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自由意志はないけれど。できること、できないことの境目を見つけるのが人生である。ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』

  今回はズンダの日誌形式で、読んだ本を紹介します。

 

 紹介する本は、ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』です。

 

 紹介の仕方はいつもと異なり、骨子の部分だけを抜きとることにします。

 

 

 

 

ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』

 

 

 

 

 人は自分の意志で何かをしようと思っているのではない。

 進化心理学の知見を拾っていきたい

 

 近頃、面白い本がでないので、新書より単行本を多く読んでいます。

 

 たとえば、以下の本等です。

 

 

ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』(日本実業出版社

ジョナサン・シルバータウン『なぜあの人のジョークはおもしろいのか?』(東洋経済新報社

 

 

 これらの本は科学的な知見に基づいてかかれています。

  

 前者は神経科学者が神経科学や脳科学進化心理学を参考にしながら

「人生は遺伝によって傾向が決まっており、自由意志などないが、しかしその枠組みでどうやって、うまくいきていけるのか」ということがかかれています。

 

 後者は植物学者が進化心理学を援用し、人間が笑うとはどういうことなのかについてかいています。

 

 どちらにも共通して見えている学問は進化心理学です。

 

 私ズンダもここ数年、この分野の話を見聞きすることが多い。

 

 というのも人間に関する本を読むと、必ず進化心理学的な記述がみえるからです。

 一昔前であれば人生論は哲学者の専売特許だったのですが、現代では進化心理学が哲学のお株を奪っております。

 ※そういうわけで、ズンダブログでは、これから進化心理学の本の紹介が意図せず増える可能性があります。

 

 進化心理学とは何か。

 

 たとえば、youtubeや何らかの本でも次のような文章をきいたりみたりしたことはありませんか?

 

 

原始時代、男は狩りに、女は果実の採集や家にいて料理や子育てをしていた。それゆえ、女は男を選ぶときに男性の筋肉や行動力や力強さや体格のよさなどを重視している」

 

 どこかで見聞きしたことがあるでしょう。

 私なんぞはこの文面がみえた瞬間、数行ほど飛ばすようにしています。

 

 もう、分かりきった説明なので、わざわざ読む必要がないからです。

 

 「人間は狩猟採集時代から○○であった」という説明をするのが「進化心理学」です。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 進化心理学は我々の遙か遠くのご先祖様の本能や進化や遺伝の影響のもとに、私たちは行動しているといいます。

 

 人間にとって、子孫を残すことが何よりも大事

 

 この学問に従うとありとあらゆるものが、種の保存を絶対として解明されていきます。

 

 上にあげた『なぜあの人のジョークはおもしろいのか?』などもその一冊です。

 

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 この本ではなぜ人に「ユーモア」が備わったのかについて「異性を惹きつけるため」といっております。

 

 というのも、ユーモアには知性が必要であり、その知性は異性を惹きつける際に重大な役割を果たすからと言ってのけています。

 

 事ほど然様に、進化心理学の世界では「種の保存のために異性を獲得するための能力が進化してきた」と説明されます。

 

 そのため「なぜそんなふうに進化したのか」については必ず「種を残すため」と断言されます。

 

 私たちのあらゆる行動は性行為をし、子をつくることにある、というわけです。

 

 子供を残せないのはその人たちのせいなのか?

 あなたがモテないのは最初から決まっているけど、価値はある

 

 

 ところでここが問題なのですが、子供を残せない人たちがいます。

 

 モテなかったり、病気だったり、そういった理由でうまくいかなかった人たちです。

 

 当然これらの人々は自分たちの子孫を残すことができなかったわけで、淘汰されたといえるでしょう。

 

 しかし、大事なことがあります。

 

 「なんで、イケメンのほうがモテるのに、ブサイクなやつらがいるの?」

 

 という問いが浮かんでくるでしょう。

 

 これはご尤もなのですが、理由があります。

 

 世の中にイケメンしかいなかったとします。

 

 そのとき「イケメンだけ殺すウイルス」が蔓延したとしましょう。

 

 すると、人類が滅亡します。

 

 当たり前ですね、イケメンしかいないからです。

 

 運良く生き残る人もいるでしょうが、数が大幅に減ることは間違いがない。

 

 それゆえ、生物は一様に同じではなく、多様性をもちそなえているわけです。

 

 社会からみれば不遇な扱いを受けている人でも、生物で考えると、何らかの価値があったりする。

 

 それは人間が生き残るための予備や保険としての価値です。

 

 「でも、イケメンのほうがいいじゃん。」

 

 というのは事実です。

 

 当然、種の保存のためにいきたい!などと自覚して生活を送る人などいません。

 

 ただし、自分でそうはおもっていなくても、私たちは無自覚に生き物として動いている!

 

 それを指摘するのが進化心理学なのですね。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 人間の人生は生まれた段階である程度は決まっている

 

 『「運命」と「選択」の科学』によれば、人間は生まれた段階ですでに人生が決まってしまっているのです。

 

 この本の著者ハナー氏は神経科学の研究が進めば進むほど、

人間には「自由意志」などないといわざるを得なくなっている、と書いています。

 

 たとえば、童貞や処女をいつ卒業するかという遺伝すら見つかっています。

 

www.afpbb.com

 

 そして、決定論者(物事はその人個人が決めているのではなく、最初から決まっているという考えの人)で有名なロバート・サポルスキーの言を引いています。

 

 

自由意志などないかのように人生を生きるなんて想像できない。

自分のことを生物学のまとめのようにみなすなど、絶対に無理だろう。

 

 

 つまり、自由意志はない!と主張している人ですら、

「自由意志がないと分かった上で生きるのはつらい」と漏らしているわけです。

 

 人は自分に決定権があると思っていたいわけですね。

 

 

 

 ただしこの本の目的は「自由意志がないから、何しても無駄」といっているのではありません。

 

 たとえば、エジンバラ大学のデイビッド・ヒルは次のようにいっているそうです。

 

 個人の知能差の半分には遺伝子が影響しており、およそ40%には教育の違いが影響している。

 

 これがもし正しいとすれば、なんとか40%の部分に親が賭けてみることができるでしょう。

 

 確かに、親の経済力というのも関係しているようです。

 マシュマロ実験についてみてみましょう。

 

 マシュマロ実験のウソ

 

 マシュマロ実験というのをきいたことはあるでしょうか?

 

ja.wikipedia.org

 

 「自制心」「セルフコントロール」などと呼ばれている「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」(Delayed gratification)が、人の社会における成功に重要であることはよく知られている。この実験の本来の目的は、この能力の幼児期における発達を調査するためであった。最初の実験は、ミシェルと、エッベ・B・エッベセン(Ebbe B. Ebbesen)によって1970年に行われた。最終的にこの実験には、600人以上が参加した。

 

 この実験、「我慢する能力のある人は学歴が高く、成功しやすい」あるいは「四歳児ほどから前頭前野の理性をつかさどる部位が発達しはじめる」という話で引用されることが多いのです。

 

 しかし、近年の実験により、異なる結果がでてしまいました。

 

 

gigazine.net

 ニューヨーク大学のテイラー・ワッツ氏とカリフォルニア大学アーバイン校のグレッグ・ダンカン氏、ホアナン・カーン氏はマシュマロ実験の結果は疑わしいとみて、被験者の数を900人以上に増やして実験を行いました。このとき、被験者となる子どもは人種・民族性・親の学歴といった点において、アメリカの国民を反映したものとなっていたとのこと。また、実験結果は子どもの家庭の年収といった特定の要素について調整が行われました。
結果、最新の研究で示されたのは、「自制心がよりよい結果を生み出す」とするオリジナルのマシュマロ実験が示す結果は限定的であるということでした。ワッツ氏らの研究において、2個目のマシュマロが得られるかどうかは、大部分が「子どもの社会的・経済的背景」に左右されるということ、そして自制心ではなく社会的・経済的背景が、長期的にみた子どもの成功のカギとなっていることが示されました。

(太字はズンダ)

 

 なんと、子供が我慢できたかどうかなど殆ど関係がないという結果がでてしまったのです。

 そんなものより、結局は「親の経済力」だった。

 

 この更新された事実は『「運命」と「選択」の科学』のなかでも言われています。

 

 こうなると、教育さえすればどうにかなるかも、ということはやはりある程度はいえるのだとおもいます。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 先天的なものか、後天的なものか。

 何をやるか選ぶことと、それができるかの違い-スプラトゥーン2というゲーム-

 

 どちらかを峻厳と分けることは完全にはできません。

 

 そのため、どうしてもふわっとした曖昧なものになりがちです。

 

 本書の主意は以下のようになります。

 

 「自由意志の領分は少なくなっている。ただ、自分で何か出来ることもある。その境界線を引きたい」

 

 ですから、この本を読むと、自由意志でできる部分とできない部分とがある程度わかってきます。

 

 ここまで私の文章をよんで、自由意志を諦めなくても良いのだ!と、ほっとした人がいるかもしれません。

 

 待ってください。

 

 見逃して欲しくないことがあります。

 

 それをやろうと思っても、それを獲得できるかは別なのです。

 ※しかも、獲得にもその能力が遺伝的にあるかどうかが関わってくる。

 

 これはあくまで自分の裁量によって選んでいるだけです。

 

 けれども、それを得られるかは別です。

 

 私が常に実況しているゲーム、スプラトゥーン2の話にもどしましょう。

 

 あなたはウデマエXを目指そうとしている。

 

 これはもしかすると、自由意志かもしれない。

 

 しかし、なれるかどうかは別である。

 

 ですから、何かをするには二つの過程があるのです。

 

 

自由意志の領域か否か(ここに遺伝や脳の在り方が絡んでくる)

 ↓

 自由意志の領域ではないことだった

 ↓

 ウデマエXになることを決めた!(ここにも、遺伝や脳の在り方はかかわる。ただ、選べはする)

 

 

 なぜ、進化心理学や自由意志の話が好きなのか

 

 私がなぜ自由意志の話に興味をもっているのかというと、

 

 自分の時間は有限なので、その中でやれることを明確に知っておきたい

 

 これは若い人でも意識しておくべきです。

 

 私たちはガンガン歳をとっていきます。

 

 残された時間はどんどん少なくなっています。

 

 人には人生の限界があります。

 

 人生100年とかいってますが、男なら七十代前半で死にます。

 

 100歳と70歳では30年もひらきがあります。

 

 0歳と30歳で考えればどれだけ凄いのわかりますね。

 

 ただし、成長の度合いは異なります。

 

 体の衰えはいかんともしがたい。

 

 「あれをしたい、これをしたい!」とおもっても、体はついていきません。

  

 自由意志の問題は老若男女に関係ありません。

 

 誰もが、やりたいことやできることには限界があるのです。

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 だとすれば、若いときに意識しておけば有利になるのは間違いない。

 

 むしろ、「時間の使い方を大事にしよう」と思えるのですから。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 終わりに

 

 『「運命」と「選択」の科学』の著者ハナー氏の本を私ズンダなりにまとめると次のようになります。

 

 

 自由意志は殆どない。

 ただ、自分の意志でできることもあるはず。

 それは科学の進歩で更に狭まるかもしれない。

 だが、今の範囲内で人の意志で可能なことを明確にして、

 それについては一生懸命やったらいいのではないか。

 

 この本は、人の宿命と限界とを私たちに教えることで、

 「自分がなんとかやれるかもしれないこと」を教えているのです。

 

 

 

 それにしても、こういった分野の研究が進んでいったとき私たちはどうなってしまうのでしょうか。

 

 この本にもありますが、自由意志がないとわかった人は自暴自棄になり、無気力になりがちである、との話があります。

 

 私の今回の記事を読んで、無気力になるかたもおられるかもしれません。

 

 しかし、今の所は「人間ができるところもある」らしいので、なあなあでやっていくのがいいのかもしれません。

 

 

 さて、新書で同内容を扱っているのは恐らく下記の本だとおもわれます。

 チェックしてみましょう。

『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』 (光文社新書

 

 

 

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 応援宜敷お願いします。

 

  

  

 

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進化生物学者が語る「ユーモア」とは何か?なぜ、人間は笑うのだろうか?

 
 人とやりとりしていて笑う。

 これは私たちに人間にとって日常茶飯事ですよね。
 
 では、どうして私たちには「笑う」という機能があるのでしょうか。

 

 今回紹介する本の著者ジョナサン・シルバータウン氏は『なぜあの人のジョークは面白いのか?』の目的を次のように述べています。

 

 

「笑いは何の役に立っているのか?」というお決まりの疑問が即座に浮かんでくる。この疑問に答えるのが本書の最終目標である。

 

 

 

 

 では、みていきましょう。 

 

 笑いはなぜ起こるのか?
 
 

 3つのプロセス

 笑いは不調和とその解消によって起こるとされています。

 

 私たちが笑うとき、そこには必ず不調和があります。


 「公衆の面前で、突然、人がパンツを下ろしておどりはじめた。」

 

 もちろん、ここには恐怖もあります。

 そのため「不調和」→「不調和の解消」がセットの必要があります。
 
 このとき脳は次のように動いています。

 

 ・思考(理解する)
 ・感情(面白がる)
 ・運動制御(笑うという身体的行動) 

 

 この3つの動きがあります。

 

 今回の場合だと


「公衆の面前で脱いで踊り出す」=「理解する」
 ↓
「恐怖に感じるが、良く考えるとおかしいな」=「面白がる」 
 ↓
「面白く感じた」=「笑うという身体的行動」

 

 

 というふうになります。

 

 つまり、あることで笑うためには、どういう状態なのかを理解しなければならないのです。

 

 そして、「あれ、おかしくねえか、これ?」となって笑いがこぼれるってわけですね。

 

 では、脳はどのような反応をしているのでしょうか。
 

 引用します。

 

 不調和を検知するのは大脳皮質の2つの領域(右中側倒回と右内則前頭回)であることが分かった。不調和を解消するのは、別の2つの領域(左上前頭回と左下頭頂小葉)である。さらに同様の実験によって、ほかに4つの領域(おもに扁桃核と皮質下部の中にある)が、不調和の解消によって引き起こされる愉快な感覚を処理していることが明らかになった。
 これらの脳領域は、不調和の検知→不調和の解消→愉快な感覚という神経回路でつながっている。そこから先は、神経活動が視床下部や脳幹に広がって筋肉が動くことで愉快な感覚が実際の身体的な笑いに変わる。(太字はズンダ)

 

 これを著者は「不調和仮説」とよんでいます。
  
 

 笑いは〈性淘汰〉のためにある

 異性を惹きつけるためのユーモア

 

 ところで、どうして私たちには「笑い」があるのでしょうか。

 

 実はこれ、異性を惹きつけるためにあるというのです。

 

 心理学者のジェフリー・ミラーは次のように述べています。

 

 音楽や芸術やユーモアなど、人間の文化的行動の多くも、異性を惹きつけるがゆえに性選択によって進化したのかもしれないと考えた。*1

 

 更に、ユーモアは知性の証だと考えられています。
 
 研究に依れば、試験の成績がよい学生ほどユーモアがあるということがわかっており、ある程度、相関関係にあるようです。 

 

 そして男女とも相手を選ぶときに知性を重視することがわかっています。

 

 53カ国計20万以上を対象としたインターネット調査があります。

 

 

男が女に求める者
・知性

・容姿

・ユーモア

 

女が男に求めるもの
・ユーモア

・知性

・誠実さ

 

 

 

 ということで、男女ともに知性やユーモアをみてることがわかります。

 特に女性は末永いパートナーを選ぶ際には知性を重視するといわれています。

 

 ただし、ユーモア力と相手選びとの間に相関関係があるかどうかは大した実験がないようで、本書でも1つだけ紹介されてますが、信憑性が低い。

 

 というのも、私ズンダのブログでも散々紹介してきましたが、少なくとも日本に於いては、男は女に「若さ」を求め、女は男に「年収」を求めています。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 そのため、相手を実際に選ぶとなると、知性やユーモアでどうこうというのはあまり関係ないのかもしれません。

 

 いくら面白くても「稼げない男と一緒になりたい!」という女性は少ないでしょう。

 

 

 終わりに
 
 

 今回は「なぜあの人のジョークはおもしろいのか?」の骨子をまとめてみました。

 

 本書では数々のユーモアが集められており、科学的な実験とユーモアを突き合わせて、なぜ人間にユーモアが必要になったかを探求しています。

 

 正直言うと、ここで集録されているユーモアは日本人にとってはあまり面白くはありません。
 
 前述したように、文化的な差異があるために「理解できない」のです。

 理解できないから、不調和が生じない。
 そのため、不調和の解消が起こらず、笑いにも発展しないのです。

 

 ここに収められている笑い話は「笑うために必要な条件である不調和仮説」が当たっていることを裏付けているといえるでしょう。

 

 分からないコトに対しては、不調和が起こらないからです。

 

 

 この本のオススメポイント
 
 

 ①なぜ笑うのか、が知りたい人
 ②笑いはなぜ人にそなわったか知りたい人
 ③海外のユーモアを目にしたい人 

 

 これらに興味のある人は、是非かってみてください。

 

 

 

 では、またお会いしましょう、ズンダでした。

 

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*1:※性選択とはダーウィンの言葉。交尾相手を獲得するための条件が雄雌で異なるために二次性徴も雄雌でことなるように進化した。求愛に役立つための選択をいう。

 ちなみに本書によれば、ユーモアは男女ともにあるので、やや異なる。

民主主義論について知っておきたい人へ。あなたに勧める『現代民主主義』

 民主主義ってなんだろうか?

 

 こんな問いから始まる本を以前も紹介しました。

 この数ヶ月間で講談社新書、岩波新書と「民主主義」に関する本が出続けています。

 

 

 どの本も私ズンダは読過していますが、それぞれ路線が異なります。

 

 講談社新書は歴史を交えながら古代ギリシャから現代民主主義までを幅広くとりあつかっています。

 

 岩波新書は空井護氏による民主主義への思いが強く反映されており、学者らしい四角四面な文によって構成されています。

 ※岩波の新書は教科書的というよりも、筆者の思想を強く打ち出したものが多い。

 

 では、今回紹介する本、山本圭『現代民主主義』(中公新書)はどうなのか。

 

 

 中公新書の本は基本的には筆者の個人的な主観に偏った本は少なめです。

 

 この『現代民主主義』という本も民主主義について語った思想家達の概説を書くに留めています。
 
 そのため民主主義の概要を把握するには簡便な本であるといえるでしょう。

 

 今回は現代思想における民主主義論をみていくことにしましょう。

 

 現代思想は「政治思想分野」とは棲み分けがされており、お互いには交流がないどころか批判的にみています。

 

 山本氏によれば政治学研究者は現代思想の議論を抽象的な言葉遊びであると考え、反対に現代思想の研究者は政治学研究をそのつどの現象を追いかけた皮相的な議論をしていると思いがちである」とのこと。

 

 氏は両者とも「問題関心は明らかに交差している」のであまりにも勿体ないと記しておられます。

 

 では、みていきましょう。

 

 

 

 

 

 民衆は政治に参加できているのか?

 

 ージャック・ランシエールの民主主義論ポスト・デモクラシー

 

 ランシエールは冷戦が終結し、共産主義の敗北し、民主主義の勝利が決まった後、「民主主義に民衆は参加できていない」という批判をします。

 

 彼は職業政治家や行政官僚によるエリート支配が進んでいるといいます。

 

 そして、人間が共同に存在する2つの様式、「ポリス」「政治」とに分けます。

 

 ポリス:

 集団への参加と同意、権力の組織化、地位と職業の分配、この分配の正当化のシステムなどが働くプロセスの全体

 

 

 要するに国家や行政といった統治の部分ですね。

 

 これに対比されるのが「政治」です。

 

 

政治:

 当事者を決め分け前があるかないかを決める感性的なものの付置を、定義状その付置の中に場所をもたぬ前提、つまり分け前なき者の分け前という前提によって切断する活動である

 

 

 要するに現行の支配秩序に対して異議申し立てをするのが「政治」というわけです。

 

 ランシエールティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』のなかから、貴族に対して声をあげた平民達の逸話を引きます。

 

 貴族達から相手にされていなかった平民達は「政治」を行ったのです。

 

 そうすることで彼らは自分たちの要求を貴族に突きつけた。

 

 私たちの声を政治家に届けるという活動。

 こういうのをランシエール「政治」とよんでいるのですね。

 

 

 代表制は民主主義ではない

 

 ランシエール代表制を民主主義と見做してはいませんでした。

 

 代表制は寡頭制、少数者による支配でしかなく、「身分、階級、財産」で代表が決まっているからです。

 
 そこで彼は「くじ引き」に注目します。
 古代ギリシャでも役職がくじ引きで決まっていたように、本当に平等なのはくじ引きだと考えるのです。

 

 それはランシエールだけではなく、ダーヴィッド・ヴァン。レイブルックも『選挙制を疑う』で抽選やくじ引きなどのほうが平等なのではないか、といっています。

 

 

 このように、冷戦後の民主主義論は、「一見すると、民主主義が実行されているように思える。しかし、そこに民衆の姿はあるのだろうか?」という疑心があります。

 

 エルネスト・ラクラウーラディカル・デモクラシーとポピュリズム

 勢力を失った左翼が新自由主義と闘う!ポスト・マルクス主義

 

 

 討議民主主義を唱えたシャンタル・ムフと共に共著を出したアルゼンチン出身の政治理論家エルネスト・ラクラウもその一人でした。

 彼はアルゼンチンで政治活動をしていました。

 

 彼らは『民主主義の革命』において、既存のマルクス主義とは異なる「ポスト・マルクス主義」を主張します。

 

 

 右派による新自由主義政策が勢力を伸ばしたことで、左派の存在感はなくなっていきました。

 

*1
 
 

 というわけで、左派はムフとラクラウはマルクス主義の更新を図ります。

 

 マルクス主義の世界では階級や経済的立場によってその人の考え方が決まる、という階級還元主義でした。 


 人間の捉え方が単線的だったわけです。

 

 ポスト・マルクス主義はそれを否定します。

 

 人間は社会や人との関係性によって自分たちの行動や態度を変化させている。

 決して、不変なのではない、というのです。

 

 たしかに私たちも上司なのか部下なのかで、相手への言葉遣いや態度を変えてますよね。

 

 相手との関係性で自分を柔軟に変化させています。

 マルクス主義ほど固定化されてはない、わけです。

 

 結節点ー仮留めの思考ー

 

 とはいっても、完全に固定化されていない、かといえば嘘になるでしょう。

 その人の性格や決まった状況(職業や家族、友人関係)などはあるからです。

 

 これをラクラウとムフは「結節点」と呼びます。

 

 引用します。

 

 意味の最終的固定性が不可能だということは、部分的な固定化はなければならないことを含意するーさもなければ、差異の流れそのものが不可能になるだろう。意味をこれまでとは異なったものにし、転覆させるためにも、何らかの意味がなければならない。(中略)こうした部分的な固定化の特権的な言説的地点を、私たちは結節点と呼びたい。

 

 

 要するに、こういうことです。

 A地点からC地点まで行きたいとしましょう。
 A地点には東京タワーがあり、C地点にはスカイツリーがあります。
 よって、あなたはC地点にいくためにスカイツリーを目指せばいいわけです。

 ところで、もしA地点、C地点という記号だけだとしたら、あなたはAからCまでいくことができますか?

 A=東京タワー
 C=スカイツリー

 と私ズンダが指定したことによって、「ああ、場所は東京なんだな」と特定できたわけです。

 このように、何かを把握するためには必ず固定化されたものが必要なのです。

 それが、結節点です。

 

 そしてこの完全に固定化された結節点のことを彼らは「社会」と呼んでいます。

 

 「社会」は一時的には固定化されていますが、時代を経るにつれて、徐々に変化していきます。

 

 コロナ禍以前とコロナ禍を考えてみればわかりやすいでしょう。

 そして、コロナ後といわれている「社会」も時間が経てば、また別の問題が生じ、変化していきます。

 

 このように結節点は「一時的な固定」であり、完全に固定化されることは現実ではありえません。

 

 

 それゆえ「社会」とよばれるものは「社会的なもの」呼ぶようにいっています。

 

 さて、この考え方をみれば、ラクラウとムフがマルクス主義を更新しようとした理由がわかるとおもいます。

 

 マルクス主義においては「階級闘争」が結節点として固定化されていたからです。

 

 しかし先ほども記したように「完全なる固定」が存在し得ない以上、「階級闘争」という結節点も時間が経てば問題にならなくなります。

  

 実際、中流階級が増えたことで「階級闘争」をする必要がなくなりました。

 

 そのため、マルクス主義の人気はなくなっていったわけです。

 

 これはまさに、世の中の流れが変わったためでしょう。

 

 

 

 社会は変化する以上、常に「社会的なもの」でしかないのです。

 その流れを意識しないことは欠陥であったわけです。

 

 

 差異の論理と等価性の論理


 
 さて、結節点から次の概念が導き出されます。

 

 ・差異の論理
 諸要素を組織し、意味の空間を安定的に縫合しようとするものをいう。
 ・等価性の論理
 「差異の論理」にたいして差異を不安定化するものを「等価性の論理」といいます。


 
 ちょっとわかりにくいかもしれません。

 本書の図をみてみましょう。

 

 

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                 本書より

 

 

差異の論理はそれぞれが疎らな状態を意味しています。
 
 ところが等価性の論理はE=敵がおり、ESに対しての要求Dは等しく扱われています。

 これはEという敵を作り出すことで、DのESに対する要求を等価にしているのです。

 

 つまり、一致団結させるために「今はまとまろうよ!」と呼びかけるのです。

 大同団結みたいなもんですね。

 

 もっとわかりやすく例え話を交えてみましょう。

 

 例えば、日本だと

 

「公務員は国民の税金を使って飯をくっている。民間の給与は下がっているのに、公務員の給与はあがりつづけているのはおかしい!」

 

 

 という話をよく耳にしたことがあるでしょう。

 ここで公務員=仮想敵、が形成されます。
 
 すると、その政治家が行っている他の政策がおかしいものだとしても、馬鹿な国民は「公務員を叩いているから、この人の他の政策がおかしくても、この人を支持しよう!」と考え始めます。

 

 この段階で、様々な団体や人々がもっていた要求Dは公務員を叩くことが重視されるので、控えめになります。

 人々は仮想敵を叩くためにまとまるからですね。

 

 

*2

 

 

 

 批判を軽減させることに成功しているわけです。

 

 こうした様々な不安定化していた各々の要求Dの差異をなくしていくこと、これを等価性の連鎖とよびます。

 

 そして、そうやって様々な集団や団体を集めていくことをヘゲモニーといいます。
 

 もともとはイタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシの概念ですが、ポスト・マルクス主義者の彼らもこれを受け継ぎます。

 

 この「ヘゲモニー」を使うことでラクラウたちは、大規模な社会運動を起こしやすくなると考えました。

 

 つまり、人々を連帯させ、社会問題に集団で立ち向かわせるやり方として、差異の論理や等価性の論理といった用語を用いたわけです。

 

 環境運動やレズビアン運動、夫婦別姓やフェミニズ運動などが事例です。

 これらはラディカルデモクラシーとよばれています。


 引用します。

 

 階層的社会の再構築の企図に直面して、左派にとってのオルタナティヴは、みずからを民主主義革命の領域に全面的に位置づけ、抑圧に抗するさまざな闘争のあいだに等価性の連鎖を作り上げていくことにこそある。

 それゆえに左派の課題は、自由民主主義的イデオロギーを否認することにあるのではなく、むしろ逆にラディカルで複数主義的なデモクラシーの方向にそれを深化させ拡充していくことにある。(太字はズンダ)

 

 

 要するに、マルクス主義者は民主主義を否定してはいけない。


 むしろ、民主主義の体制下で問題を掬い上げ、民衆を扇動し、1つの旗頭のもとで社会運動を起こし、世の中の問題に対して、協力して闘っていこうじゃないか!
 
 これがポスト・マルクス主義なのだ!と提案しているわけです。

 

 ポピュリズムには民主主義の根源がある

 

 さて、ラクラウは前述した提案をしていましたが、
これが拡大伸張していき、「ポピュリズム論」にまで及びます。

 ラクラウのポピュリズムを山本氏は次のように説明しておられます。

 

 ポピュリズムとは何か。それは「人民」(people)」の構築にかかわっている。

 ここで人民とは、何か所与の利害関係を共有するグループや、国民や民族のような強い同一性によって規定された集団ではなく、むしろヘゲモニーによる政治的実践を通じて構築された集合的アイデンティティ(「私たち」)というアイデンティティを指している。

 したがって、それは厳密に政治的プロジェクトの産物であり、そのかぎりでいかなる本質主義的な構成単位とも無援な政治的アイデンティティである。(太字はズンダ)

 

 

 要は政治的要求を基に1つの集団になって、闘う人民達の運動、それがポピュリズムなわけです。

 

 保守主義ラクラウとの差異

 

 少し述べておくと、ラクラウは保守主義者ではないので、民族や人種などによる結束を度外視していますね。

 

 保守主義者にとってはナショナリズムこそが共同体の紐帯になるので「本質主義的な構成単位」がむしろ重要なのですが、ラクラウのようなポスト・マルクス主義者にとっては、そこは大事ではありません。

 

 何を拠り所にするかの違いがあるわけです。

 

 ↓今月でる新刊。否定されがちな「ナショナリズム」だが、これがなければ民主主義は成り立たない。そんなことが書いてある本。発売後に紹介します。

 

 

 ポピュリズムこそが民主主義である-ポピュリズム批判する知識人の狙い-

 

 民衆を1つにまとめ上げて政治的要求をもとに大衆運動を起こすこと、それが「ポピュリズム」です。

 

 もともとポピュリズムは腐敗したエリートによる政治を糺し、人民主権への回帰を唱えるものでした。

 

 それゆえ、ヘゲモニーを使って、民衆同士の連帯を図り、政治的実践を行うこととポピュリズムには何ら差異はないわけです。

 

 というよりも、民主主義の中には間違いなくポピュリズムは含まれているといえます。

 

 そもそも、そこに住んでいる人々の意志や要求が無視されてもかまわないのであれば、なんのための民主主義なのでしょうか?

 

 ポピュリズム批判は、一部のエリート達による独裁を是認しているようなものでしょう。
 
 知識人が「ポピュリズムは問題だ」というのを聞いて、皆さんはどう思われるでしょう?

 

 知識人側に立って同意する人がいるでしょう。

 
 世の中には、自分が凡夫なのにもかかわらず、傑出した人物に同意することで、「自分も傑出した人物である」と思いたい人がいるからです。

 

 しかし、知識人側はあなたのような一般人と違って、基本的にはエリート集団です。

 

 生活に困ってもないし、何なら政治家や官僚と癒着し、自分たちだけが甘い蜜を吸って生きているような人もいます。

 

 そんな彼らのポピュリズム批判に一般大衆が同意する意味などあるのでしょうか?

 

 彼らがポピュリズム批判をしたとき、自分たちの権益を守りたいだけなのかもしれないのですよ。

 

 そう考えると、単なるポピュリズム批判には、何か裏があると考えるべきでしょう。

 

 「空虚なシニフィアン」を用いて、等価性の連鎖をひきおこせ!

 

 さて、ラクラウは『ポピュリズムの理性』という本で大衆運動を起こすために等価性の鎖を象徴するものが必要だといっています。

 

 彼は具体的な中身のない形骸化した言葉に求めます。

 

 たとえば、「正義」や「自由」や「平和」といった言葉です。

 

 まあ、邦楽の歌詞でもいいし、ちょっとした演説などでも頻繁に目にする言葉でしょう。

 

 あまりに使われすぎていて、胡散臭い用語にしかみえなくなっているぐらい陳腐な一群ですね。

 

 ただし、陳腐だとしても、これらの言葉は私たちのココロに突き刺さります。

 こういう使い古されていて、中身はない。


 
 しかし、なぜか魅力がある言葉を「空虚なシニフィアンラクラウは呼んでいます。*3

 

 

 ラクラウは「空虚なシニフィアン」は、人々を駆り立てる1つのスローガンの役割を果たすと考えたのです。

 

「正義のために闘おう!」
「自由のために闘おう!」
「平等のために闘おう!」

 

 

 どうですか?

 なんとなく、闘いたくなってきませんか?

 

 何が正義で、何が自由で、何が平等なのかはわかりません。

 

 けれども、ココロが沸き立ち、動きたくなる。

 

 こういった「空虚なシニフィアン」で人々の間に等価性の連鎖をつくり、自分たち民衆の要求を政治家に呑ませるような連帯感を生ませる。

 

 

 これがポスト・マルクス主義の思想家ラクラウの実践的な政治の在り方でした。

 ラディカル・デモクラシー(急進的な民主主義)といわれる所以ですね。 

 

 

  左派ポピュリズムの戦略

 

 ラクラウは2014年に死んでしまいます。
 
 彼と共著者であったシャンタル・ムフは、今の先進国をみて「ポピュリスト・モーメント」の時代が来た、といっています。

 

 ムフの主張は下記の通りです。

 

 ・新自由主義による緊縮政策によって、中流層は下層へこぼれ落ちた。
 ・左派はポピュリズム戦略に訴えて、既得権益エスタブリッシュメント)に対抗し自由民主主義を回復しなければならない。

 

 

 おもしろいことにムフは1980年代には、社会主義の戦略をといていました。

 ところが、今では「民主主義をとりもどす」ためにポピュリズム戦略を取ろうとしています。

 

 

 私たちのように理論家や思想家でもない人々は社会主義」とか「民主主義」とかにあまり固執する必要はないと思います。
 *4
 

 問題は私たちが自由で平等で幸福に生きることができるかどうかに重点をおくべきでしょう。

 

 そこに「○○主義だから、ダメなんだ」という考えはおすすめしません。

 

 

「僕は金融資本主義を支持しているので、日本人の大多数が貧乏になっても、食いっぱぐれて、死にそうになっていても、その結果、日本の国力が弱体化しても、OKです!」

 

 という、こんなアホな帰結を招きかねません。

 

 あなたは思想のために死ねる人間ですか?

 

 そうでないのなら、こんな考え方は捨ててしまいましょう。


 終わりに


 
 今回は左派による民主主義論を紹介しました。
 
 特にラクラウについて詳述しましたが、理由としては次のような動機があります。

 

 ①民主主義国家の人間として、自分たちが政治に参加しているといえるのかを知ってもらいたかった。
 
 ②本記事を読んだ政治活動に興味のある方々に、どうすれば人々をまとめて、政治的影響力をもてるようになるのかという思想を知ってもらいたかった。

 

 

 記事中でも触れましたが、ヨーロッパやアメリカではコロナ禍というもあって、反緊縮的な思想が一段と力をもち、「財政制約のせいで何もできない」という緊縮思想に一穴が入り、こぼたれています。

 

 しかしながら、日本では未だに緊縮的な発想が政治家や知識人を覆っており、多くの一般大衆を苦しめています。

 

 そこで反緊縮思想家の活躍が望まれるところですが、あまり一団としての力が発揮できていないように思われます。

 

 本記事で紹介したようなラクラウのような理論をもって、政治の渦中に突っ込んでいき、政策の主張を訴えていってもらえたらなあ、という思いで記事をかきました。

 

 購入ポイント-気になっている人へ-

 

  下記に当てはまる人々にはおすすめできます。

 

①様々な民主主義の考え方について教科書的に知りたい人。

②現代の最新民主主義論について知りたい人。これは類書にはない。

③これから大学生になり、政治の勉強をする人

 

 

  

 

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。

 

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*1:以前にも記したように先進国は経済的に豊かになり、左翼のマルクス主義は説得力をもたなくなっていた。
 

 そのため、左翼は文化左翼の方向に舵を切り、経済を語らなくなっていった。
 文化左翼はマイノリティについての言説を主とするので、マジョリティ側の支持は得られなくなる。


 結果として、存在感が失われた。


 まあ、マジョリティ側からすれば、「文化リベラルが、我々を無視しているのが悪い」という気持ちだろう。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

*2:ちょっと古いアニメになるが、『宇宙のスティルヴィア』や『舞姫』といったアニメはこの話にそっくりな芸当をやっている。

 敵対していたメンツが共通の敵が現れるやいなや、一致団結し、自分たちがもっていた個々の要求Dを控えるようになる。
 
 これこそまさに、等価性の連鎖といえる。

*3:シニフィアンとは物事の名前です。

 

 

 たとえば、「海」という言葉。
 これをシニフィアンといいます。

 

 そして、「海」と聞いて想像される事々を
 シニフィエといいます。

*4:ちなみに空井護『デモクラシーとは何か』によれば、民主体制に於いて、社会主義共産主義も成り立つと述べている。

「ゆとり教育」で学力は上がった?日本の学力についての真実を知りたいあなたへ!

 「ゆとり教育」は失敗だった。

 

 そんな批判の声を聞いたことが皆さんもあるでしょう。

 

 今回紹介する小松光/ジェルミー・ラブリー『日本の教育はダメじゃない』(ちくま新書)はそれを否定しています。

 

 

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 本書より。2012年の試験は「ゆとり世代」によるものであり、総受講時間が少ないにもかかわらず、点数が高い。それ以降は「脱ゆとり世代」による成績。

 

 

 この本は、PISA(ピザ)やティムズの統計データを利用し、「日本人の順位は世界と比べてどのくらいの位置にあるのか?」を明らかにした本です。

 

 

 

 

 日本の教育についての通説は殆ど間違っている

 14の通説中、当たっているのは2説

 

 巷間いわれる「通説」に対して著者等はデータをみて、正しいか間違っているかこたえています。

 通説は1から14まであります。

 

 ・知識がない
 ・創造力がない
 ・問題解決ができない
 ・学力格差が大きい
 ・大人の学力が低い
 ・昔に比べて学力が低下している
 ・勉強のしすぎ
 ・高い学力は塾通いのおかげ
 ・授業が古臭い
 ・勉強に興味がない
 ・自分に自身が持てない
 ・学校が楽しくない
 ・いじめ・不登校・自殺が多い
 ・不健康

 

 

 さて、これらの通説のうち、当たっている通説はどれだと思いますか?

 

 「勉強に興味がない」「自分に自身が持てない」の2つだけです。

 

 つまり、他の通説に関しては間違っているということがデータから判明します。

 

 知識がない、想像力がない、ゆとり教育のせいで馬鹿になった、不登校が多い、授業が古くさい・・・・・・そんな話はたんなる妄想にしかすぎず、世界的にみると日本の教育は上の方に属していることがわかります。

 

 この本を読むと、「今まで新聞だの、週刊誌だのでいわれていたことってなんだったんだ?」となり、世の中、フェイクニュースだらけで、何を信じて良いのかわからくなります。

 

 ※特に驚くべきなのは「日本の子供達は、週六十時間以上勉強する時間が、OECD25カ国中19位であるにもかかわらず、学力水準はトップクラス」という点です。

  

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 本書より。日本人が、勉強していないのがよくわかる。

 

 

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 本書より。日本人は理数系が強い。

 *1

 

 この勉強時間と学力については「なぜ」なのかがわかっておりません。

 

 データ上でみれば、日本人は明らかに勉強時間が少ないのです。

 それなのに学力が高いのはどういうことなのか。

 

 シンガポールのような小さい国の学力が高い理由

 

 ちなみにこのデータをみると、シンガポールが一位をとっていることが目に付きます。

 そんなに優れた教育をしているのか!

 とお思いの方もおられるでしょう。

 これについて著者は次のようにいっています。

 

 「シンガポールの国土面積は約720平方キロメートルで、だいたい東京23区と同じくらいです。シンガポールの人口は約560万人で、東京23区内(970万人)よりも少ないです。」

 

 ここから次のことがいえます。

 ①日本は地域差を考えなければいけない。東京23区と山間部とでは同一の教育を行うのは困難。
 
 ②人口が多いため学校の数も多く教育政策を徹底できない。
 教育改革のために全ての学校に手を入れていく余裕がない。
 全国の国公立中学校は約二万校ある。学校は一年に200日ある。

 一日に二校ずつ見回っても、50年かかる。
 一方でシンガポールのような小国であれば、相対的にラクである。
 これが香港やマカオでもいえる。

 

 

 要するに国の規模によって、政策の貫徹がやりやすい、やりにくいが存在しているというわけです。

 

 ↓ちなみに日本の英語教育については以下の書をどうぞ。

 「なんで日本人は英語が喋れないのか」のか、あるいは「そもそも、英語学習の必要があるのか」についてわかりやすく書いてある本です。

 
 日本の教育について語るために知っておかなければならない基本的な情報

 

 現実をみてから、何か云え


 この本の主張は非常に簡単です。

 

 「教育政策を語るのは自由だが、〈データ〉をみてから、語れよ」です。

 ↓データをみることの大切さを説いた本。非常に売れてます。

  

 

 本書を読むと、総合的に日本の教育水準は高いということが判明します。

 すると、次のような疑問が湧いてきます。

 

 「え、じゃあ、どうして教育改革が必要だと叫ばれているの?」

 

 これはその通りでして、「アクティブラーニング」の導入だとか教員免許試験の改革だとか、そういったものが本当に日本において必要だったのか?

 という疑義、そしてマスコミ批判に繋がっていきます。

 

 

 それゆえ、本書では通説を仔細に検討した後、【Ⅱ 日本教育を壊さないために】の項目で3つの提案がされています。

 その提案の1つが「現実を見ない教育政策をやめよう」なのです。

 

 私のブログでもよく紹介していますが、これだけデータが取りやすい時代になり、多くの研究者達がTwitterやネット上に於いて様々なデータを提供しています。

 

 これらの解釈を巡って論争になったり、別のデータを提示して反論したり、と活発なやりとりが行われているわけです。

 

 すると、データに基づかないで何かを述べるのは、無定見な行為におもえますね。

 

 勿論、私たちはそれぞれの分野の専門家ではないので、受動的にならざるを得ません。

 

 そういった限界はあります。

 

 しかし、一定のルール、作法として「言っていることに何らかの根拠はあるのか?」というのを見た方がいいことは言えるでしょう。

 

※ところで、この本では日本の教育が完璧である、とはいっていないことに注意が要る。

 本書で述べているのは「現実がわからないと、改良しようがない」ということなのである。

 もし、「良い部分を変えて、悪い部分を残したまま」の教育改革が行われているとしたら、それは改悪といえるだろう。

 

 しかし、マスコミによって醸成された世論や空気の力が現実の政治を動かし、この改悪が、現実と化してしまっているのが現代日本なのだ。

 

 本書のお勧めポイント

 

 

 ①今回紹介した『日本の教育はダメじゃない』にはこれからの教育を考えるためのデータ集としての価値があります。

 

 ②既存の通説を疑うためのデータ活用法として本書から学べることは多いはずです。
 

 ③教育制度について不安な親御さんなどへ。

 ぜひとも本書を購入し、日本の教育内容に対して適当な目をもって、見ることができるようになります。

 

 

 
 

 
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*1:ちなみに、本書の結論から言うと「東南アジアは理数系が強く、読解は全体的に低い」という。

 これは、「試験を制作しているのがヨーロッパ人なのが関係しているのかもしれない」と推測されている。

インフルエンサーになる方法を教えます!知っておくべき二つのこと。

 インフルエンサーと呼ばれる人たちがいますよね。

 

 彼らは洋服や家電や本などを紹介し、多くの人たちの購入意欲を擽り、商品を売っています。

 

 人々がモノを買うのは商品がいいからではありません。

 

 信用しているインフルエンサーが勧めているからです。

 

 この記事を読んでおられる皆様もそんな人になってみたいとはおもいませんか?

 

 人は自分と他人との間に共通点があると嬉しくなります。

 自分の趣味や使用しているものに価値があると感じられるからです。
 
 インフルエンサーは他人に影響を及ぼすことで、自身の分身を作り出し、自己承認欲求を満たしているとかんがえられます。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 


 そんな、人々に影響を与える人間になりたい!

 

 では、私たちどうすればよいのでしょうか。

 

 実はインフルエンサー願望のある人に役立つとっておきの本があります。

 

 今回紹介する本はメンタリストDaiGo氏の『超影響力』(祥伝社)の一章目を紹介します。

 

 

 

 充実した内容の本であり、一章目で興味をもった方々にはぜひ購入していただきたいですね。

 

 これを読めば、もしかすると、あなたも将来のインフルエンサーになれる!かもしれません。

 

 

 

 

 人を動かすとはどういうことか?

 

 「信用」と「関係性」が鍵

 

・人は、同じ内容でも信用した相手の話に耳を傾けます
・人は、同じ内容でも「自分と関係がある」と思った話にしか興味をもちません

 

 とあります。

 たしかに私たちは信用していて、自分に関係のある話を聞きたいとおもっていますよね。

 

 影響力のある人はこういった関係を構築する術をもっているとダイゴ氏はいいます。

 

 影響のある人は、聞き手にとって「信用できる話してとなる方法」を知っていて、聞き手に「この話は異聞に関係があると思わせる術」を持っています。

 

 

 では、まず「信用」を手に入れる方法をみてみましょう。

 

 1 シュミュージング

 ・本題を話す前に自分をネタにした雑談を挟むことをいう。
 人は自分をネタにすることで親しみやすさや話すきっかけを作れる。

 

 効果的なネタは以下の5つ
 
 ・お金や健康に関する心配事
 ・人生で幸福を感じること、自分の楽しいこと
 ・自分の弱点やマイナス面
 ・自分の趣味や興味
 ・恥ずかしかった体験や罪悪感を覚えた体験
 (社会心理学者ゲイリー・ウッドが提案する「自己開示に適した10のテーマ」からダイゴ氏が抜粋した)

 

 これらの内容は人間なら誰しもが興味関心のあるものであり、雑談としてはうってつけなのです。

 

 お金や健康、趣味や恥ずかしい体験談などは多くの人にとってなじみやすい話ですよね。

 

 2002年にスタンフォード大学の研究チームが行った実験があります。

 

 「慈善事業に対する寄付を募ること」という実験でどういったやり方をすれば最も寄付を募れるのかを試したモノがあります。

 

 すると、自分をネタにした雑談を挟んだグループは20%も寄付を貰う確立があがっていたそうです。

 

 こういうわけで、シュムージングは信用を勝ち得るための1つの技法として役に立つことがわかりますね。


 2 ストレングス


 「聞き手に自身を与え、行動を起こしやすくさせるテクニック」です。
 方法としては語りかけている相手に自身を与えというものです。

 

 「キミなら出来る」と相手の背中をおしてあげます。 特に大事なのは「過去の自分」と「今の自分」とを比較するやり方です。

 

 昔のあなたは○○ができなかったけど、今のあなたは○○が少し出来るようになっている。これは立派な成長じゃないか。このまま続けていけばもっとうまくなるよ。

 

 というふうに相手の成長と変化とをほめてあげるのです。
 すると、聞き手のほうは話し手に好意をもちはじめ、信頼関係を結びやすくなるわけです。

 

 3 類似と共通点の強調


 似たものがある人のことを人は好きになります。


 

 サンタクララ大学で「50種類の形容詞の中から好きなものを20個えらべ」という実験を行いました。


 その結果からグループを3つにわけました。

 

 そして、グル-プ内で簡単な頼み事をするようにお願いしたのです。

 

 すると、好きな形容詞を選んだグループ内の人たちは77%が頼み事をきき、そうでない人たちは43%しかきませんでした。
 

 大きな差がつく結果になりました。

 

  
 このように人は似たところがあると好意をもちやすいのです。

 

 ダイゴ氏は「類似点や共通点を確認し合う会話はできるだけ早めに交わしましょう」といっておられます。

 
 そうすることで早く親密度があがるからです。

 

 では、これからのテクニックをどう組み合わすのでしょうか。
 引用します。

 

 「シュムージング」で距離感を縮め、「ストレングス」で相手のよいところを指摘したら、その過程で感じ取った自分との類似点や共通点を伝えます。(中略)しかも、人間には頼み事をしてきた相手のことを好きになる心理があります。これは人が「自分が親切な行動を取るのは、相手のことが好きだからだ」と認識するから。(太字はズンダ)

 

 いやはや、こんなテクニックがあるとは驚きですね。
 読んでいるだけで自分にも出来そうな気がしてきます。

 

 皆さんも、この信用を勝ち得る術をぜひ使ってみてください。
 
 上司でも部下でも友達でも気になる異性にでも、ガンガン使ってみましょう。

 

 

 関係性を感じさせることが大事

 関係性構築のための三つの方法-「社会的証明」と三つの「ゴール」

 


 
 人は自分と関係のある話題のときに強く反応します。
 影響力のある人は相手に「この話は自分と関係がある!」と思わせるのがうまいのです。

 

 それゆえ、聞いた人は「意識しなかったけど、この人が言っていることは自分と関係がある」と思い込んでしまいます。

 

 では、どうすれば相手にそのように思わせることができるのでしょうか。

 それが「社会的証明」といわれるものです。

 

 これは「多くの人間が支持したり、求めているものを人間は欲する」という本能のことを指しています。

 

 「社会的証明」があると私たちは安心します。

 

 「みんながやってるんだから、私もやっても大丈夫だ!」ってなるわけです。 

 これは「関係性」作りのために活用できます。 

 

 1 「この意見の支持率は高い」と知らせる。

 

 例文を引用します。

 

 愛煙家の人ほど、禁煙に成功すると精神的な幸福度が高まるんだって。健康診断の結果で要再検査と出ていたよね。心配だから禁煙にチャレンジしてみてほしい。最終的にどうするかはあなたに任せるけど」(太字はズンダ)

 

 

 この文章で重要なのは「禁煙に成功すると精神的な幸福度が高まるんだって」の部分でしょう。

 

 いかにも学説でありそうな話です。

 こういう「○○によれば」という部分が人をうごかすときに有効なわけです。

 この○○に当たる部分が人々にとって有名かつ権威があればあるほど、私たちは影響を受けやすくなります。

 

 例:「東大によれば」、「ハーバード大学によれば」、「聖書によれば」、「古諺に曰く」

 

 

 どうですか。

 これらの例をみたことがありませんか?

 一気に信じてしまいますよね。

 

 こうなると、自分に関係のない話であっても、「皆がやってるなら自分も・・・・・・」と自分で自分を洗脳し、関係性があるように感じるようになるわけです。

 

 2 「みんなと少し違う要素」をプラスする

 

 

 これも例文を引用しましょう。

 

 「一番人気の商品のデザインが異なるバージョンもあるので、お出ししますね。ソール部分にアクセントカラーが使われていて、サイドから見たときの印象が変わります」

 
 「機能性で言うと、一番人気の商品のバージョン違いになる、こちらのスニーカーもオススメです。とにかく履いているのを感じさせない軽さで、私も一足愛用しています」(太字はズンダ)

 

 

 ここで大事なのは「バージョン違い」という部分です。

 

 ダイゴ氏はいいます。

 

 人間は「みんなと同じでいたい、安心したい」とかんがえる一方で、「みんなより優れていたい」とも欲するのです。

 

 

 これは服や靴などが好きな人ならよくわかるのではないでしょうか。

 

 ナイキなども色んな靴を出していますが、どこかとコラボした商品などは既存の靴と同型でありながらも、一部が異なっているために好事家たちにとっては垂涎の的となってますよね。

 

 似た製品はあるけれども、一部が違うだけで喉から手が出るほど欲しくなってしまう。
 
  私たちはそういうところがあるのです。

 

 この2つのテクニックは併用して用いるべきだとダイゴ氏はいっておられます。

 

 というのも、まずは「みんながそれをしている。求めている」という意識を相手に植え付けなければいけないからです。

 その上ではじめて「でも、他の人とやや違うモノがほしい」という欲心がうまれるのですね。

 

 土がなければ植物は育たないように、土台部分を提示することから関係性の構築ははじまるのです。

 

 3 「ゴールを掲げる」

 

 人は何かをする際に「ここが終着点なんだ」という意識をもつと安心して、行動を起こせます。

 そのゴールは魅力的なものでないといけないそうです。

 では、どんなゴールを相手に与えれば、人はうごくのでしょうか。

 

 ① アフィリケーションゴール

 

 アフィリエーションは「所属」という意味でとらえろ、とダイゴ氏はいっておられます。

 人は自分と他の人が同じ気持ちでいることを望んでいるからです。

 所属が一緒であることをアピールすれば、人はそこに親近感を覚えます。

 それゆえ、その所属を得るためのゴールへ向かいたい気持ちになるのです。
 

 例文を引用します。

 

 

 「自分の余裕を第一に考える価値観を追求してみませんか?」

 

 「新しい仕事の仕方を取り入れて、効率を上げていきたくはないですか?」

 

 「まずは稼ぐ力を磨くこと。そこに1つの正義があると思いませんか?」

 

 

 

 これらの例文に同意する人は多いはずです。

 「自分の余裕」や「効率を上げる」や「稼ぐ力」など、多くの人にとっては魅力的なことばではないでしょうか。

 

 このように人の琴線に触れるアフィリエーションゴールを設定しておくことで、影響力をもてるようになります。

 

 ② アキュラシーゴール

 

 

 人は自分の行動に正確性を求めるといわれています。


 「正論」を好む人々をTwitterでよくみかけるでしょう。

 それが昂じると「正義マン」になり、不正を行う人を糾弾してしまう。

 

president.jp

 

 私たちには「正しさへの欲求」と呼ばれるモノがあります。

 

 アキュラシーゴールとはその欲求を利用して、ゴールを示す方法です。

 例文を引用します。

 

「あなたの100円の寄付で、5人の命を救うことができます」

 

「高齢者による不幸な事故を減らすため、積極的な免許返納を」


「チケットからマスクまで、利ざやを稼ぐ転売ヤーを締めだそう」

 

 

 

 「5人の命を救う」や「高齢者の免許返納」や「転売ヤーを締めだそう」などはいかにも人々が好きな言葉だとおもいませんか?

 

 皆さんもTwitterや匿名掲示板でこういった書き込みをしたり、みたり、同意したことはありませんか?

 

 このように私たちは「正しさ」に飢えています。
 
 影響力のある人はこういったキャッチコピーで私たちの気持ちにうったえかけてくるのです。

 この著者のダイゴ氏の動画でいえば「許さん、マスコミ」でしょう。

 

 なんと約700万再生!もされております。

 

www.youtube.com

 マスコミは今や「マスゴミ」といわれるように、ネットユーザーからは嘘や虚飾を織り交ぜて、人々を不安に落としこむ存在として扱われることが多くなっています。

 

 ダイゴ氏は以下の動画をとることで、多くの人々の溜飲を下げることに成功しております。

 これもまた、アキュラシーゴールを利用したものだといえるでしょう。さすがですね。

 

 ※ちなみにメディアというものはその存在自体がウソや不確定なものを扱うことがわかっている。

 

 よって、マスコミはマスゴミといえるのだが、問題は存在自体が最初から虚実を交えた存在であるために、マスコミの言説を改善しようという目論見は失敗に終わるといえよう。

 

 メディアに関しては以下の書物がおすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 ③ポジティブセルフコンセプトゴール
 
 

 一貫性を保ちたいという心理を利用したものです。
 人は自分が選択した道が正しいと信じていたい生き物です。
 サンクコストや経路依存性などという言葉を聞いたことがある人もおられるでしょう。

 

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本書より

 つまり、一度軽いことをお願いして、そのあと、同系統のもっと重いことをお願いすると、人々はそれに対して賛同してしまうのです。

 

 これを関係性を作る際に利用するのです。

 

 やりかたは簡単。

 

 「一つのことを真面目に取り組んでいるあなたは立派ですね。」

 「一貫性のあることを丹念に取り組んでいれば、将来、いい結果がでます。」

 

 ということです。

 

 こうすることで、人々はあなたの話に対して関係性を感じるようになります。

 

 

 
 終わりに

 

 さて、『超影響力』如何だったでしょうか。
 これだけ充実した内容ですが、今回の記事で紹介したのは一章だけです。

 第五章まであるのですが、ほんとうに中身の濃い本です。

 

 残りの四章が読者の皆さんを待っています。

 

2章 記憶に残し、無意識を操る5つのメソッド
3章 人・集団を動かす6つのトリガー
4章 あなたが人を動かせなかった3つの理由 
5章 悪用厳禁 人を動かす7つの黒いテクニック

 

 もはやこの目次の段階で私たちはダイゴ氏の術中にはまっていることがおわかりになるでしょうか。

 

 分からないかたはぜひ、この本を購入してみてください

 

 仕事や恋愛でも有効な、秘密のテクニックが本書には収められております。

 

 あなたは人を思うがままに動かしてみたいとは思いませんか?
 
 気になっている異性と付き合えたり、商談を成立させたり、youtuberとして華々しく活躍してみたいと考えたことはありませんか? 

 

 この本のテクニックを知っているかいないかで、他の人とは格段に異なる人生が歩めるようになることでしょう。

 

 私ズンダもこの本を自家薬籠中のものとして、ふんだんに使いこなしてみたいなと思いました。

 

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。

 

 お気に召しましたら、ブックマーク&読者登録をぽちっと押して頂ければ幸いです!はげみになります。
 

 

 ↓インフルエンサーになりたいあなたに更にお勧めの記事。

「幸福になる方法」について記した記事です。

これをよめば、あなたも他人もどうすれば幸せを感じられるのかがわかるようになり、更にインフルエンサーとしての力を思うがママにふるえることでしょう。

zunnda.hatenablog.com

 

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【文章の書き方】人に伝わる文章を書きたいと思っているあなたへ!【三つのポイント】『文章術のベストセラー100冊』より

 

 ちゃんとした文章が書きたいな!

 そう思いながら学校や会社などで文章を書いておられる方は多いと思います。

 

 今回はそんな方々へおすすめの本を紹介します。

 

 藤吉豊、小川真理子による『「文章術のベストセラー一〇〇冊」のポイントを1冊にまとめてみた。』です。

 

 

 

 この本は「文章の書き方本」の中の共通部分を彼らが抜き出し、順位付けしていったものです。

 

 つまり、良い文章を書くための条件をまとめ上げた内容になっております!

 

 私ズンダもこのブログで沢山の記事を書いて参りました。

 

 でも、たまにおもうんですよね。

 

 この書き方でいいのかな?って。

 

 もっとわかりやすい書き方はないのかと。


 というわけで今回は第一位から第三位までの方法をみていきます。

 

 

 

 

 第一位 文章はシンプルに

 

 シンプルってなんだ?

 

 「文章はシンプルに」といわれても、わかるようでわからないですよね。

 次の三つがシンプルの中身です。

 

①余計な言葉は削る
②1文の長さは「60字以内」
③1文につき1つの主張のみ

 

 

 なるほど。
 この三つがシンプルな文章に欠かせない要素のようです。

 

 では、私ズンダが悪文の例を作ってみることにしましょう。

 

 近頃の若者は電綱で同世代と触れあっており愈々世界の終わりをば感じさせるものがあるけれども、そこには人々の義理人情やそこばくとあるのかもしれないと、やや冷感な人間の集いではなく、温情溢れる交友関係(friendship)があると思うようになりつつあるが、コロナ禍に於ける政治権力の増大が有名なディストピア小説の一群をなぞる形で再現されていることも見逃せない事実であろう。

 

 

 もう明らかにシンプルな文章からかけはなれていますよね。

 

 ①~③の方法で読みやすい文にかえてみましょう。

 

  

 近頃の若者はインターネットで同世代と触れあっている。

 

 私はネットでの関係しか保てない人たちをみて、世界の終わりを感じていた。

 

 しかし今は、そこに人々の温かいやりとりがあるのかもしれないと
思うようになりつつある。

 

 また、コロナ禍で、政治権力が肥大化している。
ディストピア小説の再現がなされているといえよう。

 

 ①余計な言葉を削り、②1文の長さを60字以内にし、1つの文につき1つの主張にかきかえてみました。

 更に、難しい漢字や英単語を省いています。

 

 こうすることで、誰の目にも読みやすい文章に生まれ変わっていますね。

 

 ※ちなみに、文章の内容に特に意味はありません。

 

 2 伝わる文章には「型」がある
  

 わかりやすいカタチとは?

 

 

 起承転結という言葉を小中学校で習いませんでしたか。

 文章の書き方の一つですね。

 型に当てはめると何がいいのでしょうか。
 

 引用します。

 

(1)どの内容を、どの順番で書けばいいのか迷わない。
(2)書くスピードが速くなる。
(3)文章の流れが良くなる。
(4)情報の過不足がなくなる。
(5)論理展開が破綻しにくい。
(6)結論がはっきりする。

 

 

 これだけ利点があるなら、型にはまったほうがよさそうですよね。

 ではどんな型があるのでしょうか。

 引用します。

 

 

(1)逆三角形型・・・・・・「結論→説明」
 結論を先に述べる。新聞記事、ビジネス文書、実用文向き
(2)PREP法・・・・・・「結論→理由→具体例→結論」
 結論を述べたあと、結論に至った理由と具体例を述べる。ビジネス文書、実用文向き。

(3)三段型・・・・・・「序論→本論→結論」
 結論を最後に述べる。論文向き。

 

 

 

 私ズンダのブログは基本的にはPREP法でかかれています。
 
 P=ポイント、R=理由、E=事例、P=まとめの略です。
 
 これが、ブログ記事を書くときに有効な方法なのです。

 

 

最初に何がポイントかを伝える。
次にその理由。 
更に具体例。
締めにはまとめ。

 

  わかりやすいとおもいませんか?
 

 型だけ決めておけば後は4つの要素を埋めていけばいいだけです。
 
 今回の記事もPREP法を意識してかいています。

 

 第三位 文章も「見た目」が大事
 

 見た目とは?

 

 

 見た目とは何を意味しているのでしょう。

 

 文字の大きさ
 太さ
 1ページの行数
 1行の文字数
 空白行
 文字の配列
 改行のタイミング
 次間と行間のバランス
 

 

などのことです。

では、どうすればよくなるのか

 

 

・よはく
・ひらがなと漢字の使い分け
・リズム

 

 これら3つを意識することです。

 

 余白は改行を意識すればいいですね。

 リズムは句読点や使用語彙を気をつければ良い。

 

 特に「ひらがなと漢字の使い分け」は重要でしょう。

「漢字2、3割」
「ひらがな7、8割」

 

 が本書ではすすめられています。

  

  終わりに

 

 今回は文章の書き方本をすすめてみました。

 昔から「文章読本」という名前で川端康成*1三島由紀夫谷崎潤一郎丸谷才一などの作家達が出してきました。

 

 

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 
文章読本-新装版 (中公文庫 (み9-15))

文章読本-新装版 (中公文庫 (み9-15))

 
文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

  • 作者:丸谷 才一
  • 発売日: 1995/11/18
  • メディア: 文庫
 

 

 

新文章讀本 (タチバナ教養文庫)

新文章讀本 (タチバナ教養文庫)

  • 作者:川端 康成
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 単行本
 

  ※特に丸谷才一文章読本は中身が濃く、真似しやすい。

 もし、読む気があるならば、丸谷才一文章読本はすすめられる。

 

 最近ではブログの流行もあって、数多くの人たちがスマートフォンやPC時代に合わせた文章の書き方を紹介するようになっています。

 

 しかし、出版物が多すぎて、誰の本を読めば良いのか?と思っておられる方は多いでしょう。

 

 今回紹介した本は数多くの本から文章の要となる部分を抜き書きしています。

 

 それゆえ、この一書『文章術のベストセラー一〇〇冊』を買えば余計な本を読む必要はないといえます。

 

 ブロガーや文章を書く仕事をしておられる方にはお勧めできる本ですね。

 

 学生にお勧めできる本は以下である。

 

 

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

  • 作者:戸田山 和久
  • 発売日: 2012/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 では、またお会いしましょう。

 ズンダでした。

*1:ちなみに伊藤整による代作といわれている。

江戸時代の天皇に起こったことー天皇と禁中並公家諸法度ー

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 教科書で日本を学ぶと、ありとあらゆる時代に必ず天皇の存在がありますね。

 しかしながら、日本史の制度や人物などが多く載っているため必ずしも天皇がその時代ごとに何をやっていたのか分からない人は私を含めて多いと思います。

 

 そんな方達におすすめの本、叢書があります。

 講談社学術文庫から出版されている『天皇の歴史』です。

 

天皇の歴史1 神話から歴史へ (講談社学術文庫)

天皇の歴史1 神話から歴史へ (講談社学術文庫)

  • 作者:大津 透
  • 発売日: 2017/12/13
  • メディア: 文庫
 

 

 このシリーズでは古代から平成天皇までを扱い、それぞれの歴史において天皇がどのような役割や生活をしてきたのかを描いています。

 

 今回紹介するのは以下の本。

 『天皇と芸能』の松澤克行氏が担当した「近世の天皇と芸能」です。

 

 

 禁中並公家中諸法度は何を意味しているのか?

 変わる解釈ー天皇と政治ー

 

 徳川家康徳川秀忠 朝廷側からは二条昭実が京都の二条城に参会して連署し、制定されたのがこの法度です。

 

 学校でもならう有名な条文がありますね。
 

天子の諸芸能のこと、第一御学問なり
学ばざればすなわち古道に明らかならず、しかるに政をよくし 
し太平をいたすは、貞観政要の明文なり。

寛平の遺誡に経史を窮めずといえども、群書治要を
誦習すべしとうんぬん和歌は光孝天皇よりいまだ絶えず、綺語たると
いえども、我が国の習俗なり。棄て置くべからずとうんぬん。

禁秘抄に載するところ御習学専要に候事

 

 


 「天子諸芸能のこと、第一御学問なり。」とあります。

 

 この条文が意味するところは天皇は政治にはかかわらず、諸芸能、特に学問をやるべきである」といわれていました。

 

 幕府は天皇の権威が反幕府勢力に利用されたり、天皇による反乱などを押さえるために専ら文芸に務めるよう法令を定めたと解釈されていたのです。

 

 しかし、松澤克行氏の指摘によると、これは天皇を治者として認めている文なのです。

 

 「学ばざればすなわち、古道に明らかならず。しかるに政をよくし太平をいたすは、いまだこれあらざるなり。貞観政要明文なり。寛平遺誡に、継史を窮めずといえども、群書治要を誦習すべしとうんぬん。」とあります。

 

 この部分は政治を掌る人間はしっかりと歴史の勉強を行う必要がある、という一文です。

 

 すると、幕府側は天皇を治政を行う存在と見做していたということになります。

 けれども、実際は官位叙任権ぐらいしか力はなかったそうです。

 

 和歌は天皇にとって二番目に大事?ー歴史が一番、二番目は和歌ー

 

 更に大事なことがあります。

 

 和歌は光孝天皇よりいまだ絶えず。綺語たるといえども、我が国の習俗なり。棄て置くべからずとうんぬん。

 

 ここで初めて「和歌」が出てきます。
 

 つまり、第一の学問とは「儒学」であり、「和歌」は第二に天皇が身につけるべき芸能だったのです。

 

 『禁秘抄』に書かれた和歌の順番

 

 ただし、『禁秘抄』には次のように和歌は位置づけられていたそうです。

 引用します。

 

 そもそも『禁秘抄』の原文における文脈をたどってみると、「第一」である学問を修めることは天皇にとっていわば必修科目であるが、「第二」とされる管弦以下の音曲、そして和歌といった芸能は、学問をきちんと行った上で嗜むべき選択科目にしか過ぎないとされている。(中略)和歌はそれら諸芸能の中では決して高い順位が与えられておらず、管弦・音曲の下位に位置づけられていたのである。

 

 

 というように、『禁秘抄』においては「和歌」は管弦よりも下の扱いを受けていたのです!

 

 そう考えると、「禁中並公家諸法度」で和歌が二番目に大事なものと特記されるようになったのは、当時において意外なことだといえるのです。

 

 管弦を二番目に書いた方がまだ分かるからです。
 
 これには室町時代和歌勅撰事業将軍の執奏に基づいて行われるようになったからだといわれています。

 

 つまり、公家が中心となっていたはずの勅撰に室町時代になると、武家政権の力が及ぶようになっていたのです。

 

 江戸幕府が「禁中並公家諸法度」で和歌をとりあげたことについて松澤氏は次のようにまとめておられます。

 

 第一条で和歌を特に採り上げたのは、中世における天皇と和歌との特殊な関係性を承認するとともに、法度という明確な根拠に基づき、天皇を象徴する芸能を引き続き武家政権の影響下に置こうとしたあらわれだったのではないだろうか。

 

 私たちは昔から天皇が和歌を作り、儀式を行い、年中すごしていると考えがちです。

 しかし、この時代の天皇江戸幕府によって法度を出され、その枠組みの中で活動せざるを得ない存在でした。

 

 漢学かぶれの天皇が誕生してしまうー読書始と逸話にみる後光明天皇

 

 その影響の一つとして次のことがあります。

 

 「禁中並公家中諸法度」が制定されたのは後水尾天皇の在位時代です。

 その後、中継ぎの女性天皇である明正天皇、後光明天皇と続きます。

 光明天皇(1633~1654)こそがこの法度下での教育を受けた人物でした。

 

 彼は11歳で皇位を継承し、読書始をおこなっています。

 読書始めとは上流階級の子弟が学問を開始するときに行われた儀式です。

 儒臣が学ぶべき本の表題を読み上げ、他の儒臣がそれを復唱するという儀式でした。


 この中に「禁中並公家諸法度」で名前がでていた貞観政要が入ってるのです。
 
 これは歴代天皇の読書始において初であり、幕府を意識した選定だとかんがえられています。
 
 また後光明天皇日本の和歌や文芸についてかなり見下していた逸話が残っております。

 

 徳川吉宗の侍講であった室鳩巣の書簡を基にして編まれた「鳩巣小説」には以下の話が載っています。

 

 後水尾天皇「我が国の風俗を忘れないようにするため、和歌も嗜んだほうがよい」
 
 後光明天皇「古来、天下国家をきちんと治めようとした天皇や大臣に、和歌を詠んだ者などおりましょうか」

 

 あるいは

 

 「我が国の朝廷が衰微したのは、和歌が隆盛し『源氏物語』が読まれるようになったからである。世の中の秩序を安定させ人民を正しく導くことに努め天皇・大臣の中に、和歌を愛好した者などいない。それに、『源氏物語は淫乱の書だ」

 

 と『源氏物語』をひたすら腐していたらしく、公家諸法度の影響下にあった天皇儒学にとりつかれたというのがよくわかりますね。

 ※ただし、『源氏物語』に高い評価を与える人物はだいたい公家らで、漢学派の人たちは基本的にむかしから『源氏物語』を評価していない。

 

 後水尾天皇がいなければ、和歌の歴史はかわっていた?

 

 これに対して父親である後水尾天皇は何回も苦言を呈していたらしく、教訓状を三通、残しています。

 

 別して今程、万端武家のはからひ候時節に候へば、禁中とても、万事旧例に任て音沙汰あるべき様もな体に候。万事御心を付られ御慎、専要に候か。

 

 

 これは「政治権力は幕府に握られている状態で、天皇自体の個性を何処に求めるべきかといえば、和歌ではないのだろうか」というふうに読み取れます。

 

 

 後光明天皇は承応三年(一六五四)に二二歳でこの世をさります。

 後水尾天皇は延宝八年(一六八〇)に八五歳の天寿をまっとうしました。

 

 後水尾天皇が後光明天皇よりも長生きであったため今の天皇にまで伝わる和歌重視の「文化戦略」が継承されたといわれています。

 もしかすると、漢学重視の天皇が私たちの前に在しました可能性もあったのです。

 

 終わりに
 

 どの日本史の本を読んでいても、天皇の名前がでてこないことはないでしょう。

 そのぐらい天皇は何時の時代にも存在しています。

 

 しかし、その割には私たちは各時代事に天皇がどんなことをやっていたのか知らない。

 

 鎌倉時代に入れば武家政権の時代が始まり、天皇の力は衰微し、影が薄くなっていくことも関係しているのでしょう。

 

 平成天皇が退位されて、令和三年を迎えた今日この頃。

 

 天皇についての知識を得たい方には是非読んで貰いたいのが「天皇の歴史」シリーズです。

 

 中身は非常に充実しており、楽しい読書時間をすごせました。

 

 では、またお会いしましょう。

 ズンダでした。