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【感想】1970年代の恐るべき作家たちの才能を刮目して見よ『SFマンガ傑作選』を紹介する-管理社会とヤフコメ民とリベラルと-

 

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 創元SF文庫から『SFマンガ傑作選』が発売されました。

 

 私ズンダはSFはあまり好きではありません。
 何か気持ち悪く感じるからです。

 

 しかし、読めば面白いとは思います。
 
 気持ちわるさと面白さが二つ混在しています。
 
 気持ち悪さは文字で読むからかもしれない、マンガで読めば少しはマシになるのでは?と思って今回紹介する『SFマンガ傑作選』を買いました。

 

 この中でもとりわけ現代性があると思った松本零士『ヤマビコ13号』を見てみましょう。

 

 未来社会と政府による管理

 あらすじ

 

 時は××××年の未来社会、主人公の大山は貧乏暮らしをしており、古物商で七〇年代の蛍光灯を買っても問題がなく仕えるボロ家に住んでいました。彼は勤め先の女社長であろう山川久美という綺麗な女性のもとで働いています。
 
 主人公が惚れているその女性、登場してまもなく、自殺してしまいます。
  
 いったいなぜ?

 

 実は政府から回された時計のせいでした。
 
 この時計を腕につけた状態で悪いことをすると、その人物の犯罪歴が時計から発せられます。

 山川は軽い交通事故を起こしてしまったために時計から、幼いときの悪事を再生されました。

 

 気が動転した彼女は勢い自殺してしまったのです。

 

 政府は全国民を対象に腕時計を配布し、「管理社会」(政府が国民の私生活までもを常に管理、監視する社会のこと。SFよくあるテーマ)ともいえる国民の支配を目論んでいます。

 

 

 山川の弔い合戦のために主人公と山川の姉である志麻と一緒に「支配庁」の中心部にある「ヤマビコ13号」という装置の破壊を企図します。

 この表題と同じ名である「ヤマビコ13号」こそが国民の犯罪歴を集積したコンピューターなのです。


 そういうわけで、彼ら二人は手榴弾をもって「支配庁」へいきますが・・・・・・

 

 管理社会は政府だけのものかーリベラルの道徳支配とヤフコメ民の暴走ー

 

 

 あらすじはこんなものです。

 察しの良い方ならばお気づきになったでしょう。

 

 この作品は「管理社会」を主題としたものです。

 

 SFは基本的に政府による国民の支配を扱ったものが多い。

 

 

『われら』ザミャーチン

『一九八四年』ジョージ・オーウェル

華氏451度』 レイ・ブラッドベリ

 

 

 こういった作品は有名ですよね。どこかで見聞きしたことがあると思います。

 

 ですから、松本零士のこの作品もその延長線上にあるように読めてしまう。

 

 私ズンダも以前までならそのように読んでいたでしょう。

 

 しかし現代の状況に照らし合わせると、この作品は単に「政府批判」に限ってないのではないかと思えたのです。

 

 先日、度を超したヤフーのコメント欄の一部が閉鎖されるという報道がありました。

news.yahoo.co.jp

 

 小室圭、小室眞子夫妻に過剰ともいえる異を示した人々の誹謗中傷のせいです。

 これ以前からヤフコメの民度に関してはネット上でも話題になっていました。


 このブログでも扱いましたが「正義感」に酔い痴れた人々がネット上でそのあるかなきかの権勢を振るい、特定の人物を叩き続けているのです。

 

zunnda.hatenablog.com

 


 

 もう一方で、リベラルという思想をもった人々がいます。

 彼らについても私のブログで書いているので記事をお読みになってください。

 やっていることはヤフコメ民もリベラルも大差ありません。

 

 

zunnda.hatenablog.com

通俗的なリベラルを批判した本。「リベラル」というか文化左翼の何が悪いのかを徹底的に書いており、かなりおすすめ。なぜ現代でリベラルがここまで批判されるようになったのかが分かる。

 


 
 どちらも「人は社会はこうあるべきなんだ」という強固な

「べき論」で他人を旺盛に批判しています。

 

 勿論、私ズンダも「べき論」を一概には否定しません。

 

 社会を維持するとはその国の歴史や文化に根付いている知恵や常識を基調としていくことだと考えているからです。

 一言で言ってしまえば保守主義ですね。

 

zunnda.hatenablog.com

保守主義がなんなのかざっくばらんにしりたい人におすすめ。

 
 
 ところがどんなものでも過熱しだすと、キリがありません。

 意見の違う相手を木っ端微塵にするまで叩くことになります。

 そんな息が詰まるような社会で誰が暮らしたいとおもいますか?

↓コロナが流行る前、ネット上でフェミニズムと弱者男性の話題が流行っていた。コロナが落ち着き、再びこの論争が巻き起こっている。その件について知りたい人はぜひ。

 

 人は人を裁くに値するか

 
 

 さて、ここで本題に戻りましょう。


 「やまびこ13号」です。

 

 この作品の中で次のような場面があります。
 主人公は山川から貰ったパンに犬の小便をかけられて台無しにされてしまいます。
 彼は飼い主と乱闘になり、警察にしょっぴかれてしまいます。

 

 その後、時計を伝って二人の犯罪歴が流され、同罪処分になります。

 どちらも過去をふりかえるとロクでもないことをしていたからです。

 

 ところが主人公はここで

「それじゃあんたのもセットせんと不公平ばい」と述べ、警察も自分の犯罪歴をあかされることに。

 

 警察もろくでもないことをしていたため彼らは釈放になります。

 

 あからさまに「誰もが誰かを裁く権利などない」ことが表現されています。

 普通に考えれば警察に「不公平」などというわけがありません。
 
 主人公と犬の飼い主の当事者間の問題なのですから。

 

 ここには松本零士による「人間はみな脛に傷がある」という良識が垣間見えます。

 

 ここまでみてくると、リベラルとヤフコメ民に共通した性質が露わになるでしょう。

 彼らは「自分は何も疚しいところのない人間である」と思いこんでいる人たちの集まりなのです。

 
 人の犯罪や汚点や、あるいは問題のないことでも問題化してしまう。

 

 しかし、肝心の自分を省みることはなく、常に人に批点を打ちつづけている。

 

 人を叩くことへの批判がこの作品からは感じられます。

 

 管理社会批判を超えているー人間そのものがー実人生に還れ-

 

 

 漫画の結末へと筆を運びましょう。

 主人公と志摩は「支配庁」へ忍び込み、志摩が「やまびこ13号」へ爆弾を投げつけ、見事に爆破します。

 その結果として主人公は市民権を剥奪され、一生、日陰者として生きていくことになります。
 見かねた警察官が犯行用にもっていた手榴弾を彼に渡します。


 志摩は上手いこと逃げたためなのか、実行犯として認知されず、そのまま逃げおおせます。

 放浪者として生きるはめになった主人公は志摩のもとへ行き、さよならの挨拶をしようとします。

 

 部屋の前へ歩みを進めると、扉が少し開いていました。
 そこから中を覗くと、志摩がいました。

 

 しかし、志摩だけではありません。
 
 なんと自殺したと言われていた妹の山川久美もそこにおり、姉と楽しげに談笑していたのです!

 志摩は次のようにいいます。

 

 大山昇太にやる気をおこさせるにはあなたに死んだふりをしてもらうしかなかったの・・・・・・いくらその筋の命令でもわたしは市民権をとりあげられた日陰者で一生をくらすのはいやよ

 

 

 そして久美が

 

 「単純な人だったけど・・・・・・すこしかわいそうみたい・・・・・・」

 

 と述べます。


 主人公は警察に手渡された榴弾をじっと見て、ぎゅっと手で握りしめるのでした。

 

 

 この結末をみてどう思いましたか?

 

 日常が管理社会の魔の手に浸食されていく様を描きながらも、最後は女に謀られたオチを見せつける。

 

 観念的で形而上的な「管理社会」の様相が、俗っぽくて形而下な人間の恋愛感情に落ち込んでいく。

 

 こんな素晴らしい結末が他にあるでしょうか。

 

 まるで「管理社会」が問題なのではなく「人間そのもの」が問題といわんばかりです。


 そしてそれがこの作の狙いだったのでしょう。

 

 私たちは動もすれば「管理社会」がどうだ「正義」がどうだと何処に軸足があるのかわからない問題に対してカッとなりがちです。

 

 しかし、そうおもう心根をのぞいてみると、相手が羨ましかったりとか孤独がつらかったりとか、実はそういう形而下の問題を見ないようにしているだけだったりします。

 

 本当に重要なのは衣食住であり、何か問題があるならば適切に政治に働きかけながら自分の人生を豊かにさせることで、それは他人を無闇矢鱈に叩いたり、引きずり下ろしたりすることではないはずです。

↓倫理的な考えを今改めて問いなおす本。おすすめ。

 

gendai.ismedia.jp

 

 このわずか数十頁の作品でありながら今日も通ずる内容の「やまびこ13号」には舌を巻き、悚懼せざるを得ませんでした。

 

 終わりに

 

 このほかにも『SFマンガ傑作選」は傑作というだけあって、頭抜けた作品ばかりであり、古い絵柄ですが、豊かな創意を前には古い絵柄も新生面に感じられることでしょう。

 

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。

 

 
  

 
 

↓デジタル化に伴う「監視社会」が現実のものとなっていることを指摘した本。

恐ろしい未来社会、ディストピア文学の現実が今、私たちに迫ってきている。