。

 

 日本政府はいつから少子化対策を始めたのかー1990年「1.57ショック」ー

 

 30年も前から合計特殊出生率が2を切っていたわけですから、政府も当然、子供を増やすための対策をしてきました。

 1990年「1.57ショック」なることばが誕生します。


 これは1989年の出生率が1966年「丙午」*1の年の1.58を下回ったことから名付けられました。

 

 これを受けて、経済企画庁が1992年に国民生活白書を出します。
 その本に「少子社会の到来、その影響と対応」と題し、少子化」という言葉が広まります。

 

 山田氏がいうには「この白書は、家族変化と経済状況を結びつけた大変優れたものであった。~(中略)~実際、25年後に起きる社会・経済問題を正しく予測していた」とのことです。

 ところが、内閣府に置かれていた国民生活局、国民生活審議会は、省庁再編のあおりをくってしまい2009年に消滅してしまい、『国民生活白書』はなくなりました。

 

 

 唖然としますね。
 国民の生活を正しく把握するための審議会が省庁再編のせいで消えてしまったとは。
 笑うに笑えません。

 

 しかし、この審議会があっても、特別な少子化対策ができなかったことも事実であります。

 ではいったい、政府はこの白書後、どのようなことをやってきたのでしょうか。

 

 遅すぎた少子化対策と噛み合った不景気の到来

 1994年 「エンゼルプラン」策定
 1999年 少子化基本方針
 2003年 少子化対策基本法
 2004年 内閣『少子化対策白書』発行

 

 

 問題が発覚してから、なんと10年の月日が流れています。

 その間に、日本ではバブルが崩壊し、政府による財政出動が抑えられ、消費税が上げられていきます。

 デフレ不況の始まりです。*2

 

 これが、何をもたらしたか?

 人口規模が大きい団塊ジュニア世代(1970~1974年)に直撃しました。
 就職氷河期世代が誕生します。

 

 勿論、景気が悪くなり、無職や非正規雇用者が増加します。

 

 不景気でも子供の数が減らなかったー数のトリックー


 すると、結婚ができなくなり、子供の数が減るかと思うでしょう。

 ところが出生数は

 

1990年122万人
2000年119万人

 

 

 あまり減っていません。

 これについて山田氏は次にようにいっておられます。

 

 団塊ジュニア世代の人口規模が大きかったために、女性1人あたりの子ども数は減っても、全体の子ども数はあまり減らなかったのである。それが、政策担当者の危機感を薄めたことは否めない

 
 

 なんということでしょう。
 団塊ジュニアはその数があまりにも大きかったために、出生者数の減少に影響がでにくくなってしまったのです。

 数のトリック、ですね。

 

 本来的には減っておかしくないのにもかかわらず、総数が多いから減少していないようにみえてしまう。

 

 しかし、日本政府の少子化対策はどうして失敗してしまったのでしょうか?

 山田氏は二つの理由を挙げておられます。

*1:ひのえうま、と読む。丙午年に生まれた女性は気性が荒すぎて結婚できないという迷信があった。そのため、日本人は丙午の年には子供をつくらないようにしていた。

*2:ちなみに山田氏は他の本でも「アジア危機」による不況を述べておられるのだが、日本のデフレ不況はアジア通貨危機のせいとはいいきれないことは以下のURLからどうぞ。

www.data-max.co.jp

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認知バイアスが知りたいあなたへ『天才科学者はこう考える 読むだけで頭がよくなる151の視点』(ダイヤモンド社)

 時間っていつのまにか過ぎ去っていると思いませんか。

 

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 色んなことを知りたいけれども、時間的な余裕がない。

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 彼は我々が豊かに暮らすために必要な知識を科学論文に基づいて、教えてくれています。
 
 正否は別としても、形式的な手続きとしては真っ当だといえるでしょう。

 

 そんな多忙だが、なんとか勉強したいという方々にお勧めの本があります。 

 

 ジョン・ブロックマン編『天才科学者はこう考える』(ダイヤモンド社)です。

 

 

 

 

 

 世界の見方を変えるとは?

 

 学者が揃ってメタ認知について述べる

 
 この本は151人の心理学、物理学、進化動物学、行動経済学、実業家を専門とした人々がネットサイト「エッジ」に寄稿した文章を編集したものです。

 サイトや会議を通して、一流の専門家達が交流し、活動してきました。

 

 本書では、その最新の知見を惜しみなく紹介してくれています。

 

 「はじめに」でデイヴィッド・ブルックス氏は「本書の寄稿の多くは、メタ認知の話だ。(中略)人間が物事をどう認知しているかを書いた寄稿が多い。」と述べておられるように、私たちの物の見方を変えるような驚くべき研究が載せられています。

 

 普通では考えることがないであろう思考に触れる機会を与えてくれる本なのです。

 

 SHA(手軽な抽象表現)とは何か?

 

 ジェームズ・フリン(オタゴ大学 政治学部名誉教授)は、私たちが専門家の考えを利用し、実人生に活かせる言葉を「SHA(手軽な抽象表現)」と呼んでいます。

 

 譬えとしては「市場」、「プラセボ」、「無作為標本」、「自然的誤謬」などです。
 確かにこういった抽象的な用語を理解しておくと、物事を解釈する際に役に立ちますよね。
 
 例えば、今、あなたは名前は知っているが場所を知らないお店に行こうとしています。
 そのとき、渋谷の地図をみなかったとします。
 そうすると、当然、お店が何処にあるのかわからないので、渋谷中をあるくはめになります。
 
 いつまで歩く気なのでしょうか。
 
 日が暮れても見つからない可能性がありますよね。

 これなら最初から地図をみて、目標のお店近くの指標に印をつけ、渋谷駅から目印を頼りに、経路を確認してたどり着いた方がいいわけです。

 

 編集したジョン・ブロックマンは「人々の認知能力を向上させうる科学的な概念は何か?」について次のように答えています。

 

「科学的な概念」は、哲学、論理学、経済学、法律学など、何かを分析する活動から生まれてもおかしくない。
 世界の理解に広く適用できるという条件を厳密に満たす「認知の武器」となるものであれば、短くまとめでも構わないものとする。

 

 

 では、ここからは私ズンダが面白いと思った説を紹介します。

 

 世界への認知を変える

 

 フィエリー・クッシュマン「ダブルスタンダードには二重の悲劇が潜むー作話の危険性」

 

 フィエリーは「私たちは、自分が特定の言動をとる理由について驚くほど無知だ」といい、何かをした理由を説明したときに必ず「作話」をしているとまでいいきります。

 

 すなわち、話を盛っていたり、創作していたりするというのです。

 

 我々の無意識な選択は多くの調査に寄って明らかになっています。

 

 

 ・デニスやデニースという名前の人は、デンティスト(歯医者)になりやすい。
 
 ・ヴァージニアという名前の人はヴァージニアに住む傾向が高い。

 ・人は悪臭の漂う部屋にいると、嫌悪感が道徳的感情に反映されて、無情な道徳判断を下しやすくなる
 
 ・女性は排卵周期の妊娠可能期間とそうでない期間とでは、前者のときに父親の元をあまり訪れたがらない。近親相姦の回避の表れで、母親を訪ねる場合は起こらない
 
 ・ホットコーヒーとアイスコーヒーでは、ホットコーヒーを手にしているほうが人間関係に「温かさ」の影響が反映されて、見知らぬ人に対して寛容になり、思いやりを示すようになる。

 

 特に上二つの例はダジャレのように聞こえますが、人は頻繁に耳にする言葉に親しみを覚えてしまうということなのでしょうね。

 

 さて、フィエリー氏はこうしたダブルスタンダード(意識と無意識の二つ)は悲劇を生むと述べておられます。引用します。

 

 

他者の行動については、好ましくない動機や稚拙な判断の表れだとすぐさま結論づける点だ。
 そうやって、無意識の影響を受けたかもしれない行動を、意識的な選択だと決めつける。
 もう一つは、自分自身の選択に関しては、自分が思い起こせる意識的な説明だけに基づいて行われたものだと思い込み、無意識の偏見が影響を及ぼした可能性を拒絶または無視する点だ。

 

 

  そして、人がダブルスタンダードで動いていることさえ知っていれば、「他者の行動については、当人が意識している動機を非難することなく受け入れられるようになる。そして自分自身の行動については、望まれてもいなければ目に見えることもない無意識の影響が働いていないかどうかを、これまで以上に調べるようになる」と結論づけています。

 
 要するに、人間の行動には二つの基準があるので、もう少し幅広く人の行動について理解するようにしましょうね、というわけです。

 

 まさに上述したように認知の仕方が変わるような例ですよね。
 
 人間の行動原理を知ることで、自分や相手が‘なぜこんなことをしたのか’について推察が及びやすくなったり、寛大な気持ちになれるのですから。

 

 とはいっても、Aの理由はBが原因である、と決めつけるのは注意が要ります。

 

 デイヴィッド・ピザーロ「試合の勝利とはいていた靴下には関連があるーアポフェリア」

 

 

 彼は次のように述べておられます。
 要約します。

 

 

 人の脳はパターン検知にすぐれている。そのメカニズムで物体や事象や人の間に隠された関係を明らかにしている。
 もしこの能力がなかったら、情報を整理整頓することができなくなるので、支離滅裂なものに感じてしまうだろう。

 

 このパターン検知ができない精神疾患をドイツの神経科学者クラウス・コンラッドは「アポフェニア」と名付けた。

 

 しかし、行動科学の報告により、これは健康で教養のある人にも起こりうるということが分かってきた。

 

 ・今日履いている靴下と勝利には関係があった。

 ・予防接種を受けさせない親は予防接種と病気に因果関係があると思っている。

 ・不規則なノイズに仮説を実証する結果を見出す科学者

 

 こうしたアポフェニアは日常的に起こるものであり、因果関係については注意深く考えるべきだろう。

 

 

 

 上述のように、我々は世界への認知を新たにしても、それを使いこなせるわけでもなく、また新しい誤解の渦に呑み込まれる可能性があるわけですね。

 

 用語の問題点ー名付けの誤謬

 

 むしろ、SHA(手軽な抽象表現)を学んだところで、馬鹿になっていくだけなのかもしれません。

 

 スチュワート・ファイアスタインは「名前がつくと、わかった気になるー名づけの誤謬」で、「名前を知れば、それに対応する現象も理解した」状態になってしまうことを「名づけの誤謬」と呼ばれていると紹介しておられます。

 

 例えば、パーキンソン病の患者について「寡動」や「振戦」という用語が使われています。
 これは「動きが遅い」、「いつも震えている」と伝えているだけにすぎません。

 

 なぜそういった現象が起こるのかについては依然として判明していないのです。

 それなのにもかかわらず、「パーキンソン病の主症状は寡動である」といわれてしまうと、我々は納得してしまう傾向にありますね。


 
 つまり、「名づけの誤謬」は本来たいした意味のない言葉を不当に科学的に見せてしまう危険性があるわけです。

 

 SHAへの疑義も忘れずに!

 

 これはもちろん、今回の記事冒頭に記した「SHA」についても同様のことがいえます。

 

 本書の最終項目において、エルンスト・ペッペル〈「知性のゴミ」を捨てるにはー手軽な抽象語〉はこの問題を扱っています。

 引用します。

 

 認知の武器は知性のゴミであふれている。(中略)「SHA(手軽な抽象語)」がいかに私たちの創造性を制限しているかを確かめてみてほしい(このSHAという言葉そのものがいい例だ。)

 

 

 もはや完全にSHAを小馬鹿にした文章になっています。
 中身も非常に面白いので詳述は本に譲ります。

 

 ただ大事なところについてはまとめておきましょう。

 

 SHAで科学的な知見を得たつもりになって、外部世界を見ようとしても、結局はSHAという概念にとらわれて、また世界を見誤ってしまうというわけです。

 私たちの現実は一つのSHAなどで語り尽くせるものではありません。

 
 実際はもっと言葉にすることの出来ない複雑多岐な構成によって、世界は成り立っています。

 

 しかし、何処かでケリをつける必要があります。
 上述したように「検知パターン」がなければ、私たちは情報の渦を処理しきれなくなり、自分を保てなくなるからです。
 
 エルンストは自分もまたSHAにつきまとわれていることをわかっています。
 SHAを抜きにして人間は生きていくことはできないが、無分別にSHAを使っていいことにはならないと主張しています。

 

 終わりに

 

 ジョン・ブロックマンの「まえがき」を否定するかのような言説を巻末にもってくるとは実に洒落てますし、知的に誠実だともいえましょう。

 

 実際、この本を読んで「何かが分かった気になる」ことが一番まずいのかもしれません。

 我々は常に誤解と一緒に歩み続けなければならない。しかし、無分別に信じ切ってもいけない。

 

 


 
 そんなことが書いてある本でした。

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。

 
 

  ↓これも人間の判断の仕方について書いた本です。有用。

zunnda.hatenablog.com

 


 

 本書でやや気になった点

 1 日本語がおかしい
 2 副題の内容が本文で語られていない
 
 1について

 なぜ[自分ごと]としてとらえないのか。社会学者は多くの検証に基づく[理由を理解]している 。(P483)

 [自分ごと]という日本語は一般的ではない。「他人事にしか感じないのか」と訳した方が適切ではないか。

 また、[理由を理解]は「理」が連続して二回も使われており、稚拙な訳文ではないか。
 「理由は解っている」や「理由は判明している」などでもいいのではないか。 

 2について

 「なぜ自爆テロリストは男性ばかりなのかー性選択」を読んでも、「なぜ」の部分が全く書いていない。副題詐欺である。
 性による男女差について語っている章なので、もっと別の名前をつけるべきでないのか。

 

WHOはどんな組織だったのか?託摩佳代『人類と病』(中公新書)を紹介する!

 今回紹介する本は託摩佳代『人類と病』(中公新書)です。

 

 

 

 

 題名の〈病〉とは単なる風邪やガンなどとは違います。

 

 人類を危機に陥れたスペイン風邪やペストなどの深刻な病のことを指しています。

 コロナウイルスが流行っている中、WHOという国際組織について「中国の傀儡ではないか」と批難されています。

 

gendai.ismedia.jp

 アメリカはWHOに資金拠出を停止という声明を出しました。

 

www.bbc.com

 実際、堤未果氏によれば、単なる人助けのためにある大志を持った人々による機関ではなく、非常に政治的な組織だそうです。

www.youtube.com

 

 そこで、今回はこの本のWHOの創立背景と各感染症に対して各国の思惑が書かれた部分を少しばかり摘出して、紹介することにします。

 

 つまり、WHOとは当初から政治的な組織であったのです。

 

 

 

 WHOの創立と理由

 

 戦前の国際連盟保険機関の後続として

 

 第二次世界大戦後に、国際連盟保険機関で働いていたゴーティエとビローは国際保険機関構想を練っていました。

 彼らは「健康」の意味を〈病気にかからない状態ではなく、肉体的、精神的、独特的に健全な状態を意味する〉と考えていました。

 そのためには世界が共通して情報や技術を提供し合って、国際的な病に対処することのできる機関が必須だったのです。

 

 アメリカがWHO設立を先導するー経済的繁栄のためにー

 

 一九四五年、サンフランシスコ会議が開催されます。

 ここでブラジル代表が輸送の増大により感染症が広まりやすくなる。そのため、国際的な保険事業が必要であると主張します。

 
 この提案は受け入れられ、アメリカが先導して国際保険機関設立に向けて動きます。
 なぜアメリカが動いたかというと理由は三つです。

 

 

 ①アメリカは第一次世界大戦スペイン風邪のような感染症を防ぎたかった。

 ②戦後のアメリカ社会、そして国際社会における平和と繁栄につながる期待があった。当然、感染症が流行れば世界中の購買力が下がるので経済に大打撃を与える。それを防ぎたかった。

 ③国際連盟保険機関の国際官僚と英米保険者は第二次世界大戦中から接触していた。ゴーティエとビローはイギリスとアメリカに国際保険機関の必要性を説いていた。

 

 イギリスVSアメリカー戦前戦後で世界の指導国が変わった

 

 一九四六年六月にWHO憲章起草のための国際保険会議がニューヨークで開催されました。
 
 会議の争点は敗戦国の加盟を認めるかどうかでした。


 イギリスは慎重な姿勢でしたが、アメリカは全ての国にひらかれるべきだとして、WHO憲章に署名した国すべてが加盟できるようになりました。

 

 もしイギリス側の主張が通っていた場合、「国連保険機関(Health Organization of the United Nations)という国連加盟国に限定した機関名になっていたといわれています。

 

 また問題になったのは自治地域の加盟です。
 
 戦後間もない頃、世界にはヨーロッパ各国の植民地が多数ありました。

 これらの地域は宗主国の承認があってはじめて「準加盟資格」が申請できるようになりました。

 しかし、多くの植民地をもっていたイギリスがこれに反発し、〈宗主国から代表派遣できる仕組み〉を模索しましたが、リベリアとの攻防の結果、準参加資格を認められた国出身の人間が代表として選出されることになりました。

 

 イギリスは戦後もなお、植民地に対して権威をもっていたかったのですね。

 イギリスに限らず、ヨーロッパ各国は第二次世界大戦後もアジアやアフリカ諸国への植民地経営をやめようとはしていませんでした。
 
 そのことは講談社現代新書の『入門 東南アジア近現代史』に詳しくかかれていますので、一読を。

 

入門 東南アジア近現代史 (講談社現代新書)
 

 

 ソ連アメリカー冷戦による対立ー

 

 こうしてアメリカ主導でWHOは設立されましたが、冷戦が始まったことで、アメリカ(西側諸国)対ソ連(東側諸国)の対立が生じました。

 

 ソ連は国連が安全保障以外の問題を扱うことに消極的でした。

 

 妥協案として議長はアメリカ代表、副議長はソ連代表が据えられましたが、彼らによる軋轢はやむことがなく、たびたびつばぜり合いがおこります。

 

 たとえば、WHO設立のための批准国数を増やしたり、WHO本部をどこに設置するかといった議論で対立していました。

 最終的にはスイスのジュネーブに決定されます。
 
 WHOの誕生は冷戦時代の影を濃厚に反映しているのです。

 

 WHO憲章ー健康とはどういう意味かー

 

 一九四六年七月二二日に六〇カ国によってWHO憲章が署名されます。
 
 憲章の序文で、「健康(Health)」とは「単に疾病又は病弱の存在しないことではなく、身体的、精神的、社会的に完全に健康な状態」と明記されます。

 ゴーティエが執筆しました。

 

 鬱であったり虐待を受けたり、社会的に孤独なことは不健康である。

 そういったことがここで明確に打ち出されたのです。

 

 一九四八年四月七日にWHOは設立されます。
 
 会議から二年かかりました。

 これは英米ソ連と国際政治的な対立があったためです。
 
 ソ連の要望に応え、設立に必要な批准国の数は当初の二一から二六に増やされたために時間がかかったのですね。

 

 ここまで見てきたように、大国による国際政治力学の産物、それがWHOでした。

 もちろん、途中で見たように、リベリアのような小国がイギリスに対峙したことで通った議案もあるため一概にはいえません。
 しかしながら、「世界の健康のために」という崇高な思想のみで動いてはいないことがわかるでしょう。

 批准国があるということはそれだけ多くの国々の立場や都合が反映されてしまうわけです。

 

 WHOの活動には常に国際政治が渦巻いているといえるでしょう。

 

 

 では、WHOが果たした大きな成果とはなんでしょうか。

 WHOは完全に役立たずといってよいのか。

 良いところもあったのではないだろうか。

 

 その部分も見なければ公平とはいえませんね。

 

 天然痘根絶事業

 天然痘の特徴、症状、民間療法

 

 一九八〇年五月、天然痘は根絶が宣言されました。
 これこそまさにWHOの功績であり、WHOがなければ根絶されることはなかったでしょう。

 ではいったい、どのようにして天然痘対策はすすんでいったのでしょうか。

 

 天然痘は媒介物が存在せず、人間にしか感染しません。
 
 
 潜伏期間は約一週間で、発症すると高熱と寒気、頭痛が起こります。

 口の中や体に赤い発疹がみられ、それが膿疱となり、喉に膿疱ができると飲食が困難になります。
 
 膿疱はカサブタとなり、その傷は一生のこります。
 また、生存できたとしても失明する人が多かったそうです。

 

 天然痘はワクチンが開発されるまで伝統療法による迷信的な治療法がありました。

 ヨーロッパでは赤色が天然痘に効くと伝えられており、赤色の服を着たり、部屋を赤色の服で覆ったりしたそうです。

 日本でも福島の玩具、「赤べこ」や岐阜の「さるぼぼ」などは天然痘への対策として使われていたのです。

 

 予防接種の誕生

 

 一七九六年、イギリスの医師エドワード・ジェンナーが乳搾りをしていた人は牛痘にはかかるが、天然痘にはならないことに注目し、牛痘患者の手にできる水ぶくれに予防物質があると推測して、その液体の一部を少年に接種します。

 この発見により天然痘を予防できるようになりました。

 

 WHOが天然痘根絶に乗り出す、そして、ソ連が動いた

 

 さて、そこから二百五十年程たち、WHOは天然痘を対処すべき保険課題の一つとして認識していました。

 一九四八年には天然痘の共同研究委員会が設置されました。
 一九五三年には天然痘根絶に向けた五カ年計画が提案されています。

 

 しかし、多額の予算がつぎこまれることはありませんでした。

 

 多くの加盟国にとって、天然痘は地域の課題でしかなく、マラリアへの対策のほうが優先事項だったからです。

 

 ところがここで、ソ連が突如として天然痘問題に参入します。

 WHO設立後、ソ連は一度も世界保健総会に代表を派遣してきませんでした。
 一九五八年、初めて派遣された代表が天然痘根絶計画」を提案します。

 

 当時、ソ連では近隣のアジア諸国から天然痘がもちこまれ、国内を脅かすような病気になっていたのです。

 また、アメリカに対抗するための策として持ち出してきたという理由もありました。 マラリア対策で保険事業を引っ張るアメリカに好き勝手させられなかったのでしょう。

 

 コロナウイルス後の日本人

 

 自国が困ると、急に態度を変える。
 世の中とはそういうものです。

 そしてこれは国に限ったことではありません。


 個人もそうだということを覚えておきましょう。

 

 特にコロナウイルス後の日本をみていると、私はつくづくそう思わされます。

 今まで「政府の役割」に対して、見向きもしなかった人々が財政出動への賛意や国による強制的な緊急事態宣言を求めるなど、それまでではありえなかった光景です。

 この人たちは「政府の役割などない」といっていたはずだが、手のひらを返して、恥ずかしくないだろうか?とおもうのですが、そこは鉄面皮、厚顔無恥の徒だなあ、と。

 

 そうやって政治を軽視していたから、こんな事態になっているのでは?とおもわないでもありません。

 

 ソ連アメリカが共同で天然痘退治へーベトナム戦争の影響ー

 

 さて、ソ連の提案はマラリア対策への予算偏重と西側諸国からの反発により、なかなか進展しませんでした。

 

 ところが、この案にアメリカが乗ります。


 一九六〇年代、ベトナム戦争における実質的な敗北により、アメリカは国際的な権威が低下し、信頼回復のために一手を討つ必要がありました。

 

 そこで天然痘を政治的に利用することで、アメリカの地位に梃子入れしようと考えたわけです。

 

 というわけで、一九六六年の世界保健総会で、天然痘根絶計画の強化策がアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の支持を以て採択されました。

 

 その後、ソ連アメリカは啀み合いながらも、お互いに協力しました。
 WHOも彼らの野心を知りながらも、それにより感染症を駆逐できるのであれば利用しようと考えていました。

 

 結果、一九七七年一〇月、ソマリアで最後の天然痘患者が確認され、一九八〇年、ついにWHOは天然痘の世界根絶宣言をおこなったのでした。

 

 WHOへの見方を変えるべきである

 

 詫摩氏は次のようにまとめておられます。

 

 感染症との闘いは、治療法やワクチンの開発など、医学の発展に大きく助けられてきたが、同時に、国際政治の影響も受けてきた。

 その一方で、各国の関与をうまく活用しながら専門家たちを中心に、人間の健康を確保するための、地道な努力が積み重ねられてきた。

 このように感染症との闘いは、国際政治のなかで、いかにその本来の目的ー達成可能な最高水準の健康を達成するーを確保していくかの闘いでもあった。 

 

 WHOは各国の思惑を享受しながらも、強かに利用する術を得て、病気と闘ってきました。

 

 さて、今のWHOにはこの気概や戦略があるのでしょうか。

 私には分かりません。

 

 しかし、彼らを単なる善意の徴としてみるのではなく、一種の政治的存在として見ていくことが、今、我々一般人には求められているのではないでしょうか。

 

 我々はWHOを「政治を利用し、また、利用されながらも、感染症と闘う組織」としてみるべきなのでしょう。

 

 前述したように、WHOは常に政治と共にありました。

 それは今に始まったことではないのです。

 

 彼らは国際政治の中で、舵取りをしながら、感染症に立ち向かう組織だったのです。

 

 WHOを純粋な善としてみること自体がおかしな話なのです。

 彼らはもっと狡猾であり、その狡さの中で病と闘ってきた人たちの集まりであることを、私たちは歴史から学ぶべきではないでしょうか。

 

 彼らの活躍もあって、我々の生活は「健康」たりえた側面があるのですから。

 

 

 ↓疫病が起こった後の社会でなにが起こるのかを歴史的にみた本。今の時代に適している。

 

 

 

 

 


  

 

女の人に「学問」はいらないの?小馬鹿にされる女学生『魔風恋風』と明治日本

 
 小杉天涯『魔風恋風』という明治時代三十年代に讀賣新聞上で連載されていた小説があります。

 今回はこの小説と女学生についてみていきましょう。

 

 

魔風恋風 前篇 (岩波文庫 緑 114-1)

魔風恋風 前篇 (岩波文庫 緑 114-1)

  • 作者:小杉 天外
  • 発売日: 1951/09/25
  • メディア: 文庫
 
魔風恋風 後篇 (岩波文庫 緑 114-2)

魔風恋風 後篇 (岩波文庫 緑 114-2)

  • 作者:小杉 天外
  • 発売日: 1951/09/25
  • メディア: 文庫
 

  この記事を読むと以下のことがわかります。

 ☆当時の女学生への評判 

 ☆近代日本の知識人層の煩悶

 

 

 

 『魔風恋風』における女学生

 差別的といえば差別的

 

 今読んでも古びた感じのしない小説です。
 

 女学生、初野を主役として、現在の昼ドラやラノベのような展開が繰り広げられます。

 

 ただし、時代のせいもありますが、女学生に対しての蔑視や差別的な言辞も多々あります。

 

 たとえば、物語の冒頭で初野が住む下宿先の主婦が次のようにいいます。

 

 然う云ふ容貌なら、誰も打棄つとく筈は無いんだもの・・・・・・。ぢやア、全くの處女(バアジン)か知ら?一九にも成つて、感心だわねえ。

 

 あるいは初野を狙う殿井なども

 

 卒業をしてそれから何仕(どうし)ようと云ふんだ?財産家なら學問が無いでも、幾らも貰ひ人が有りさうなもんぢや無いか・・・・・・?必然(きっと)何だね、許嫁でも在つて、其奴が教育が無ければ不可いとか何とか・・・・・・其様なところだね?

 

 更に続けて、

 

 でなきゃ、女子が學問して何に成るんだ・・・・・・?

 

 

 と述べています。

 今なら、女性差別と非難されるであろう言辞は小説全体に渡っています。

 
 初っぱなから下世話な話がはじまり、その後も、中年ぐらいの登場人物達は口々に「女学生は身持ちが悪く、男と付き合うことしか考えていない。学問などに相応しくないのが女である」と散々な評価を下します。

 

 肝心の学問については触れられることがない

 

 この作品において、女は学問とは縁遠い存在であり、進学する理由は男と遊ぶために過ぎないという描写が徹底されているのです。

 実際、この小説を読んでいくと初野は眉目秀麗、才色兼備の人物であることはわかるのですが、「何の学問を学んでいるのか全くわからない」まま話が終わります。

 我々読者は、初野が「勉強している」ことを知っても、彼女が「何を」勉強しているのかについては知ることはありません。

 

 明治時代の女学生観ー堕落女学生ー

 

 どうしてこのような描写がなされていたのでしょうか。

 実は、作者である小杉天涯がそういった描写を忘れていたわけではありません。

 当時の女学生への評価そのものが、この小説に描写にあらわれているのです。
 
 その背景を稲垣恭子『女学校と女学生』(中公新書)から見ていくことにしましょう。

 

 

 

 明治時代、「堕落女学生」なることばが新聞紙面を踊ることが多かったといわれています。

 稲垣氏は深谷晶志『良妻賢母主義の教育』(黎明書房)の研究を引いて、次のように書いています。引用します。

 

 連日のように知識人向けの雑誌から一般雑誌や単行本、新聞の読者欄まで広い範囲で頻繁に記事が掲載され、さまざまな角度から論じられている。(深谷昌志『良妻賢母主義の教育』黎明書房、一九六六)。
 新聞記事の中には、女学生が不良学生に騙されて堕落したとか、詐欺や窃盗で拘引されたといった醜聞記事が、「海老敷の大堕落」「女学生の果」「堕落!堕落!」「天狗の妾ハ女学生上がり」「新魔風恋風」などといったセンセーショナルな見出しとともに、数多く掲載されている。

 
 上京して女学校に通う女性達が恋愛や性関係によって「堕落」してしまうことが一つのネタとして扱われていた時代があったのです。

 

 当時の文学作品である菊地幽芳『己が罪』や小杉天涯『魔風恋風』、田山花袋『布団』などで扱われた題材にもなっています。

 

 今でも地方から来た田舎娘が上京して、垢抜けて、豹変してしまうという話はネットでもよくみかけますが、当時から問題視されていたわけです。

 

 設立されていく女学校

 

 稲垣氏はこういった批判が流行った理由があるといっておられます。

 

 明治時代、「高等女学校令」が発布され、進学希望者が増大します。
 当然、学校が足らないので私立の女学校が設立されます。

 

 濫立される女学校に対して「営利を目的とする処の似非女学校」「悪女学校」といった罵詈雑言が浴びせられるようになります。

 

 これも想像はしやすいですね。
 皆さんも、あるモノが流行ると、それを真似しただけの製品が粗製濫造されるのをみたことがあるでしょう。

 

 当時の教育者や評論家達にとって、女学校が雨後の筍の如く作られていくありさまは、粗製濫造された商品のようにみえていたのです。
 
 一九〇五(明治三八)年三月の『中央公論』には女子大学について「其学問は悉く浅い、卒業した暁に、さて何が出来ると専門的に聞かれたら、依然として何も解らぬ」という紅鹿子による記事が載りました。

 

 「女子大学」とは一九〇一年(明治三四)年に成瀬仁蔵によって創設された日本女子大学校のことです。
 これは一九〇三(明治三六年)の専門学校令を受け手、一九〇四(明治三七)年に女子専門学校になったところでした。

 

 戦前において、女子の高等教育機関は東京と奈良の官立女子高等師範学校以外では、私立の女子専門学校しかありませんでした。
 この「女子大学」は一五〇〇名もの女学生を擁していたわけで、批判の矢面に立たせられたわけです。

 

 一九〇五年の段階では女子の尋常小学校卒業者のなかで高等女学校に進学する割合は二パーセントほどでしかなく、高等教育機関ともなれば戦前期を通して一パーセントにも満たなかったのです。

 ですから今と異なり、猫も杓子も中学校や高校にいっているわけではなく、選ばれた女性たちであったことは間違いありません。

 

 女学生たちはなぜ馬鹿にされたのかー近代日本の悩みー

 

 問題は彼女らに対して「軽薄」「虚栄心」「結婚のための教養」などといった見方がどうして投げつけられていたのかということです。

 

 氏はそれを「語る側の立場」や「意識が強く反映されている」と述べておられます。

 

 稲垣氏によると、「女学生文化」は以下のように図示できるそうです。

  

        ①モダンな教養文化
  ②大衆モダン文化
  ③「たしなみ」文化

 

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P211

 

 

 

 

 ①近代的学問や教養、西洋音楽や芸術など。旧制高校的な「教養主義文化」もその中に位置づけられる。

 ②一九一〇年以降、特に一九二〇~一九三〇年代にかけて女学生に大きな影響を与えた「大衆モダン文化」の世界。雑誌や映画、ラジオを媒介として、ファッションや髪型、持ち物や「女学生ことば」などがサブカルチャーとして創出され、広まっていった。
 ③伝統的な和漢の教養や茶道、華道、琴、三味線などを含む「たしなみ」の世界。結婚前の女性が身につけるべき教養のこと。 

 

  この三種の文化を内包していると考えられていたのが、戦前における「女子学生」でした。

 すると、批判者たちは①~③について、アレコレいいはじめます。

 

 教養主義は一九〇六年(明治三十九年)に新渡戸稲造が第一高等学校の校長になったことをきっかけに旧制高校に広まったものです。
 読書を通して、西洋的な思想や教養を身につけることが人格形成に役立つという考えでした。 

 稲垣氏が作った図示をもう一度みてから、氏の指摘を読んでください。

 

 図式的にいえば、三つの世界と重なる円の大きさが小さいと判断されるほど、また「大衆モダン文化」との重なりが大きくなるほど、そうしたイメージでとらえられる傾向が強くなると思われる。

 

 

 すなわち、西洋の知識を身につける「モダンな教養文化」こそが正統な知のかたちとして捉えられていた時代において、女学生が内包していた②や③の文化は「軽佻浮薄」なものとしてみられるようになっていったのです。

 

 いってしまえば、女子供の遊びにしかすぎない、ということでしょう。

 

 しかしそれは、女学生が問題だったわけではありません。

 稲垣氏は次のように書いておられます。

 

 明治の「学問する女性」への違和感は、外見を飾る「海老茶式部」や「生かじりの学問」を鼻にかける「準ハイカラー女学生」といった批判を数多く生み出したが、そうした「軽薄さ」は、「女学生」だけに見られるものだったわけではない。そもそも近代日本に於ける西洋文化受容そのものが折衷的なものだったからである。その意味では、「女学生」への反感は、その中に自らの姿を見出した教養層の「自己嫌悪」だったと見ることできるだろう。

 

 

 つまり、明治以降の西洋文化を摂取していくなかで、日本の知識人層は不安を覚えいたのです。

 

 「果たして、自分たちが学んだものは“西洋”なのか。それとも西洋ではない紛い物なのか」

 

 という不安です。

 これに対して女学生たちが学んでいた「学問」が自分たち知識人層が学んでいる“西洋”とやらと如何ほどの違いがあるのか、疑団を抱くようになってしまった。
 
 女学生達をみることで、自分たちの「軽薄」もはっきりと感じられるようになってしまったのです。

 

 これが『魔風恋風』、不安な知識人達の言説の一端が、意図せぬかたちで表れた作品だったのかもしれません。

 実際、明治二十年代の時点で、日本文化への回帰、国粋主義が叫ばれ始めたことを考えると、稲垣氏の指摘は当たっているようにも感じられますね。

 

 終わりに

 

 今回の記事は如何だったでしょうか。
 『魔風恋風』は今年の三月に岩波文庫で復刊されており、書店に並んでいるとおもわれます。

 この小説、現代人が読んでも楽しめるはずですが、ここで用いられている小説の技法については下のリンクから真銅正宏氏の論文をお読みになるとよいでしょう。

 

repo.lib.tokushima-u.ac.jp

 
 
 
 ということで、またお会いしましょう、ズンダでした。
 
 


 
 

【四月にスプラ2の調整がある】3200時間 スプラトゥーン2をやった男が教えるスプラトゥーン2 「俺は好きだからこの武器を使うは間違っています」且つスプラ甲子園に出場して「オーバフロッシャー、もっと強くしろ!」と叫びたい男の話

 というわけで、スプラ2の記事でも書きましょうかね、と。

 

 さて、私ズンダはこのゲームにおいて「オーバーフロッシャー」という武器を使っています。

 

 この武器はスプラ2の中ではほぼ最弱といわれている武器でして、自分でもどうしてこんな武器を使っているのかわからないぐらいです。

 

 ここでさらっと述べてしまうと、私ズンダは「スプラトゥーン2が好きではありません。むしろ、嫌いなゲームです」

 

 私はとある友人に誘われて、このゲームを買いました。

 

 正直、人生でFPSといわれるゲームをしたことは一度もなかったし、興味もなかったので、やる気はなかったのですが、私はその友人のことが好きだったので買いました。

 

 最初は黒ZAPやプライムシューターといわれる武器を使っておりましたが、大してはまることもなく200時間ほどやって、私のスプラトゥーン2は終わりを迎えました。

 

 転機はやめてから半年後ぐらいに「オーバーフロッシャー」なる武器が追加されてからです。

 

 この武器が実に面白かった。

 

 FPSが特に好きでもない私にとって、ようやくはまれる武器をみつけてしまったのです。

 

 しかし、これは不幸の始まりでした。

 

 このオーバーフロッシャーという武器「弱い」のです。

 

 どのくらい弱いかというと、139個ある武器中、下から数えて5番目ぐらいに弱い武器です。

 

 しかしこれがFPSに興味のない私にとっては面白くてしょうがなかった。

 

 そこそこやっていくと、それなりにキルもとれるし、勝つこともできました。

 

 ですが、やはり弱いためにS帯までは通用してもS+やXになると全然通用しない武器でした。

 

 私自身、武器を色々と試してみました。

 

 しかしオーバーフロッシャーよりもしっくりくる武器はありませんでした。

 

 なぜか?

 

 単純な話です。

 

 私ズンダは「FPSというジャンルが面白いと思っていない」からです。

 

 昔から、人を銃でキルしていくゲームをみても愉快だとおもっていませんでした。

 スプラ2はかわいらしいキャラクターを使い、外装を変えてはいますが、実質はFPSに分類されています。

 

 FPSの面白さがわからない私はスプラトゥーン2いまだに面白いとおもったことがありません。

 

 面白かったのは「オーバーフロッシャー」だけだったのです。

 

 私はこの武器に魅せられ、今もこの武器に支配されて、ゲームをしています。

 

 よって、できるだけどのルールでも「オーバーフロッシャー」で戦い続けたい、この武器をもって、ウデマエXになりたい、そんなことを考えているわけです。

 

 ですが、そんな夢は当然かなうことはありません。

 

 今以て、ガチヤグラやガチアサリはウデマエXにはなっていません。

 

 正直、無理だとわかってます。

 

 私が見る限り、オーバーフロッシャーだけを使い続けてウデマエXへいったことのある人は数えるほどしかいません。

  つまり、オバフロ界に於ける「天才」のみがウデマエXになれるのです。

 

 

 この武器、「マジで弱すぎる」のです。

 

 何も出来ません。

 

 敵から近づかれれば終わりです。

 

 敵を攻撃しようと思っても、弾速が遅すぎるので弾が躱されます。

 

 

 

 そこで本題に戻ります。

 

 あなたがウデマエをあげたいのであれば、「俺は好きだからこの武器を使う」という考えを捨てて欲しいのです。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 私のようにFPSが嫌いだが、オバフロを使っているような人間でもないかぎり、その考えは有害です。

 

 いや、本当なら私はスプラトゥーン2をやるべき人間ではなかったのです。

 

 私はこのゲームを憾んでいますし、武器のバランス調整をしているイカ研のことも憾んでいます。

 

 

なぜ、「オーバーフロッシャー」を作ったのか?

 

なぜ、「オーバーフロッシャー」は弱いままなのか?

 

 

 

 その答は未だにイカ研から発せられてはいないようです。

 

 四月、スプラトゥーン2は武器調整がされる予定です。

 

 そのとき、オーバーフロッシャーはどんな扱いを受けるのでしょうか。

 

 それが楽しみでもあり、怖くもあります。

 

 おそらく、オバフロは無視されてしまうのではないかと思っているのですが、如何。

 


【スプラトゥーン2】3120時間かかった オーバーフロッシャー ガチエリアS+9→Xへ!? 人生を賭けた試合がはじまった 後編

 

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