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読書好きな弱者男性の管理人ズンダが古典、小説、批評文、経済、実用書、ガジェット、ゲームを中心に紹介するブログです。ご覧ください。Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています。

「誰かから認められたい」という承認欲求の理由と解決法とは何か?

 人はなぜ「認められたい」のか

 皆さんは「誰かから認められたい!」と思ったことはありませんか。

 人から褒めてもらったり、人からスゴい!といってもらえたりすると、充実感が湧いてきますよね。

 

 私たちは誰かに何かで認めてもらえると嬉しくなってしまう性質をもっています。

 

 しかし、その思いが強くなるほどおかしい方向へいってしまうのも事実です。

 

 たとえばSNSをみてみましょう。

 TwitterInstagramで他人への優越を誇りたいがために高い洋服や鞄や靴、あるいは高級旅館や海外の観光地の写真をこれでもかといわんばかりに挙げている人たちがいます。

 

 イイネ!をもらい承認欲求を満たすために、嘘の写真や経歴などを述べる人たちもちらほらみかけますよね。

 

↓承認欲求の塊ともいえる女性達を描いた本。

Twitter界隈にいるいる!」ってなること間違いなし。

 

 

 

 行き過ぎた承認欲求は身を滅ぼします。 

 

 私たちはこの承認欲求を適度に飼い慣らす必要があるといえるでしょう。
 
 今回紹介する本、竹下伸二『ひとはなぜ「認められたいのか」』から以下のことをまとめてみましょう。

 

  

・承認欲求とは何か
・承認欲求をいかに満たすか


 の二点について今回は本書より説明します。

 

 

 

承認欲求には種類がある

 

 承認の経験には二通りある

 まず「何を承認されたのか」です。

 「行為の承認」と「存在の承認」にわかれます。

 ・行為の承認
 人からある行為が評価されること。


 例:成績がよい。運動ができるなど。
 

 ・存在の承認
 趣味や考え方などで共感しあうこと。
 「何ができるか」ではなく、自分の「ありのまま」を人に受け入れられることで生じる承認のこと。
 例:A「あの漫画が○○なところが好き」
  B「あー、わかる。あそこいいよね」
   

 

 これらは「何が承認されたのか」という話でした。

 

 「誰に承認されたのか」は三つある

 

次は「誰に承認されたのか」をみていきましょう。
 三つあります。

 

 

 親和的承認
 親密で信頼できる人に認められる場合
 例:親や親友から愛情にもとづいた「存在承認」

 集団的承認
 自分が所属する集団の人に認められる場合
 例:クラスや部活の仲間、現場の同僚、趣味のサークル、宗教団体などから貢献すると認められる承認。「行為の承認」である。

 一般的承認
 見知らぬ一般の人々から認められる場合
 例:高学歴だったり、芥川賞をとっていたりすると、社会一般から評価される。
 これも「行為の承認」といえる。

 

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本書より

 

 自分で自分を認めるー「自己承認」ー

 

 

 次に自分で自分を認める「自己承認」について彼はかいています。

 一つが特定の価値観に基づく「規範的自己承認」です。

 もう一つが「普遍的自己承認」です。

 

 世間の価値観を絶対視したりせず、さまざまな立場の人や考え方、価値観を考慮し、多様な観点から行為の価値を考えなければ成りません。(中略)このような、多様な人々の立場や価値観を思い描き、彼らの身になって考えられるような観点のことを、以後、「普遍的視点」と呼ぶことにしましょう。(中略)普遍的視点による自己承認のことを、以後、「普遍的自己承認」と呼びたいと思います。

 

 

 

 竹下氏はこれからの時代に必要なのは「普遍的自己承認」だといいます。

 というのも、グローバル化によって異文化交流が盛んになり、生活様式もめまぐるしく変わっていく社会になったからです。

 

 とはいっても、この承認方法だけで自分を満たすことはできないともいっています。


 実際、私たちは自分だけで自分を認め続けるのは無理でしょう。

 どんなに成績が悪くても「俺はすごい!」という自己承認を続けられるでしょうか。

 現実をみないようにしても、成績下位は下位でしかありませんね。

 

 どうしても他人からの承認が要ります。

 

 承認欲求不安から自分を解放する方法!

 不安な人は袋小路に追い込まれているー努力はしても成功するわけではないー

 

 誰も自分の事を認めてくれない、なぜなら、自分には能力がないからだ!

 なぜこういうふうに考えるようになってしまうのでしょうか。

 

 基本的に、「親的承認欲求」=「存在の承認」がない人ほど「行為の承認」を求める傾向にあると竹下氏はいっています。

 

 親的承認欲求によって、自分の存在そのものが親密な人たちに認められてさえいれば、「行為の承認」にそこまで執着しないようになるのです。

 

 「行為の承認」に重きをおくひとは、親密な人たちに「あなたはいるだけで価値があるんだよ」という扱いを人生で受けてこなかったわけです。

 

 それゆえ「何かをしなければ自分はいけないんだ!」という思いが強い人になってしまうのです。

 

 もちろん、「行為の承認」を得ようとして、上手くいけばいいのです。

 しかし、何かで成績を残すのは簡単なことではありません。

 

 前々から当ブログでいっているように、「努力すれば何か出来る」は嘘です。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 多くの人は何かを諦めたり、捨てたりして、日々を生きていきます。

 夢や目標は必ず達成できるものではありません。

 環境や運や才能などでいくらでも左右されます。
  
 努力の問題だけではないのです。

 

 ↓自己啓発本の読み過ぎて、努力すればなんでもできるようになったと思い込む日本人たちへ警鐘をならしたかった記事。

zunnda.hatenablog.com

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 かくして、自己不全感が増していき、「自分は何も出来ない人間なんだ」と考え、「心の病」に落ちてしまう人たちがいるわけですね。

 

 承認欲求の不安解消は「親和的欲求を満たす」ことからはじまる

 

 では、どうすれば承認欲求の不安から逃れることが出来るのでしょうか。

 良い方法があります。

 こういった承認不安を治すための解決方法があるのです。
 
 以下の図をみてください。

 

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本書より

 ここで大事なのはやはり、親和的承認を形成することです。
 
 そのために精神科医セラピストに頼み、彼らに親和的承認をしてもらうのです。

 

 「認知の歪み」をなおそう

 

 そのあとは自分の中の「認知の歪み」を捉えるようにしていきます。

 「認知の歪み」とは物事の捉え方が狂っているということです。

 不安症になっている人たちは自分勝手なオカシイ考え方に填まりこんでいます。
 
 それは社会や親や友人関係などによって虐げられたり、冷たくされたりすることで作られた考えです。

 例えば、認知の歪みが生じると次のように思い込むようになります。


 
 「○○先生にいじめられた。だから、すべての先生は悪である」 
  
 

 

 これは明らかにおかしいですよね。

 ○○先生があなたに対して嫌な人だったとしても、「先生」という職種についている全員が悪なわけないでしょう。

 

 ところが、「認知の歪み」があると、こう見方がアタリマエになってしまうのです。
 自分が狭量な考えをもっていることに本人は全く気づきません。

 

 ここが厄介なのです。

 

 度数があってないメガネを使って、世界を見続けている。
 
 それが「認知の歪み」です。

 この歪みを分析、修正していくことが精神科医臨床心理士には求められているのですね。

 ですから、承認不安を抱えている人は次の行動をとりましょう。

 

①信頼できる人と接する
②その人達から親和的承認を得る
③徐々に認知の歪みをなおす 

 

 もし、信頼できる人がいないのであれば、専門家のもとへ向かいましょう。

 あなたの親和的欲求を一時的に彼らに補ってもらえるからです。
 

 

 

↓「痴漢犯罪者を治療するとはどういうことか?」を書いた本。

 これも「認知の歪み」をなおす経緯がかいてあり、今回の承認欲求に通じているといえよう。おすすめ。
zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

 

 

 



 ↓ちなみに、「認知の歪み」などではない人たちがいることを書いたのが『ケーキの切れない非行少年たち』である。

 この本では軽度な障害のせいで、社会生活を送れず、犯罪者になってしまう

青少年達が描かれている。

zunnda.hatenablog.com

 

 

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

  • 作者:宮口 幸治
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 新書
 

 


 終わりに


 この本は学問的な体裁が整った本ではありません。
 よくいえば哲学書、わるくいえば中高生が書く感想文、といった本です。
 *1

 

 ですから、『ファクトフルネス』やピンガー『21世紀の啓蒙』やメンタリストDaiGoのような統計をもって客観的な根拠を踏まえて、何かをいっている本ではないことに注意しましょう。

 

 

 

 

 

 あくまで、竹下氏個人の考えが剥き出しのまま放出されています。

 こういった主観的な文章を読む場合は次のように受け取るようにしましょう。
 
 

筆者の思考と自分とを重ねあわせ、病気の治療を受けているような気持ちで読む。

 

 おそらくこの本を読みたいと思った人は自分の承認欲求に悩まされているのでしょう。


 医者から治療を受けている患者になったつもりで読んでみてください。
 
 もしかすると、気持ちがラクになるかもしれません。

 

 承認とは何なのかを見詰めることで「自分はこれができないから、だめなんだ!だから、誰からもみとめられないんだ!」という考えから逃れられるかもしれません。

 私たちは分析し、解剖することで、症状を理解し、冷静にみつめることができるようになります。

 

 この本はそういう意味で役に立つといえましょう。

 

 ちなみに本書では、今回紹介した以外にも社会全体の承認不安を解消するための方策がかかれています。

 興味のある方はぜひ読んでみてください

 

 

 ↓ちなみにもっと科学的な「幸せ」を掴む方法がしりたい人は以下の記事へどうぞ。

 今回の記事よりも具体的な解決策がかいてあります。

 

zunnda.hatenablog.com

  

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 では、またお会いしましょう、ズンダでした。

 ブックマーク&読者登録、お願いします!

*1:※ちなみに性格や人間心理について書かれた本としては私ズンダのブログでも扱った本がある。
 過去記事へのリンクを貼っておく。
 これらは学問的な体裁がある。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

リベラルとは何か?田中拓道『リベラルとは何か』を紹介する!!

 リベラルとは何か

 さて、今回紹介するのは田中拓道『リベラルとは何か』(中公新書)です。

 

 

 

 

皆さんも何かにつけて「リベラル」という用語をきくことが多いと思われます。

 

 そもそも、「リベラル」とは何なのでしょうか。

 

 この記事では本書より以下のことについてまとめていきます。

 

古典的自由主義と現代のリベラルができるまで
新自由主義との関係性

 

では、みていきましょう。

 

 

 リベラルとは何か?

 

リベラルの定義

 

 現代のリベラルについて、田中氏は次のように定義しておられます。

 

 あらかじめ定義を示しておけば、リベラルとは、「価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治思想と立場」を指す。

 


 要するに国家が人々の生活や自由を支えながらも、個人の自由を尊重するというのがリベラルだ、ということです。

 

 もちろん、国家権力がどれぐらい個人の生活に入り込むかについては議論の余地があるでしょう。

 

 リベラルの歴史

 

 リベラル自体は十七世紀の自由主義にその本源があります。

 

 17世紀以降、ヨーロッパで商業市場が発展すると、新たに勃興してきた商人階級、つまりブルジョワジーを中心として、強大化する君主権力や中世以来の特権を保持しようとする貴族階級に対抗する改革運動が起こった。

 

 要するにそれまでは市場経済が発達していなかったために、貴族とそれ以外の人々でヨーロッパはわけられていたわけです。

 

 ところが、商人達がお金を稼ぎ始めると、貴族達に対抗できるだけの経済力をもちはじめます。

 

 すると「貴族は権力をもっている。しかし、金をかせいでいる俺らのほうが偉くない?なんで、好き放題、税金をとられるの?」となるわけです。

 

 ピューリタン革命や名誉革命が起こり、「個人の自然権と法の支配」という二つの原理が確立していくわけです。

 有名なロックによる『統治二論』(一六九〇年)はこの時期にかかれました。

 

 

 

 

 

 彼は人には「自然権」がある、と主張します。

 

 これは神によって与えられている不可侵の権利(貴族たちには冒すことのできない)のことです。

 

 そこには、「生命、自由、財産」の三つがあり、すべての個人は「生まれながらにして自由かつ平等な独立した存在」とかかれています。

 

 財産も個人の所有物であり、誰からも奪われてはならないものと主張しているのです。

 個人と契約した国家の役割は、こういった個人を守ることであり、人々が制定した法律によって国家権力は縛られる、ともいっています。

 

 このロックの思想は18世紀後半のアメリカ独立革命フランス革命でも意識されていました。

 これを古典的自由主義といいます。

 

 19世紀で自由主義は変貌する

 

 さて、19世紀になると商工業がさらに発展していきます。

 すると、ブルジョワジーの力が増大していき、古典的自由主義ブルジョワジーの利益を代弁する経済思想」へと変質していきます。

 

 ここら辺が私たち人間の卑しいところですね。

 押さえつけられていた人々が権力者をうちたおすと、今度は、自分たちが以前の権力者のように個人的な利益を増大させようと考えるはじめる。

 

 有名なアダム・スミスは『国富論』(1776年)で次のように述べています。

 

 生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためである。だが、そうすることで、多くの場合と同じく、見えざる手に導かれ、自分では意図していなかった目的を促進することになる。・・・・・・公共の善のために商売をしていると称する者が、実際にそれを成し遂げたことなど聞いたためしがない」 
 
 

 

 

 

 スミスは「神のみえざる手」によって、自分自身の利益になることをやっていれば、世の中のためになる、と楽観的なことを考えていました。

 

 そして、国家は自由な市場を維持し、産業を保護したり職業の移動や自由を制限しないようにしろ!と国家権力を斥ける主張するのです。

 

 こうして、現在、問題になっている新自由主義的な発想、市場経済に任せておけば世の中はよくなる」という迷妄がうまれます。

 

 ↓どうして経済学で私たちは豊かになれないのか。いったい何をまちがえたのか、が書いてある本。新自由主義批判。

 

 ↓新自由主義によって、たとえばチリがどのように悲惨な目にあったのかを書いた本。

 

 

 実際、19世紀では国家の国民総生産における政府支出は歴史家のマイケル・マンによると次のように減少しました。

 

 イギリス
 1830年12%→1910年7%
 フランス
 1790年12%→1910年11%


 ※正直、フランスに関しては一%しかさがっておらず、いうほど政府支出が下がった例として挙げるほどなのかわからない。
 
 いわゆる、自由放任(レッセ・フェール)の時代に突入していきます。

 これがきっかけで自由貿易が広がります。

 
 

 西ヨーロッパでは1870年~1913年まで一人当たりの経済成長率は上昇をつづけました。

 しかし、格差は拡大していきます。

 

 資本家VS労働者階級ーイギリスの場合

 

 都市部に工業が発展すると、農村から都市部へと仕事を求めて流入する人々が増えていきます。

 当時、長時間労働の規制がなかったため一日に13~15時間ほど働く貧民たちが増大します。

 これを「大衆的貧困」といいます。

 かくして、「自由放任の経済政策は貧乏人を増やしているだけではないか」という考えがでてきます。

 

 これは労働者だけではなく、自由主義を標榜する一部の人たちからも自由主義への反発が現れました。

 都市部の専門職(技術者、教員、学者、公務員)や自由業(ジャーナリスト、著述か)などです。

 

 思想史家のリチャード・ベラミーは1870年~1913年におけるイギリス、フランス、ドイツなどの思想を「倫理的リベラリズムとよんでいます。

 

 この時期の思想は、社会主義と異なり市場経済を肯定する一方で、「自由」をたんなる私的利益の追求と結びつけるのではなく、個人の尊厳や道徳的発展と結びつけた。社会とは、たんなる私的利益の追求と結びつけるのではなく、個人の尊厳や道徳的集合である。(中略)自由を実現するためには、国家がすべての個人に能力の発展の機会を保障しなければならない。(太字はズンダ)

 

 

 ここで初めて現代と同じリベラル思想がうまれました。

 

 代表的な知識人にイギリスのジョン・アトキンソン・ホブソンやレオナルド・ホブハウスなどがいます。

 

 彼らは就労の機会、最低限の生活賃金、公教育、最低年金や累進課税、労働者への再分配を主張しました。
 ※ホブハウスが医療保険、失業保険を支持したのかは専門家の間でわかれている。

 

 この思想が1906~1914年に自由党政権下のロイド・ジョージが主導した「リベラル・フォーム」に影響を与えたといわれています。

 1908年に老齢年金、1911年に失業保険、国民皆保険が導入されました。

 

 フランスの場合

 

 フランスでは1840年に「大衆的貧困」という認識がうまれます。
 
 1870年に第三共和政が成立し、1890年代に急進共和派が主導権を握ると、自由放任主義を修正する公的扶助、労災保険、年金などを導入しました。

 「連帯主義」(ソリダリスム)という福祉国家を準備した思想があります。

 

 この思想潮流で有名な人々には、政治家レオン・ブルジョワ、法学者レオン・デュギー、社会学者セレスタン・ブグ、エミール・デュルケームなどがいます。

 

 ↓この辺りについて書かれた本なのですが、絶版でして、私も読みたいのですが、読めません。kindleで出して欲しい。

 

 

 

 

 

 フランス型リベラリズム「経済的な自由主義を修正を要望するが、結社の自由を擁護し、職業組合、共済組合などの中間集団は国家の統制から自由であるべき」と主張したところにイギリスとの違いがあります。

 

 国家権力と一定の距離をとることを忘れない。

 

 それがフランス流なのです。

 

 とはいえ、どちらにせよ国家が個人の自由を保障するために機能すべき、という点では変わりありません。

 

 アメリカの場合

 

 この傾向はアメリカでも20世紀初頭になると起こります。

 アメリカでは、19世紀末までハーバード・スペンサーの弱肉強食な進化論が幅を効かせていていました。

 鉄鋼、鉄道、金融などの発達でブルジョワジーが権力を得ると、労働者や下層階級が貧困に陥ります。

 

 彼らの保護をすすめる「革新主義(プログレッシビズム)」運動が擡頭します。

 

 民主党の内部で「リベラル派」が誕生します。

 

 大恐慌後に大統領となったフランクリン・ローズベルトはこの革新主義を実践し、ニューディール改革」を行います。
 
 失業対策や最低所得保障、ダム建設、鉄道整備などの公共事業。

 1935年には失業保険、公的扶助、年金を含む社会保障が導入されました。

 この時期の政治秩序をニューディール政治秩序」といいます。

 労働者や経営者の間の協力をもたらし戦後労使関係のモデルになります。

 

 

 リベラル・コンセンサス(1945~1975年)の時代へ

 生活はしやすくなったが多元性は確保されていないという不満

 

 イギリス、フランス、アメリカをみてきました。
 
 どの国も失業者の増加や貧苦に喘ぐ人々が増大したことを社会問題として捉えることで、彼らを救うための法律を整備していきました。

 

 この流れは1945年まで続いた第二次世界大戦から1975年まで続いていきます。

 

 階級対立を解消する鍵となるのは生産性の向上である。

 労働者は経営者荷協力して生産性を向上させ、経済全体のパイを拡大させる。経営者は労働者の雇用を保障し、生産性の向上に合わせた賃金を約束する。

 さらに国家が経済成長の果実を公共投資社会保障へ回し、個人の「自由な生活」を保障する。

 

 これを田中氏は「リベラル・コンセンサス」と呼んでいます。

 

 ここまできくと、大変素晴らしいのですが、やや欠点もありました。

 

・最低限の生活保障にとどまる。
・男性は工場で働く。女性は家事や介護で働くという役割分業、男女差別が残っていた。

 

 「自由な選択」からはまだ遠かったからです。

 リベラルは「価値の多元性」を重視しています。

 その人個人が、自由自在に生きられるような社会が望ましいと考えているのです。

 

 つまり、リベラル・コンセンサス下では、性差別や、生まれた環境による差別が達成されていないことに不満が残っていたというわけです。
 
 それゆえ、これ以降、新自由主義と文化リベラル(文化左翼のこと。経済のことは考えず、LGBTや民族差別などの問題に焦点を当てて行動する人たちのことをいう。)という二つの主義が運動をはじめます。

 

 オイルショック下でリベラル・コンセンサスは壊れる

 

 1970年代になると、世界経済は繁栄の極を迎えます。

 しかしオイルショックの影響により高インフレになってしまいました。

 ここで、サッチャーレーガンなどの新自由主義的政策が行われます。

 

 この政策はリベラル・コンセンサスと違っていました。

 国家の支出を抑えて、インフレ圧力を減らすものだったのです。
 
 インフレは需要が供給力を上回るとインフレになります。

 国家による支出で需要が作られます。
 すると、それがインフレを昂進させてしまうのです。
 
 オイルショックによるコストプッシュインフレを緩和するために政府支出を減らす(民営化などが最たる例)。

 こうすることで、政府はインフレを押さえ込もうとしたわけです。

 

 ↓この辺りの世界の経済政策について知りたい人は、どうぞ。漫画版もでました。

 

 

 ですが、政府が支出を抑え、緊縮財政になると、貧困な人々を助けるための政策は細々としたものへなります。

 

 公共事業の仕事や公務員などを減らしていくと、当然、仕事につけない人々がでてきます。
 ((※公共事業叩きや公務員叩きのの馬鹿げていることは「仕事がその分なくなる」ことに気づけないところである。

 一般人も自分で自分の首を絞めていることに気づくべきであろう。

 彼らは劣悪な環境で働かされるか、無職のままになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 すると、格差の拡大が止まらなくなります。

 結果として、
 経済成長率も低成長にとどまってしまいます。

 格差は急激に増加しました。
 
 

 イギリス
 失業率
 1980年7.1%→1984年11.8%→1990年8~10%

 相対的貧困率
 1985年6.7%→1990年13.7%

 アメリカ(アメリカの場合はそもそも失業率が高かった。)
 相対的貧困率
 1980年15.4%→1990年17.5%

 

 

 

 滑稽なことに格差が増大したことで、福祉への支出が増加してしまいました。

 失業者や低所得層が増えたためです。

 

 政府の支出を切り詰めたら、逆に福祉への支出が増えてしまった。

 こんな馬鹿げたことになっているわけです。

 

((

ミルトン・フリードマンハイエク新自由主義者として有名である。
 彼らは働けない人への最低限の生活保障のみを認め、それ以外の再分配や社会保障を原則として否定している。
 
 フリードマンは国家が廃止すべき事業として次のものをあげている。

①輸出入への規制。
②家賃統制と公営住宅などの住宅政策
③特定業界への生産量制限、産業規制、免許制、農業保護。
④通信、郵便への規制。
⑤公営道路、公営公園。
⑥平時の徴兵制。

 

 もともとフリードマン無政府主義者だったので、国家が何かをすることが許せなかった。
 この思想の影響下にあるものの代表が先日、youtubeでチャンネル開設し、低評価がつきまくった竹中平蔵氏である。

 

hochi.news

 

 

 

 フリードマンと比較すると、その酷似に驚くだろう。

 

 ↓竹中氏が何者なのかを書いた本。

 


 
 更に彼らは民主主義についても懐疑的であったことも添えておく。

 ※ただし、この民主主義という訳語がおかしいというのは頻頻とみる。

 先日発売した空井護の『デモクラシーの整理法』でもその問題点が書いてある。

  たとえば「社会主義」や「共産主義」が「民主主義」とは異なるとはいえる。 

  だが「デモクラシー社会主義「デモクラシー共産主義は成り立つことは可能なのである。

  このことを知りたい方は、以下の本をどうぞ。

 

 

 

 

 ↓新自由主義は民主主義を崩壊させていくことを書いた本。

 それと、新自由主義は今までの資本主義と変わらないのではないか?延長線上の話では?という新自由主義で何かを説明することを批判した本。

 

 

 

 

 

 

 新自由主義に対抗できなかった文化リベラル


 また、リベラルも文化リベラルという経済を考えない思想家達の群れになってしまったために新自由主義に対抗しようとはしませんでした。

 そもそもどちらとも「国家が個人の介入せずに、多元性を重要視する」という点においては同じだったのです。

 

 つまり、新自由主義と文化リベラルは兄弟関係にあります。

 

 

 


 

*1

 

 

 国家が介入しない、自由放任(レッセ・フェール)になった結果がどういうものだったか。

 前述したように19世紀、20世紀初頭のイギリス、フランス、アメリカで起きたことをみればわかるでしょう。

 人々はせっかく安定しつつあったリベラル・コンセンサスを壊してしまい、再び二世紀前の世界に戻ってしまっている。

 それが現在の世界経済なのです。

 

 

 


  
 

 ワークフェア競争国家へ

 新自由主義の亜流ーワークフェアとは?ー


 
 ワークフェア競争国家という言葉があります。
 
 田中氏は新自由主義が世界を席巻したという考え方には懐疑的です。
 
 新自由主義は国家が推し進める「ワークフェア競争国家」へと変化したというのです。
 *2

))

 

 

 政治経済学者のボブ・ジェソップやヨアヒム・ヒルシェの言葉を借りて、1990年代以降に新自由主義を修正して生まれた新しい国家像を、「ワークフェア競争国家」と呼ぶ。

 

wellfair=福祉
workfair(造語)=就労のための福祉

 

 ワークフェア競争国家には三つの特徴があります。
 まとめてみましょう。

 

 ①グローバルな国際競争に勝つための経済的・社会的な条件を国家がつくり出す。海外から投資を引きつけるための産業インフラ、情報インフラの整備、金融での規制緩和
 PISA(国際学力調査)を使い、教育目標を比較する。
 ②貧困層低所得者層に対する福祉は「ワークフェア」へと転換する。雇用保護が縮小され、労働市場が流動化し、低賃金労働がつくりだされる。公的扶助、失業給付はけずられる。
 職業訓練や就活労働を条件とした給付へとおきかえられる。
 ③国家は民間アクター(国の支出を削るため、民間に委ねるようになる)と協力関係を築く。育児や教育や介護の分野で規制緩和によって民間企業の参入が促された。
 政府はガバメント→ガバナンスへ変化した。

 

 ↓安倍政権下において日本がどれだけ新自由主義によって壊されているかを書いた本。

 

 

 

 

 このワークフェア、まさに安倍政権だったよな、と思わざるを得ませんね。

 というか小泉内閣以降の日本が正にこれだったわけです。

 

 政府が支出を削り、民間に仕事を任せ、責任放棄し、「何もしてくれない」

 

 国民が声をあげて求めても「国に甘えるな!」という意味不明な言葉が飛んでくる。

 

 そんな社会に日本はなってしまっているわけです。

 

 国が何もしないのだとすると、いったい、政治家は何なのか?ってなるのが普通の頭だと思いますが、新自由主義に被れてしまうと、そういう当たり前の疑問すらもわいてこなくなる。

 

 私はネットをみて、呵々大笑しています。

 
 

↓ バブル以降の日本の政治、経済が新自由主義によって支配されていった様を

書いてある本。必読。

 

 終わりに

 

 今回はリベラルについてみていきました。

 この本を読むと、リベラルとは何なのか?というよりも、新自由主義とどうやって闘うべきなのか?に関心がいきます。

 

 今こそ、リベラル的な経済政策が必要とされているのにもかかわらず、文化リベラルにはまりこんでいるリベラルが多いせいで新自由主義に対抗できる人々がいない。

 

 たとえば、日本だと民主党などが文化リベラルでした。

 

 この辺りのことは近年、指摘されております。

 

 

 

 

 

 ↓鼎談本なのでよみやすいかも。

  

 私たちは豊かで幸せな人生を送れればそれに越したことはありません。

 ここ数十年、ミクロの問題だけを考える自己啓発本が注目されていました。

 

 しかし、問題はミクロだけではないはずです。

 

 今こそ社会問題から目をそらさずに、対抗していくべきときなのでしょう。

 

 では、またお会いしましょう。

 ズンダでした。

 

 

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 ↓ちなみにミクロな幸せについて知りたい方は以下の記事へどうぞ。

 

 

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*1:※ただし、田中氏はハーヴェイやリュック・ボルタンスキーらがいう「68年の運動」が新自由主義を応援してしまったことを記述しているが、同一視はしてはならない、という。

 

 

 新自由主義は、経済的な価値を一元的に強調するとともに、保守的な道徳とも結びつき、人々の生き方や働き方の選択肢を狭める方向に向かっていった。
 一方、文化的リベラルは個人の生き方、アイデンティティ、社会のあり方の選択肢を広げようとした。(中略)文化的リベラル派、社会文化的な価値の多元性を強調することで、新自由主義とは異なる選択肢を示すものだったと理解しなければならない。


 といっておられます。

*2:※一応、ワークフェア競争国家について紹介はするが、私ズンダはこの部分を読んでも、自分の考えている新自由主義ワークフェア競争国家との違いがそこまでわからなかった。

 つまり、ガワを変えただけの新自由主義、政府そのものが新自由主義者になってしまった状態を「ワークフェア競争国家」というのが妥当なのだろう。

 田中氏曰く「新自由主義ワークフェア競争国家は、市場活力を重視し、経済的繁栄を最優先すべき価値と見なす点では共通する。しかし、新自由主義がもっぱら国家の役割を市場へと置き換えようとするのに対して、ワークフェア競争国家は人びとを市場へと動員する国家の強力な役割を認める。」ということらしい。

 

 そして、就労への義務やグローバルな社会で戦うことのできる人材育成を国家が求める。
 つまり、国家の積極的な関与が教育や就職に置かれているところが国家を軽視している新自由主義とは異なる、というのである。
 

 しかし、この本にも書いてある(頁86~88)ことはワークフェアが単なる新自由主義の延長線上でしかないことの証左ではないだろうか。

 

 積極的労働市場政策への支出(教育や訓練に対する政府支出、GDP比)を見てみる。


 アメリ
 クリントン政権期(1993~2001年)
 0.20%から0.17%へ減少
 イギリス
 ブレア政権(1917~2007年)
 0.23%から0.29%へ増大。
 だが1990年は0.39%だった。

 

 どちらの国も大陸ヨーロッパ諸国が一%以上の支出を行っているのには敵わない。

 これが意味することは「国が何かしますよ」といっただけで、実際は国が支出を削り、民間任せにしている以上、新自由主義とかわらないのではないか。

 ワークフェア競争国家と名付けたところで現実は,新自由主義を更に推し進めているにすぎない。
 ((※ネットで調べていたらアズビヨン・ヴィール『福祉国家の興亡』(こぶしフォーラム24)にワークフェア新自由主義の酷似についてかいてあるようだ。

 

ただ、第二次安倍政権というのはまさに「ワークフェア競争国家」が念頭にあったのだろうな、とは思える。

 ちなみに比嘉宗平「ワークフェア政策の射程」(立命館法政論集 2006年)によればイギリスとデンマークワークフェアの相違がかいてあり、前者はサッチャーリーズムの連続性が濃く、後者のほうがワークフェア本来の理念に沿っているという。

婚活したい人が知っておくべき結婚ができる人の特徴

 今回紹介する本は〈「婚活」受難時代〉です。

 

 あなたは将来結婚したいですか?

 

 今、婚活をしていますか?

 

 そんな人たちに欠かせないのは婚活についての知識です。

 

 只今婚活中!の人にかぎりません。

 

 十代の若い方々も自分が将来結婚したいと思っているのであれば、結婚しやすい年齢や年収や職業などについての知識をもっておくべきです。

 

 そうでなければ、年を取れば取るほど結婚はしにくくなります。

 

 今回紹介する本にはこういったデータが載っていますので、それを紹介します。

 

 この本が皆さんに活用されることを願っております。

 

「婚活」受難時代 (角川新書)

「婚活」受難時代 (角川新書)

 

  

 結婚できない人の特徴

 〈結婚できない息子、娘の特徴〉

 

□オシャレにあまり気を遣わない。

□女性の場合はとくに、華やかな色の服装を避け、女性として見られることを避けようとする。ふわっと巻いた髪などで女性らしさを出すことが苦手。つい、ひっつめにしたり、トップにボリュームのない髪形をしている。

□恋愛で失敗した経験がない。交際経験がほとんどない。

恋愛経験がないため、むしろ大恋愛で結婚したい願望が大きい。絶世の美女と結婚したがったり、白馬の王子のような男性にばかりお見合いを申し込んだりする。結果としてお見合いが成立しにくい。ほどほどということを考えられない。

□婚活も当たって砕けろということが実践できない。断られるくらいなら先に断ろうとする。お見合いを断られるのが怖くて、申し込みできない。

学歴や身体的なコンプレックスがある。結婚が決まりそうになると、逃げたくなって破談にする。

婚活資金が足りず、親にも相談できない。結婚はしたいができない。

※太字はズンダ

 

 要するに非モテ、ということですね。

 今まで恋愛をする機会に恵まれなかった人が、そのまま年を取り、結婚を意識せざるを得ない年齢になったので、婚活所に来た。

 

 それゆえ、異性受けする服装や化粧がわからない。

 更に結婚の元手となるお金がないので何もはじめられない。

 

 そんなところでしょう。

 

 

 

  〈結婚できない、しない五つのパターン〉

 

1 結婚すると自由な時間がなくなる、一人の時間が持てなくなると考えている。

2 結婚したいができない。結婚したい人から断られることを恥ずかしく思い、周囲には結婚したいとは言えないため、する気がないと言っている。

3 結婚に自信がない。生育過程で親の夫婦関係から、結婚を肯定できない場合も多くみられる。

4 離婚などで不幸な母親を見た男性は逆に幸せな結婚をする傾向がみられるが、女性の場合は男性が自分をいつか捨てるものと刷り込まれているので、結婚が怖くてしたくないと思っている。

5 結婚したら自分は仕事を辞めて楽になりたいと考えている女性の場合。しかし、収入がなくなると、いままで好きに買っていた服、化粧品が買えなくなったり、エステ通いができなくなったりする不安があるので踏み切れない。

 ※太字はズンダ

  

これが婚活所がまとめた代表的な〈結婚できない人〉に当てはまる要素です。

 

 もっとまとめると、「勇気が無い」、「自分のことだけ考えている」ということです。

 

 当然ですが、デートに誘ったり、交際宣言をしたりするのは勇気がいります。

 皆さんも、メールやLINEなどで好きな異性とのやりとりは嬉しい反面、緊張や不安があるでしょう?

 

 だからといって、こちらが何もしなければ埒があかない。

 相手からしてきてくれればいいけれども、そんなことばかりではないのです。

 

 結婚ともなれば、お互いの家族が関係してきますし、同棲すれば夫婦間の細かい調整が必要になりますよね。

 

 子供が産まれれば、価値観も変化します。

 

 要するに自分のことだけを考えてはダメといえるでしょう。

 

 まさに結婚ができない特徴にあげられている人々の性格は当を得ているといえましょう。

 

 子供が結婚できない、は親の責任でもある

 親は子供の結婚まで、を面倒みるのが常識だった

 

 実はこの本の中で再三、問題視されているのは親です。

 

 たとえば、婚活所の福山氏は親に対して次のようなことをいっておられます。

 

「子どもが結婚できないのは、親が責任を放棄しているからですよ。昔は子どもの教育は結婚までがワンセットでした。しかし、いまはいい大学に合格させれば、〝親の義務を果たした〟と安心してしまうケースが多い。だから、結婚しない息子や娘が増えてしまっているのです。親が自分の責任であることを認識するのが第一歩ですね」(ベスカ 神戸・福山昭二さん/以下、福山さん)

※太字はズンダ

 

 

私が親御さんにお話をするときは、〝あなたが子育ての最終段階を放棄した結果がいまであることを忘れないでください〟と伝えます。親御さんが目を覚まして、子どもが結婚できない責任は自分にもあることを理解してほしいのです」

※太字はズンダ

 

 

 親が子供に結婚教育をしてこなかったことが結婚しない、できない人たちをつくってしまっているといいます。

 

 確かに昔は親がお見合いを通して子供に結婚をせがみ、トントン拍子に結婚をすすめていきました。

 

 しかし今は自由恋愛の時代、本人達の自主性に委ねられています。

 

 というのも今の二十代三十代四〇代の親自体が、そもそも恋愛結婚していた人たちが多いからでしょう。

 1965年辺りを境に恋愛結婚と見合い結婚とが逆転します。

 1990年になると八割が恋愛結婚です。

f:id:zunnda:20201223095235p:plain

出生動向調査

www.ipss.go.jp

 

 これをみればわかるように、お見合い婚は完全に廃れており、結婚への圧力をかける親もいなくなってしまっているのが現状なのです。

 

 加えて、親には以下のような問題が見受けられるといっています。

 

〈親が原因で子どもが結婚したくてもできないケースとは?〉

●親が最近の結婚事情をまったく理解していない。

●自分が結婚した 30 年前、 40 年前の古い常識を子どもに押し付けている。

●親が子離れしていない。

●本当は子どもを結婚させたくない。

●親が結婚のすばらしさを子どもに伝えていない。  

 

 「親が数十年前の常識」といっているのは、たとえば、誰でも知っている日本の大企業に務めているような人でないと結婚相手として認めない、ですね。

 

 「親が子離れしていない」というのは、同居している子供に家事手伝いや買い物、ガス代電気代などの支払い、または食事などをしている。

 こういったことを指します。

 

 要するにいつまでも子供を自立させないようにしているので、子供も結婚する気がおこらず、ズルズルと過ごしてしまうのです。

 

 この本にはこうして親の具体的な言動がかかれており、未婚の子供をもつ親御さんは一読して、自分の発言がお子さんの行動を狭めてはいないか?をかんがえてみるとよいでしょう。

 

 終わりにー私たちは恋愛や結婚をしなければならないのかー

 あくまで婚活に於ける話、恋愛結婚とは違うけれども……

 この本はあくまで婚活に絞った話です。

 自然に出会って、恋愛結婚ができる人たちに向かってはかかれておりません。

 

 よって、恋愛結婚でならば結婚できる可能性のある人たちは省かれてしまっています。

 

 たとえば、女性が男性に年収五〇〇万、という条件で検索します。 

 すると、年収が四九九万までの人たちは検索結果からは消えてしまうのです。

 

 これがもし婚活のような場でなければ、おそらく四〇〇万後半の人たちは相手にされたのではないでしょうか。

 

 こういった勿体ないことが婚活では起こりえます。

 

 ただし、恋愛結婚と完全に違うか?といわれればそうではありません。

 

 冒頭に「結婚できない特徴の人」を引用しました。

 

 それをみると、世間一般でいわれている「恋愛できない人の特徴」と全く同じなんですよね。

 

 お洒落をしなかったり、異性ウケするような格好やふるまいができない。

 白馬の王子さまが来るのを待っている……典型的な彼氏彼女ができない人たちなわけです。

 

 収入が低いと男はどうにもならないー女は働いていさえいれば大丈夫ー

 

 更に収入が低いというのは婚活だけでなく恋愛にもかかわってくることが判明しています。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

※ただし、この記事だけみると、男女による違いが書いていないのが気になる。

 私ズンダが思うに、男のほうが女に対してお金をかける傾向にあるはずである。

 気力がなくなるのは、むしろ、男に多いのでは?

 その辺りを詳しく知りたい。

  

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引用記事より抜粋

 この記事をみると、収入がどれだけ大きな影響を与えているかわかりますね

 

 当たり前ですが、交際にはお金がかかります。

 デートは男が奢るものですし、プレゼント代もかけるでしょう。

 ちなみに、男に収入が求められているのは常識ですが、今回の本にもかいてあります。

 年収が三百万以下の人はかなり厳しいようです。

 職を変えたり副業したり、自由恋愛に切り替えたりすることが勧められています。

 男性の年収についての記事もはっておきます。

gendai.ismedia.jp

 ちなみに三十代未婚男性で年収が五〇〇万超えの人は6.2%しかいません。

 

 

【必見のデータ】男は女に若さを求めているから、女の人の結婚はラクです

 

 女性の方々も、ちゃんと統計データをみて、自分が何歳までに結婚するのかを考えておきましょう。

 男性が女性に求めているのは若さです。

 

 これははっきりいうと、誰でも若い時期がある以上、かなりラクだといえるでしょう。

 男性に求めるのは勝手ですが、現実をみない結婚願望はあなたを苦しめるだけです。

 

f:id:zunnda:20201223114257j:plain

引用

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引用

 

f:id:zunnda:20201223114302j:plain

引用

 これをみると、分かりますけど、女性は「若さ」でどうにかなります。

 ところが、男は学歴や年収などがモロに相手にされるかどうかなのです。

 

 若いというのは誰にでも平等に与えられています。

 

 よって、女性の場合は「若いうちに婚活しておけば楽勝」といえるわけです。

 

 ひるがえって、男性は難しいですね。

 

 未婚率にせよ、恋愛未経験にせよ、なぜ男性のほうが割合が多いのか?

 

 簡単な話で、女性が男性に求める条件が厳しいからなのです。

 

 男性はかわいそうだな、と思わざるを得ません。

 というか、客観的にかわいそうだといえます。

 

 

↓以前、私が紹介した過去記事です。

 結婚に興味のある方は読んで下さい。

 「パラサイトシングル」という言葉を広めたことで有名な山田氏による少子化の理由を研究した本。

 「結局、金」という切ない答えがわかってしまう。面白い本です。

zunnda.hatenablog.com

 

 そのため、男性が結婚を諦めるのは正しいと私ズンダは思っています。

 いってしまえば、女性のせいです。

 女性が現実を弁えずに、妄想の男性をつくりあげているから、男性が苦しむのです。

 ※もっと根本的なことをいえば日本経済が悪すぎる、といえる。

 賃金がずっと上がらず、非正規雇用をすすめてきた結果、男性は家族をつくることができなくなった。

 この点については以下の動画と書物を紹介しておく。

 日本の景気がいいのかわるいのか?

 そして悪いのであれば、どうしてなのか?

 

 ↓これが日本経済の実態であり、最悪な状況です。

 

www.youtube.com

 

 

マンガでわかる 日本経済入門

マンガでわかる 日本経済入門

 

 

 

 

 

 女性が高望みをしているので、男性ばかりが苦しめられている。

 

 日本はそういう社会なのです。

 これは皆さん、知っておくべきでしょう。

 

↓つい先日、読み終えた本。女の人に相手にされない自分を当事者達がそれぞれ分析している。涙なしでは読めない本。

 持てない男性はここまで追い詰められているのである。

 

 結婚かどうかは自分が決めるべき。だが、孤独が悪いことは自明

 結婚すれば幸せになる、というのはウソです。

 ただし、孤独が人間を不幸にする、ということは本当です。

 

 皆さんには以下の「幸福学」について書いた記事や本もぜひ読んで貰いたいです。

 

 その上で、自分の人生を如何にして豊かにしていけばいいのかを考えて欲しい。

 

 その延長線上に婚活もあるはずです。

 

 

「婚活」受難時代 (角川新書)

「婚活」受難時代 (角川新書)

 

 

 私ズンダのブログでは、日本国民の皆さんが豊かで幸福になるために必要な本を紹介しています。

 よかったら、ブックマーク&読者登録をおねがいします!

 

 では、またお会いしましょう。ズンダでした。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

99.9%は幸せの素人

99.9%は幸せの素人

 

 

幸せになりたい人、必読!科学的に証明された「幸福になる方法をまとめた本」を紹介する!

 不幸せよりも、幸せのほうがいい。

 

 大体の人はそう考えるのではないでしょうか。

 

 でも……どうやったら幸せになれるのでしょう?

 

 私たちは幸せになりたいと願いながらも、それをどうやって得るのかについては無知なのではないでしょうか?

 

 今回紹介する本は幸せになる方法をまとめたものです。

 

 この本を読めば、具体的に何をすれば幸せになれるのかが判明します。

 

 では、みていきましょう!

 

 

 

99.9%は幸せの素人

99.9%は幸せの素人

 

  

 人が幸福になる道しるべはすでに存在している

  間違った道を歩むせいで、幸せから遠ざかる人々

 

 多くの人がそれぞれの状況で大変でありながらも、本当に頑張っている。  頑張っていますよね。耐えていますよね。  

 あなたは、すごい人です。  

 ただ、残念ながらここであなたにお伝えしないといけない話があります。  

 それは「多くの人の日々の頑張りは、科学的に正しくない」 ということ

 

 さて、この本の冒頭はこんな記述からはじまります。

 

 著者である前野隆司氏は「幸福になるやりかた」がこの世界にはあり、それを実行しなければ私たちは「ムダな努力」をしてしまうというのです。

 

 たとえば、「幸せな人」は次のような考えや行いをしている人だとおもっていませんか?

  

・家族のために一生懸命働くことは素晴らしいことだ

・安定した収入があるほうが安心する

・リスクを冒すような危険なことはしないほうが

・夢や目標が 叶ったら幸せだ

・自分のことは後回しにして子供中心の生活を考えるのが大事

・お金よりも大切なことがある

・嫌なことがあっても常にポジティブでいることが大切だ

・自分に厳しくしたほうが自己成長できる

・嫌われる勇気があれば人間関係で疲れず、もっと楽になれる

・付き合う人は優しい人のほうがいい

・結婚しないよりも、結婚したほうが断然幸せ

 

 しかし、これらは科学的には幸福とは何ら関係がありません。

 というか間違っています。*1

 

 人に嫌われても良い!は不幸への道

 

 よくいわれる「嫌われる勇気」がありますね。

 心理学者のアドラーが述べたことです。

 

 

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 

 

 けれども、実際は「人間は豊かな人間関係があった方が幸せに感ずる。嫌われる人ほど人生はつらくなる」ということがわかっています。

 

 また、「結婚したら幸せ」も間違っています。

 正しくは「結婚には幸せを維持するための努力(本書でその中身が説明されている)が必要であり、その努力をすれば幸せである」なのです。

 

 つまり、私たちが「こうすれば幸せになれるだろう」というのは単なる思い込みに過ぎず、実際はもっと別のことをしなければなりません。

 

 年収八〇〇万以上から幸福度は変わらなくなるという現実

 この話、以前も紹介したことがありますが、本書でもいの一番にかかれています。

 米プリンストン大学ダニエル・カーネマン名誉教授の研究によれば、収入が増えば増えるほど、私たちは幸せになっていくらしいのです。

 

 しかし、それも八百万まで。

 

 以降は何ら変わりないのです。

 

 逆に言えば八百万までは血眼になって収入を増やしたいですね。

 お金の力は偉大です。

 

 無碍にしていいものではありません。

 

 ですが、現在の日本では収入を増やすというのはたいへん困難ですよね。

 

 そんなあなたにうってつけの方法があります。

 

 「お金の使い方を変えればいい」のです。

 

 「幸福になるためのお金の使い方」の四大条件

  では、その条件とはなにか。

 本書より引用します。

 

【科学的に証明されている「幸福度が高まる経験の4条件」】

 ①お金を使うことで、他の人と関わり、新たな知人や友人が増えたり、 世の中とのつながりが実感できる経験。

 ②お金を使うことで、この先何年も楽しい気持ちで「繰り返し語ることができる」思い出となる経験。

 ③お金を使うことで、自分自身で思っている理想とする自分のイメージ、あるいは「自分がなりたいと思っている自分像」につながる経験。

 ④お金を使うことで、他のこととは簡単に比較することができない「めったにないチャンス」を得られる経験。  

 

 この4つの条件のうちのどれか、もしくは複数を満たしていると、お金を使ったことに対して最大限の喜びを得られると言われています。

 

  つまり、私たちは「経験」や「人と繋がる」ことにお金を使うと、幸福になれる確率が上がるのです!

 

 モノを買うこと、たとえば、高い洋服や鞄を買うことは短期的な喜びにしかなりません。

 というのも、モノは「自分より高い製品をかっている」、「だんだん汚れていく」などと他人と比較しやすいからです。

 

 「他人と比較するな」というのは無理です。では、どうすればいい?

 

 ここも大事ですね。

 よく「他人と比較するな」という人がいます。

 そうです他人とは比較すれば、必ず自分より上の人たちがいるので、負けを認めざるを得ません。

 

 ですが!

 

 他人と比較しないでいられるのでしょうか?

 

 社会で生きており、人とのつながりの中で私たちは死へと歩みを進めていきます。

 

 他人と付き合わないことなど不可能なのです。

 

 そして、他人と全く付き合わなければ不幸になるということもわかっている。

 

 つまり、お題目のように「他人と比較するな」とこたえても意味がありません。

 

 正しく考えましょう。

 

 幸福度をあげるために必要な二つの財があります。

 

 「他人と比較するモノ」と「他人と比較しなくていいモノ」が存在します。

 後述しますが、これらをそれぞれ「地位財」と「非地位財」といいます。

 

 「他人との比較」をしたくなければ「非地位財」を利用すればいいのです!

 ※逆に言うと、「地位財」的な行動をしていながら「他人と比較するな」と考えても、不可能なのである。

 もし「比較したくない」のであれば、「非地位財」的な行動をするしかない。

 

 「非地位財」は他人と比較することがありえない自分だけの体験です。

 

 経験や人とのつながりは、あくまで個人にのみ存在している記憶や体験であり、替えがきかない。

 よって、「比較」から逃れられる。

 

 たとえば、コンビニへいくと、募金箱がありますね。

 ああいう募金箱に自分にとって「ケチ」だとおもわないぐらいの金額をいれてあげると、人間はそれだけで幸福度があがることがわかっています。

 

 私ズンダも、これを知ってから、ストレスが溜まったとき、募金箱に数十円ほど寄付するようにしています。

 

 たった数十円……とおもうでしょう。

 しかし、自分に無理のない範囲で寄付することが大事なのであり、一万円を入れれば幸福になるかといえばそんなことはない。

 そういった大金は超富裕層が行えば良いのです。

 

www.nri.com

 

 こうすることで、「社会の役に立った」気がするからです。

 

 それゆえ、何よりも貴重なものと人は受け取るのです。

 

 「地位財」と「非地位財」をしっかり意識し、使い分けよう!

 さあ、ここで大事なことばを紹介しますよ。

 

 この二つの用語、今回は覚えていって欲しいとおもいます。

 

 それは「地位財」「非地位財」ということばです。

 

 初めて聞く人も多いでしょう。

 

 

地位財:給料があがる。昇進する。高級品を買う。

非地位財:職場環境がよい。家族親戚一同、健康。良い仕事ができている。

 

 つまり、地位財は短期的な幸せであり、物質的な幸せ。

 非地位財は「人とのつながり」という目にみえない幸せ。

 

 こんな違いがあります。

 

 この二つのどちらが良い悪いというのはありません。

 

 二つを使い分けることが重要なのです。

 

 「地位財」と「非地位財」を自覚的に使いたい

 

 たとえば、地位財が欲しいとします。

 まあ、お金にしましょうか。

 

 しかし、お金が欲しい!とおもったって、そんな簡単に給料などあがりません。

 *2

 そんなときにこの「非地位財」を利用すればいいのです!

 人とのつながり、というやつです。

 

ボランティア活動*3

募金箱にお金を入れる

友達や恋人とやりとりをする

猫や犬などに触れあう

新しいことを経験してみる

 

 こういったことでお金をあまりかけなくとも、あなたの幸福度はあがります。

 

 逆に「非地位財」を手に入れられない場合はどうすればいいか。

 一二月、クリスマスが近いのに彼女ができなかった。

 独りぼっちで淋しい、

 

 よし、こうなったら「地位財」で自分の心の空白を埋めよう!

 

 

大量にハイブランドの洋服や時計やアクセサリーを買い漁る。

高級レストランへ向かい、数万円のコースで豪華な晩餐。

ぴらしゃらな服を着たキャバクラの娘達と金を払い、遊びまくる。

 

 幸せになれるのであれば、浅い道徳にこだわるのはやめろ

 

 そう、こういったことを「卑しい」とか「見せびらかし」とかいって批判する人がいますね。

 

 しかし、これの何が悪いのですか?

 

 幸福になるためにどちらも使えば良いだけでしょう。

 

 道徳的な批判はやめてもらいたいですね。

 

 私たちは人間である以上、どこかで満たされなければ生きていけないのです。

 

 「非地位財」だけが正しいわけではない。もちろん、「地位財」だけが正しいわけでもありません。

 

 自分が幸せになるために、臨機応変に使えば良い。

 

 そこを抑えて欲しいと思います。

 

 ↓ニーチェが書いた『道徳の系譜学』。ヨーロッパ社会がルサンチマンを伴うキリスト教道徳に冒され、人間性を失ったと説く。現代にも通ずる名著。

道徳の系譜学 (光文社古典新訳文庫)

道徳の系譜学 (光文社古典新訳文庫)

 

  

 ↓もっと簡単なのがいい人はこちら。

 

 幸せになるために、常にやり方や方法を意識することは大事なのである。

 

 ここがポイントです。

 

 私たちは「地位財」と「非地位財」をそのときどきの都合で、使い分ければいいのです。

 そうすれば、どっちかが欠けていてもどっちかで埋め合わせができます。

 

 もっといってしまうと、このどちらもないような人生にはするな!ということです。

 

 最初にも述べたように、私たちの多くは幸せになるやり方を知りません。

 

 となると、このどちらももってない人がいる可能性も普通にあり得るのです。

 

 だからこそ、私たちはこういった本を読んで、知識を獲得し、自分たちがどうすれば幸せになれるのか?を実践していかなければなりません。

 

 まさに、ベーコンがいったように「知は力なり」なのです。

 

 あなたの幸福度を測るサイトー好きなことだけでは幸せにはなれません

 さて、この本、実は共著者がいます。

 慶應大学の前野隆司氏です。

 この方が作った診断法が、以下のサイトで無償で試せます。

 ただし、アカウント作成は必須です。

 自己責任でお願いします。

 

 「幸福度診断Well-Being Circle」

well-being-circle.com

 

 これをやれば、「今の自分に足りてない幸福の部分」がわかります。

 要するに、「○○が足りてないからいまいち幸福感がないんだ」ってことが判明するわけです。

 

 メチャクチャ便利ですよね。

 

 幸福な人ってどんな人なのか?

 

 実は、幸福な人がどういう人なのかはすでに定義されています。

 「IKIGAIベン図」といわれるものがあります。

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IKIGAIベン図 本書より引用

 

 

・好きなこと

・得意なこと

・世の中に役に立つこと

・収入が得られること

 

 

 この四つが重なっているときに「生きがい」を感じられるのです。

 まず、自分がどこにいるのか把握しましょう。

 

 そこから、足りてない部分を補っていくようにしましょう。

 

 そうすれば、何ら針路がないまま、人生を生きていくよりも、あなたは幸せになれるはずです。

 ※ちなみに、このベン図。以前、どこかで紹介したことがあるな、とおもったら、前々回紹介した『やりたいことの見つけ方』であった。

 

 今回の記事では本書の一部を紹介したにすぎません。

 

 もし興味のある方は以下のリンクから、どうぞこの本をお買い求め頂き、あなたの人生を少しでも良くしてみてください。

 

 

99.9%は幸せの素人

99.9%は幸せの素人

 

 

 

 豊かな人生を送られることを私ズンダは望んでおります。

 

 進んで苦労したり、辛い目に遭う必要などありません。

 

 下手な自己啓発本を読んで、自分を痛めつけるのだけは止めて下さい。

 

 今回の記事がお気に召しましたら、読者登録&ブックマークをおねがいします。

 

 ではまた、お会いしましょう。

 ズンダでした。

 

 

zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:後々、この部分を利用して書くつもりでいることがある。

 やはり、スプラトゥーン2について…そして、夢や目標に雁字搦めになっており、まともな精神状態でいられない人たちについてである。

 

 ウデマエを上げるためにA+からS+0を往復している人たちは、ここにあげた「・夢や目標が 叶ったら幸せだ」

「・嫌なことがあっても常にポジティブでいることが大切だ」

「・自分に厳しくしたほうが自己成長できる」に見事にはまりこんでしまい、身動きがとれなくなってしまった人たちである。

 

 [不幸になるためにゲームをしている]といえよう。

 これに限らず、自己啓発本はまさに人々を不幸にさせる本だといえる。

*2:その理由としては日本政府による新自由主義的な政策のせいですが、今回は以下の記事と本を紹介するに留めます。

 

 

  

*3:経済的な観点からすればボランティア活動は単なる搾取、奴隷労働の類いであり、私ズンダはこれを積極的にはすすめない。

たった【680円】で人が何を考えているか分かるようになる本。

 人が何を考えているのか分かりたい!
 
 そんな気持ちになったことありませんか?

 

 私たちは人と付き合っていく中で良いこと悪いこと、様々な経験をします。

 友達、恋人、部下上司との関係、あるいはyoutuberだったら視聴者との付き合い方ですね。

 

 人が話したことやその態度などから、どんな気持ちなのかを瞬時に察することができれば、大分楽になるに違いありません。

 今回は神岡真司『スゴすぎる!心理術』(永岡書店)を紹介します。

 

スゴすぎる!心理術

スゴすぎる!心理術

  • 発売日: 2019/12/10
  • メディア: 単行本
 

 

 初めにいっておくと、非常にお買い得な本です。

 

 

 計195の法則と、巻末の「心理法則」早わかりファイルという充実っぷり。

 それでいて、お値段、なんと!

 値段が680円(税抜き価格)です。

 

 

 

  私ズンダもこの良心的な価格ゆえについついこの本を買ってしまいました。

  ありがたい。

  では、この本に書いてある心理テクニックを数個みていきましょう!

 

 

  ↓下の記事は以前かいたもの。こちらも人間関係でお悩みのあなたへ。

zunnda.hatenablog.com

 

 相手を恫喝するタイプの目的

 

 商談にかぎらず、友達関係であっても、話をしていると妙に高圧的な人っていませんか?

 常に人に対して態度がでかい人。

 もしかすると、次のような心理テクニックを使っているのかもしれません。

 

 引用します。

 

 

 相手を緊張させることで判断能力を狂わせ、要求を通す

 人は緊張・興奮すると体が硬直したり、心拍数が上がったりして、冷静な判断ができなくなります。そのため、不快な状況から抜け出したいという一心で、本意ではなくても相手に従ってしまうケースがあります。

 

 

 

 これ、私ズンダも経験があるんですよね。 いや、私に限らず圧迫面接などを受けたことのある人はいるでしょう。

 とにかく強面で人のことを馬鹿にした調子で会話する人。

 

 こういう人たちは、私たちから冷静な判断力を奪おうとしているのです。

 

 私が最近実況しているゲーム「Among Us」という作品があります。

 

 この作品、人殺しを見つけるゲームなのですが、視聴者と一緒にやっている際、犯人をさがすために人を叱りつける人がいました。

 

 これはまさに、恫喝することで「犯人役が嘘をつけない」ようにしたわけです。

 実際これは効を奏し、怒られた人間は嘘をつけなくなってしまい、簡単に誰が犯人なのかわかってしまいました。

 

 しかし、ゲームとしては全くおもしろくありませんね。
 
 というのも「Among Us」のようなゲームは犯人が嘘を吐かないと、ゲームとして成り立たなくなるからです。
 
 嘘を吐かなければ「やったのは自分です」と自供しているようなものです。

 

 ですが、恫喝されるのが恐いので、自由な嘘をつけなくなります。

 

 萎縮することで自由がなくなる。

 

 まるで独裁下に於ける国民みたいですが、Among Usというゲームでもそういうことが起こってしまいます。

 

 私ズンダはこういうことはできませんが、心理テクニックとしてしっておいてもいいでしょう。

 

 それを使う側に回るか、あるいは使われるかはその人の性格や状況によります。

 ですが、知っておくことで、相手に対して警戒できるようにはなるはずです。

 

 互いに適切な距離感がある

 

 私たちにはその関係性毎に適切な距離感があります。

 親しい人なのか、疎遠になった友人なのか、会社の上司なのか。

 それを把握して使い分けてみましょう。

 

 

 047 上司は120㎝、友人は45㎝が互いに心地良い距離感の目安

 

 人は、自分の周りに「パーソナルスペース」という自分専用のスペースを保持したい心理があります。そして、その領域がおかされることにより不快感を覚えます。

 個人差はありますが、部下や同僚と話すときは、120㎝以内に入られると緊張状態に陥ります。45㎝以内は、恋人や友人など、親しい人でなければ不快に感じる距離です。また、相手が上司や部下ならば、120~210㎝ほどの距離を保つと良いでしょう。

 

 

 

 こういう距離をとるのってほんとむずかしいんですよね。

 私ズンダも子供の頃、自分が好きな相手にはひっついてしまい、嫌われるということが多々ありました。

 

 今にして思えば、パーソナルスペースの概念が欠如していたからなのでしょう。

 自分と相手との距離や役職などをちゃんと計算して、立つ位置などを決めるようにしましょう。

 

 

 相手は自分の話に興味があるのか?

 

 彼女と初めてのデート。
 僕は一生懸命はなしているけれども、彼女は楽しんでいるのだろうか?
 
 そんな不安を覚えたこと、男性なら誰でもありますよね。

 しかし、安心してください。
 
 この本には相手の態度から、どんな心理状態になっているのかを見抜く方法がかいてあります。

 

 014 相手が耳を触り出したら話題を変えたほうがいい

 相手の話に関心がなくて退屈しているケース。間を持て余してしまい、その隙間を埋めるために耳に手がいくのです。もうひとつは、緊張や不安を感じているケース。 そうした心理状態のときは、安心感を得ようとして無意識に耳たぶを触ってしまうのです。

 

 025 首をすぼめて話す人は、相手を警戒している

 首元を見せるという行動は、信頼、または服従を示します。首には人間の弱点である頸動脈があり、信頼している相手でなくては見せる気にはならないからです。逆に、首元を隠すという行為は相手を警戒している心理のあらわれと考えられます。

 


 確かに人は不安なときや退屈なとき自分の体をあれこれさわって、安心感を得たがるんですよね。
 
 

その中でも耳を触っていれば退屈、
首を隠せば不安

 

 ということだとは。

 逆にいえば、首を出してきた場合はこっちに興味があったり、好きだったりするといえるようです。

 こうしたテクニックをもっと早く知っていれば、押せるときに押せて、恋愛も成就しやすくなるかもしれません。

 

 ズンダのまとめ

 

 私たちは相手が何を考えているのかわかりません。
 喜んでいるのか、怒っているのか。

 言葉だけではつかみにくい。

 

 けれども、人の声色や態度を分析していくことで、一定のパターンがあることに気づきます。

 それは、学問的な検証だけでなく、私たちの実生活からも、です。

 経験則が正しいのかどうか。
 
 それを確認するためにこういった本を読んで、確度の高い行為をしていけば、「うまくいく」確率が上がるかもしれない。

 

 五割が七割になれば、だいぶ違うでしょう。

 

 この本を読めば100%人の行動が読めるとはいいません。

 

 が、少しでも確率を上げるためにぜひとも本を読んで、人間関係をうまくいかせたいですね。

 

 

スゴすぎる!心理術

スゴすぎる!心理術

  • 発売日: 2019/12/10
  • メディア: 単行本
 

 

では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。
 


 

【読書 感想】「やりたいことってなんだろう?」と一度でも考えたことのある人へ、おすすめの本がある。

「やりたいことってなんだろう?」

 

 そんなことを考えているあなたに良い本があります。

 八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』です。

 

 

 私たちは子供の頃から大人になっても

 

「やりたいことをやれ」

「すきなことをやれ」
「自分がしたいことを仕事にしろ」

 

 

 などとよくいわれますね。

 

 私ズンダが散々批判している自己啓発本にはそういうことが必ずかかれています。

 

 

zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

 

 しかし、「やりたいことってなんだよ?」と、何も出来なくなっている人たちは多いのではないですか。

 

 私ズンダなども子供の頃、大人から「やりたいことはなんだ?」といわれて絶句した記憶があります。

 

 「特になかった」からです。

 

 今回紹介する八木氏の本はこの点を具体的に詰めた本です。

 もしかすると、この本を読むことであなたの問題は解決するかもしれません。

 本の内容を軽くみていきましょう。

 

 

 

 

 「やりたいこと」の新定義

 

 やりたいこと探しの迷信

 

 

1. 「一生続けられること」でなければいけない
 
2.   やりたいことを見つけた時には「運命的な感覚」がある

3. 「人のためになること」でないといけない

4.  見つけるには「たくさん行動する」しかない

5.  やりたいことが「仕事」にならない

 

 

 

 さて、これら5つのことはよくいわれますね。
 八木氏にいわせれば、全て間違っているそうです。

 

 正しくは次のようになります。

 

 「やりたいこと」を探すための道順

 

 1:今一番やりたいことをやれ
 

 人生一〇〇年ともいわれる時代です。私たちが今やりたいことは将来もやりたいと思えるのでしょうか。
 

 今好きなことも趣味も、数年数十年経つとだんだん飽きてきます。

 それなのに「一生続けられること」でなければ「やりたいこと」に数えられないのはおかしい。

 「一生」ではなく「今」に注目しましょう。
 

 今自分がやりたいことでいいのです。

 

 2:やりたいことは興味レベルでいい

 

 「運命的な感覚」なんていりません。
 そんな感覚はめったにありません。
 

 八木氏は「恋愛結婚」と「お見合い結婚」どちらが満足しやすいのか?という研究をあげています。

 

 この研究では短期的には「恋愛結婚」のほうが満足度が高いのですが、長期的には「お見合い結婚」のほうが優勢になっております。

 

 八木氏は、この研究から「やりたいこと」は「軽い興味」でいい。
 最初から「運命」など感じる必要などないと結論づけています。

 

 「最初の段階は軽い興味でいい。あとは自分が育てていけるかどうか」のほうが重要だということです。

 

 ですから「自分にぴったりの仕事がある」は幻想であり、軽い興味から自分のやりたいこと探しをしよう、ということです。

 

 3:自分のために生きる

 

 「やりたいこと」を考えるときに人のことなど考える必要などありません。

 自分のやりたいことに人が絡む余地などあるわけがありません。

 自分と他人は異なる人であり、好きな食べ物も嫌いな食べ物も違います。

 

 当然、「やりたいこと」も全然ちがいます。

 「やりたいこと」をやった結果「人のためになる」はありえても、その逆はありません。

 ここを間違えて自己犠牲の精神を発揮しても、あなたが幸せになることはありません。

 

 自分をしっかりみましょう。

 

 4: 行動しまくるのは効率が悪い
 

 人間は選択肢が多すぎると思考停止状態に陥り、どれかを選ぶことができなくなります。

 ジャムの法則をご存じでしょうか。
 本書より引用します。

 

 スーパーの試食でジャムを24種類準備したら、試食して購入した人は3%しかいませんでした。そのジャムの種類を6種類に減らしたところ、試食して購入した人がなんと30%に増加したのです。
 人は、選択肢が多いと「選択しない」という選択をします。だから24種類のジャムは売れないのです。

 

 ではどうすれば、「ジャムの数」を絞れるのでしょうか?
 

 大事なのは次の二つです。

 

 1 選択肢
 どんな種類の仕事があるのかをみつけておきます。
 
 2 選択基準


 自分はどんなことをしたいのか。
 自分の中身をしっかり分析し、そこから何かを選択していきましょう。

 「自己理解」が大事なのです。

 

  やりたいことは自分の中にあり、実現手段は社会にある。

 

 「やりたいこと」を自分理解を深めてみつけましょう。
 この段階で「どうやって実現するのか」は考えないようにしましょう。
 
 これはもっと後になってから、試行錯誤して実現手段を見つけるのです。

 

 「やりたいこと」探しを終わらせる公式

 

 「やりたいこと」を見つけるためには自己理解が必要です。

 その自己を分析する方法は次の三つの柱を利用します。

 

 1 好きなこと=ずっと情熱のある分野
 

 2 得意なこと=自然と他の人よりもうまくできてしまうこと
 

*1

 

 

 3 大事なこと=自分の価値観。(自由に生きたい、人に優しく生きたい、安心していきた)

 

 この三つです。

 ここから次の二つの公式がうまれます。

 

 

1
 好きなこと×得意なこと=やりたいこと

2
 好きなこと×得意なこと×大事なこと=本当にやりたいこと

 

 

 

 「やりたいこと」とは結局なに?

 公式1の段階

 

 以下の図をみてください。

 

f:id:zunnda:20201128173608j:plain

公式の1

 

 この図を八木氏は次のように説明しておられます。

 

 

「やりたいこと」は「What(何を)×How(どうする)の組み合わせです。

「What=好きなこと」で「How=得意なこと」です。

 

 What=ファッション
 How =物作りをする
 What×How=ファッション関連の物作りをする

 

 多くの人は「What」だけを考えた結果、仕事選びを失敗します。

「食べ物が好きだから食品業界に入ろう!」だけではダメなのはそういうことです。
 

 その会社での自分の役割が「得意なこと」でないと仕事は苦痛でしかありません。(中略)「やりたいこと」を考える時は、具体的な仕事内容(How)も自分に合っているのかを考えるのが大切なのです。

 

 

 

 つまるところ「やりたいこと」とは「すきなこと」と「才能」との共通集合といえるでしょう。
 
 

「大事なこと」も考えよう

 

 公式2をみてみましょう。
 これこそ八木氏が最も大事にしているところです。

 「本当にやりたいこと」といわれています。

 

f:id:zunnda:20201128173835j:plain

公式2

 

 

 

 どんなに自分の好きなことと才能とがかみ合った場所で仕事をしていたとしても、あまりにも忙しく「自由に生きたい」という「大事なこと」の部分が潰されていた場合、「やりたいこと」から離れていると考えるようにしなければいけません。

 

 「大事なこと」=Why=何のために生きるか、という人生の目的であり、同時に「仕事の目的」=周囲の人、社会をどんな状態にしたいか?

 

 につながっていく。

 

 よって、「やりたいこと」の最終段階は

「好きなこと」×「得意なこと」×「大事なこと」の掛け合わせなのです。

 

 この三つの組み合わせを意識すれば、企業面接でも簡単にこたえられる。

 

 

好きなこと→なぜこの業界なのか?
得意なこと→どうやってこの仕事で成果をだすのか?

大事なこと→なぜこの会社なのか?

 

 

 このように三本柱は、生きていく上で、自分が何者なのかを表現する基礎になっているといえます。
  
 

 終わりに


 
 今回紹介した本は如何だったでしょうか。
 この本は「自己啓発本」にかけていた「具体的にどうすれば自分のやりたいことがみつかるのか」に言及しており、高校生や大学生、あるいは転職を考えておられる方にも役に立つ本です。

 

 八木氏は「やりたいこと」の意味を三本の柱に分けることで、単なる欲求の次元から、社会で実際に活かすための現実に落とし込むことに成功しています。

 

 今まで漠然と「やりたいことってなんだろ?」と考えてきた人たちも、この本を読めば「やりたいこと」の意味がわかるでしょう。

 

 更に、この本では巻末に「自己理解実践ビジュアルフロートチャート」や「大事なことをみつける30の質問」や「得意なことをみつける30の質問」など、自分が「やりたいこと」を発見するために役立つチャートや質問などがびっしりと書いてあります。

 

 空疎な「自己啓発本」とは異なる中身のある八木仁平『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』(KADOKAWA)をどうぞお読みになってください。

 

 

 

 必ずやあなたの人生に光明がふりそそぐことでしょう。

 

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。

 次に紹介する本は小山聡子『もののけの日本史』(中公新書)です。

 

 

 

 

*1:※得意なこと=スキル知識、ではない。
 スキル知識は、後天的に身につけたものであり、限定的に役立つ能力ことを指します。

 

 たとえば、プログラミングのスキルは要らない人にとっては全くに役に立ちませんよね。

 

 得意なことは先天的なもの、才能です。
 皆さんも「これは自然にできてしまう」といったものを一つぐらいもっていませんか?

 

 私ズンダは文章を読んだり書いたりすることは子供の頃から造作なくできました。

 

 それゆえ、未だにブログなどをかいているわけです。
 自分の才能に従っているわけですね。

日本の官僚が続々とやめていく・・・が、古代の官人はどうだったのだろうか?


 人事の古代史

 最近、官僚がバタバタと辞めている話をききませんでしたか。

 あまりに激務なために職を辞す人が増えているというのです。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

 ↓このニュースとほぼ同じ日に現在の日本の官僚がおかれている状況を詳述した本が新潮社からでました!

ブラック霞が関 (新潮新書)

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  • 作者:千正 康裕
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: 新書
 

 


 
 日本では奈良時代に中国、唐から移植された「大宝律令」がうちだされ、その制度を実行するために建物や機関がつくられていきました。

 

 そして、官人が誕生します。

 古代の官人はどんなことをやっていたのでしょうか。

 

 今回は「位はあるけど、職がない人たち」についてみていきましょう。

 非常に読み応えのある本、
 十川陽一『人事の古代史』を紹介します。

 

 

 

 散位ってなんだ?

 日本書紀からみる官人候補

 

 『日本書紀』に次のような記述があります。
 時代はまだ大宝律令がだされるまえ、浄御原令の時代です。

 

 詔して曰く、百官人および畿内人、有意は六年を限り、無位は七年を限り、その上日をもって、九等に選定せよ(後略)

 

 これは官職に就いていない有位者が存在しており、考選の扱いを定める必要性があったことを指しています。

 

 つまり、位はもっていたけれども、官職についていない官僚候補がいた、のです。

 ※位(くらい)とは何か
 律令制には官位相当の制とよばれるものがあった。
 官人には位階が与えられて、それに応じた官職に任命されていた。
 
 位階を得るためには戦乱で功績を挙げたり(壬申の乱)や東北地方での城柵の造営などが例にあげられる。

 

 ↓以下の二冊は、古代の日本史である。

歴史と戦乱に着目した二冊がある。

 

 

古代史講義【戦乱篇】 (ちくま新書)

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  • 発売日: 2019/03/06
  • メディア: 新書
 

 

 官職にない人ー散位の存在ー

 

 位階を得る機会は多数あったのですが、官職はとうぜん数が限られています。

 誰もが仕事につけるわけでありません。

 

 大宝、養老令において、仕事がない人たちのことを
 彼らのことを散位(さんに)と呼びます。
 

 選叙令11散位条には次のようにあります。
 十川氏の現代語訳も含めて引用します。

 

 

凡そ散位、もし見官闕なからん、闕ありといえども才職相当せざれば、六位以下、分番して上下せよ。闕あらんごとに、おのおのの本位によりて、才を量りて任用せよ(後略)

 

 散位は、ポストに欠員がない場合、あるいは欠員があっても、位階や能力の面で就任することが相応しくない場合、六位以下は散位寮という官司に分番(パートタイム)で出仕するように。そしてポストに空きが生じた際には、その人の位階に応じ、才能を量って任官させなさい

 

 

 官職についていない場合は勤務実績がないことになるので、キャリアに空白期間(フリーターとかと同じ)があいてしまいます。

 それを防ぐために散位寮に分番させて、雑務に当てていました。

 しかし、散位には問題がありました。

 

 給与が安い

 

 官人とは正式にいうと次のような人たちです。

 官位令という編目によると「諸司四等官以上のポスト(職司官)に就いているものが官人」でした。
 ※例外的な人もいる。史生という雑任や舎人といわれる官人見習い。お手伝いさんてのような存在。

 

 官人は「身分給」と「職務給」の二本立てでした。

 

 身分給とは?


  
 土地と人をある人物に割りあて、そこからの税収を当人の収入とする制度である。律令制以前に有力豪族が所有していた私地・私有民を律令成立期に収公し、代りに給与の支給という形に切り替えたことに淵源する。五位以上官人を対象とした、働かなくとも与えられる、身分に対する給与である。
 

 職務給は労働に対する報酬であり、全位階の官人を対象として、春夏二回支給される季禄というものが設定されていた。(中略)官職に就いていない散位たちは、五位以上であれば食封や位禄を受給できるが、六位以下には給与を受ける資格がないのである。

 

 

 長々と引用をしてきましたが、つまり、散位で六位以下の人たちはお金を稼ぐことができなかったので、「ヤバい状態」にあったということです。

 

 位はあるけど、給料はもらえないわけですから。

 
 

 もちろん、それでは生きていけないので国のほうで仕事を作ってあげていました。

 

 写経所への出仕

 

 奈良時代で唐から仏教が移入されると、国家の壮大な企図として仏像作りや仏典などが入ってきます。

 すると、写経(=お経を写すことで功徳が得られる)が盛んになります。

 

 仕事がない散位はこの写経をするための人員=写経生として出仕し、身銭を稼ぐことになったのです。

 ちなみに給料は出来高払いでした。

 

・どれだけの分量を写経したか
・文字の写し間違いや脱字で減給された

 

 というきびしい校正の元で行われていました。

 正倉院文書には写経生たちの請仮解(欠勤届)が残っています。
 その理由としては

 

・親の看病
・喪
・痢病
・二日酔い

 

 などでした。

 昔の人も二日酔いで休んだりしたのですね。
 しかし、こんな直截な理由で許されていたというのも面白いですね。

 

 終わりに
 
 

 さて、この散位ですが、どうしてここまでして朝廷は余計な散位を用意して置いたのでしょうか。

 良く考えてみれば、十分に官僚の数がみたされているのであれば、べつに散位などいらなかったはずでは?

 

 実はそのこともこの本にはかいてあります。
 ただ本記事では紹介できない理由があります。

 

 とにかく全編を読んでないとしっくりこない、からです。

 

 正直、私ズンダ、二〇二〇年の新書ランキングTOP10に入る本は『人事の古代史』だと思うぐらい、この本の中身は濃いです。
 

 私たちは日本史の授業で古代史の大宝律令について習います。

 習うと、その官位相当表中央官制図などをみて、頭がくらくらした人も多かったのではないでしょうか?

 

 一生懸命覚えたけれども、具体的にどういうことをやっていたのかわからない。

 どんな政治力学が働いていたのかつかめない。

 そんな人は多いはずです。
 
 しかし、この十川陽一氏のこの本はそれに応えてくれています。

 

 私たちが長年、謎に思っていた古代の人事と行政、政争と官人の関係、平安遷都による官人の変化などがこの本を読むと明確に分かります。

 

 しかし、ブログで紹介しきるにはあまりに難しいのです。

 よって、この本の全貌は皆さんにお任せしたいとおもいます。

 期待を裏切らない本です。
 
 読めば必ず「おもしろかった」という声が漏れることでしょう。

 おすすめします。

 

 

 ではまた、お会いしましょう。
 ズンダでした。

 よかったら、ブックマーク&読者登録をおねがいします。

 次回紹介する本は『「やりたいこと」の見つけ方』です。

 よろしくおねがいします。
 

 ↓時代は下って平安時代の風習や生活振りが分かる本です。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 ↓角田文衞氏の平安時代の人物についての評伝が二冊の本になって発売されました。

 興味のある方はチェックしてみてください。

平安人物志 (法蔵館文庫)

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  • 作者:角田 文衞
  • 発売日: 2020/11/10
  • メディア: 文庫
 
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